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別人格

作者: てこ/ひかり

 最初に違和感に気が付いたのは、むしろ妻の方だった。

「卵買ってきてって、頼んだじゃない。明日修一、お弁当が要るのよ」

 帰宅後、口を尖らせる彼女を前に、私は思わず首をかしげた。

「待ってくれ。僕ァ聞いてないぞ」

 とは言わない。


 そんな口の聞き方をしたらまた喧嘩になる。悪い悪い、などとボカシながら、後でこっそり自分のスマホを確認した。なるほど確かに、帰宅の20分前、妻から同様の連絡が来ている。ちゃんと既読もついていた。


 ……なのに、私の頭から、すっかりその記憶が抜け落ちていた。


 最初は歳のせいかな、と思った。齢40を過ぎてから特に、忙しい時など、ついさっきまで自分が何をやっていたのか、あの人の名前は何だったのか、ふと忘れてしまうことも度々あった。それだけなら別に気に病むこともなかっただろう。しかし、それから数日経って、どうやら私の物忘れにはある一定の傾向があることに気が付かされた。


 帰宅中の記憶がない。


 深夜……会社から帰宅するまで、の間の記憶がない。もっと正確に言うと、

運転中……高速道路に乗っている時間

 の記憶が、思い返すと私にはいつもないのだった。


 仕事柄、私はほぼ毎日0時過ぎに会社を退勤し、そこから車で約40分かけて自宅まで戻っていた。家までは山を越えなくてはならないから、途中、高速道路に乗る。その間の約15分の記憶が、どんなに思い出そうとしても思い出せない。


 気が付いたのは、ある日上司からの重要なメールを読み飛ばして、次の朝こっぴどく叱られてからだった。そんなメール来てませんよ、なんて言い逃れは出来なかった。電子の証拠がバッチリ残ってたし、何より私は、それを車の中でちゃんと開いていた。


 これは一体どう言うことか。私は薄寒くなった。

 別に自分が、特別記憶力が良い方だなんて思っていない。人並みか、それ以下だろう。しかし、ある一定の時間の記憶だけ常に無くす、なんてことがあるだろうか。


 もしかして夢遊病なんじゃないの。


 妻は冗談めかしてそう言ったが、私は真剣に調べて見る価値はあると思った。運転中の、それも高速道路の記憶だけないなんて、危なすぎる。万が一事故を起こしたら……考えただけで血の気が引いた。それで、何件か脳の専門家だとか、心療内科を訪れたが、何処に行っても私は『正常』で、それと言った症状は全く見られなかった。


 喜ぶべきことなのだろうが、私はますます不安になった。原因が分からないものほど怖いものはない。

「高速に乗らなきゃ良いじゃない」

「でも、それじゃ1時間以上かかっちゃうよ」

 今更引っ越すわけにも行かない。かつて悩める若き思想家・武田修太郎は

『通勤時間と幸福度は反比例する』 

 と名言を残した。武田修太郎とは、つまり私のことだが。

 それで、車の中にカメラを設置して、一体その時間私が何をやっているのか、撮影することにした。


 良く、ハンドルを握ると性格が豹変する……なんて話を聞く。車にはそんな魔力がある。そうでなくても、たとえば仕事とプライベートで、性格のスイッチを切り分けている人は多いのではないか。心理学的には、これを『ドレス効果』と呼ぶのだと言う。


 ある一定の条件下で性格が変わる……別人格が生まれる。自覚症状はないが、私にも同じようなことが起きているのかもしれない。それで記憶がないのだとすれば……調べて見る価値は大いにあった。


 運転席全体が映るようにして、私はその日、いつも通り昼過ぎに出勤した。不思議と、出勤の時は高速に乗っても記憶がある。無くなるのは帰り道だけだ。夜中というのもあるのかもしれない。


 これで原因が分かるかも知れないと思うと、私は怖いようなワクワクするような、不思議な高揚感でその日一日を過ごした。もし運転中にだけ性格が変わっているのだとしたら、そいつは一体、どんな自分(やつ)なのだろう。


 そしてついに。仕事終わり、私はいつも通り車に乗り込み、エンジンをかけて自宅へと向かった……。


※※※


『……では次のニュースです。昨夜0時過ぎ、※※高速で起きた乗用車の追突事故で、警察は乗っていた40代の男性を危険運転致死罪で逮捕したと発表しました。

 逮捕されたのは自称・会社員の武田修太郎容疑者41歳。

 警察の調べに対し、武田容疑者は支離滅裂な返答を繰り返し、心神喪失も含め、今度捜査が進む見通しです。 


 NFNの独自の取材で、武田容疑者の友人にインタビューしたところ、容疑者は普段から妄想癖があった模様です。独り身なのに自分には家族がいるだとか、子供がいるだとか周囲に吹聴し、また当日も友人の車を強引に借りて出かけていたようで……』

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