3.キミと貝殻と遠い約束
「ねえ、子供の頃の約束覚えてる?」
ふいに未来が口を開いた。
夏季講習の帰り、いつもの海辺の洞窟『異次元への扉』から、俺と未来は碧く煌めく海を眺めていた。まだ夏の太陽は高く、夕方にさしかかろうとしているにもかかわらず、肌を突き刺すような暑さだ。
しかしここは少しひんやりとして過ごしやすい。
「え? なんか約束したっけ?」
子供の頃のたわいない約束。たくさんしたような、していないような。曖昧な記憶は脳を過りもしない。
「もう。雄志、覚えてないの?」
未来は少しふくれた顔で俺に聞き返す。
俺はなんとか思い出したいと思う。
「ヒント!」
すると未来は少しはにかんだ様子で答える。
「『異次元への扉』の前の海辺で」
「ここの前の海辺で?」
この海辺で遊んだことは数知れず。
おどけたりからかいあったり、冗談を言いながら仲良く、楽しく遊んだ想い出はたくさんある。
しかし約束となると、なぜだろう、記憶が曖昧になっている。
「もう、忘れちゃった? 子供の頃の約束だもんね。覚えてる方がどうかしてるよね」
「いや、思い出す。てか忘れてないけど、どこの引き出しに仕舞ったか忘れちゃったんだよ」
と都合のいい言い訳をする俺。
それに対し未来は笑顔で言った。
「じゃあ、宿題ね。必ず思い出してよね」
彼女はそう言葉にすると、また海の方へ視線を移す。
しばらくの沈黙が続いた。
俺はなんだか久しぶりに浜辺を歩きたいと思った。
「なあ。下に降りてみようぜ」
「そうね」
俺たちはゆっくりと立ち上がり、波打ち際まで歩いて行った。
浜辺は歩きにくいからと、俺は靴を脱いで放り投げた。
それを見て未来も、「じゃあ私も!」と笑いながら同じようにする。
俺たちはまるで青春映画の一コマみたいに追いかけっこをするように、裸足で砂浜を走った。
そして穏やかな波が打ち寄せる先端に、俺はそっと足を差し出した。
「冷てぇ」
夕暮れにさしかかった海の水は、思ったよりもひんやりとしている。
「私もー」
未来も子供の様にはしゃぎながら、波と戯れている。
冷たい水を両手ですくって、どちらともなくかけあいっこを始めた。
もちろん俺はかかりそうでかからないように上手く加減しているんだが、未来は容赦なくかけてくる。
「おい。かけすぎだろ」
笑いながらそう言うと、えへへと肩をすくめて未来が笑う。
俺はそんな彼女を見ていると、懐かしい子供時代を思い出した。
俺と幼馴染みの輝、未来の3人はよくこの場所で遊んだ。波打ち際に打ち上げられた、どこかから流れ着いたであろう枝を剣に見立てて『ごっこ遊び』をしたり、駆け回って疲れたと言ってはこの上にある『異次元への扉』で、自分達の好きなことについて熱く語り合ったりした。
未来はよく貝殻を拾ったりしていた。綺麗な貝殻を見つけたと言っては手のひらにのせて、大事そうに見つめていたっけ。
ある日、拾った枝で相合い傘を砂浜の上に書いて、誰の名前を書くかなんてワイワイ言って……。
あれ? その時のことが少し曖昧でよく思い出せない。
その時、未来が珍しい貝殻を拾ったと俺に見せてくれて、「綺麗だな」と俺が言うと「あげる」って。「大切な宝物だから雄志にあげる」って言われて、俺はその貝殻を受け取った。
あの時の貝殻、まだあるかな。懐かしいな。帰ったら探してみよう。
間もなく夕陽が空と海を繋ごうとしている。
はしゃぎ疲れた俺と未来は、白砂に座ってそのなりゆきをじっと見つめていた。
隣に座る未来の髪が風に靡いている。
「なあ。さっきの宿題。子供の頃の約束」
「思い出した?」
未来の瞳が輝いた。
「いや」
「なーんだ」
ふてくされて彼女はまた海の方に顔を向ける。
水平線に溶けてゆくオレンジを、なにも言わず、ただずっと眺めていた。
碧海を朱く染めながら、黄昏時は過ぎてゆく。
「忘れたんじゃない。きっとどっかの引き出しに紛れ込んでるから、探しておくよ。必ず見つける」
俺は海を見つめたまま、静かにそう言った。
子供の頃の約束。もうそこまで出かかっているようで、思い出せない。
だけど、未来がわざわざこのタイミングで口にしたということは、きっと大事な約束なんだろう。
俺も約束したっていうことは、忘れちゃいけないはずなのに。
必ず思い出して、約束を果たすよ。
「うん」
夜の入り口が、もうそこまでやって来ていた。
そろそろ帰らなきゃな。
だけど。
もう少しだけ、こうしていようか。
お読み下さりありがとうございました。
次話「4.アイスコーヒーの透明度(1)」もよろしくお願いします!