第7話
「人の手首の裏側には何があると思う?」
「血管が通ってるんじゃないんですかね」
私は先輩の言葉に当たり障りもないような言葉を返す。手首じゃなくとも大体は血管と皮膚と筋肉くらいしか無いんじゃなかろうか。
「あのさあ、そろそろっていうか、わざとだろ。だって前も言ったはず。普通の回答を求めてるんじゃ無いって」
先輩は笑いながら、でも呆れが混じったように言う。からかうのはいけないことだとはいけないけれど、ついからかってしまう。
「すみませんって。⋯⋯ああ、そう言えば、手首と言えばリスカする場所で有名ですよね。手首の裏には人の闇が隠れてる、みたいな?」
先輩は手を顎に当てて何やら少し考え事をしているよう。静寂が二人の間を抜けていって、風の音が気になり始めた頃、先輩は口を開く。
「まさか、百瀬に当てられるとは思わなかった。そう、まさにそれだよ。手首に人は秘密を隠すんだ。すぐに分かりそうな、でもバレにくい場所に心を吐露する。とても人間らしいと思う」
「誰にも知ってほしくはないけれども完全に知られたくない、みたいな矛盾が人間らしいってことですよね。本当に知られたくなかったら、足首とかもっと人目につきにくい場所にしますもんね」
「⋯⋯お前、ほんとに百瀬なんだよな。思考の解釈のスピードがいつもより何杯も早いぞ。まさか偽物?」
少し先輩の考え方を理解し始めたというのに、それで偽物扱いは失礼だ。こんな失礼な先輩には後輩への扱い方の説明書でも読ませようか。
「私は先輩と初めて会ったときと同じ百瀬ですよ。少し先輩を理解し始めたんですよ」
「先輩を理解、か。ふふっ」
なんだか先輩は隠そうとしているが、笑みが零れてしまっている。理解されることがそんなに嬉しいことだったんだろうか。
「嬉しそうですね、先輩」
「そりゃ、ここまで理解してくれる人なんてなかなかいないからさ。つい、な。それで手首の話なんだが、知ってほしくはあるが、その傷口を隠そうとするんだ。例えばなるべく手首が隠れる服装をするとか」
「手首が隠れる服装、ですか。ああ、長袖とかですかね。⋯⋯あれ、そう言えば先輩って夏でも長袖のシャツを着てますよね」
ふと、先輩の服装に思考が至る。そう言えば先輩の生の手首を見たことが無い気がする。いつも小説を書いているときに、手首の外側は目に入るがその内側を見たことがない。
「まあ、確かにな、」
歯切れの悪く先輩は言う。先輩もまさか自分に矛先が向くとは思っていなかったらしい。おそらく先輩はなんかしら訳の深い過去を持っていそうだ。だけど、今の私が触れて良い話題ではないと思う。
「別に実際がどうだかなんて私は気にしませんよ。なんであったって、先輩は私を助けてくれましたし、先輩のお陰で毎日が楽しいです」
何も言わずにただ私を見つめている。
「あの日に確かに私は生き返りました。だから、先輩も過去なんて気にせず先を見ましょうよ」
「ああ、そうだな。変な空気にして悪かったな」
「先輩はいつもこんな感じですよ。平常運転、平常運転」
全く、とため息を吐くも嬉しさが滲み出ているような気がする。時計の針がいつの間にかくるりと回っている。
「あ、そろそろ帰らないと。先輩、明日も元気で会いましょう」
「おう、明日も部室で。気をつけて帰れよな」
今日も部室の扉が閉められて、二人の時間が終わった。




