第1話
放課後、先輩と二人だけの部室で、私、百瀬凛のペラペラと小説をめくる音と先輩、深見凪冴先輩のキーボードを叩く音だけが響く。その静寂を先輩が破る。
「なあ百瀬ー。明日って、いつ来ると思う?」
また始まった。先輩の謎の問題。どこからその問題が出てくるんだか。先輩が椅子をこっちに向けて、悪巧みに成功した小さい子みたいな顔でこちらを見てくる。答えないとこの後ありえないくらいめんどくさくなるからな、ちゃんと答えることにしましょう。
「ええと、時計の針が0時を過ぎたらですかね」
「つまんない回答だな。せっかく文芸部に所属してるのに、そんな一般的な答えしかできないのかねー?」
先輩の煽るような言葉にちょっとイラッする。
「だったら先輩は相当面白い回答ができるってことですよね? まさかできないなんて恥ずかしい姿を後輩に見せないですよね?」
煽られて黙ってるような私じゃない。ニヤついてる先輩に反撃をする。
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれた。これが用意してあるんだな」
「なっ、いつも答えるのに詰まって逃げようとするのに!」
「いつまでも後輩から逃げてる先輩じゃないんだよ」
いや逃げてることは否定しないのかよ。
「それで、先輩の明日はいつからなんですか」
「明日って言うのはね、いつまでも来ないんだよ」
何を言ってるんだ、この先輩は。明日は絶対来るでしょうが。
「明日は来ますよ。だって、ええと……今日が5月23日だから。明日の24日は絶対来るじゃないですか」
先輩は、わかってないなーと指を左右に振ってくる。なんでこの先輩は人のいらつくことをしてくるんだろうか。
「わかってないなー、百瀬は。明日っていうのはあくまでも『明日』のままなんだよ。そうだな、例えば今言った24日も、0時を超えれば『今日』になってしまうんだよ。『明日』と言ってた日が『今日』に変わった。つまりは明日には手が届いてないんだよ。あんだーすたんど?」
「わっ、うざっ」
「そんなこと言わないでよー。俺が傷ついちゃうよ?」
首を少し傾けてこちらを見つめてる。無駄に整った顔立ちに、思わず見惚れてしまいそうになる。
「それで先輩の言ってることは、単なる屁理屈じゃないですか」
スルーされた、と先輩は呟いてから
「屁理屈じゃないよ、失礼だなー。俺が言いたいのは、『明日』っていうのはあくまで概念だってこと」
「そんなの当たり前じゃないですか。頭でも打ちました?」
「何気にバカって言ってない? そうじゃなくて『明日』は手が届きそうだけど手が届かないものって言いたいの」
「ん?」
「だから、未来全てが明日に含まれるっていうことなの。明日やろうとかは先延ばしにしてるだけなんだって」
「あ、その後半の意見には同意です。明日やろうって言ってちゃんとやってる人ほとんど見たことありません。特にそこの目に前にいる人とか」
先輩のことをジトーと見ながら返す。目を逸らすのがなんだか面白い。窓の外は赤い世界になっている。
「ま、まあ。否定はしないけど。でも、わかってるけど先延ばしにしちゃうことってあるよね」
急に素直な感じで話してくる。この一瞬でなんの心変わりがあったんだ。
「わかりますね。今日、今日やろうって思ってたことでも結局できずに終わることあります」
「そうだよねー。……まあ、俺は特に今絶賛そうなんだけど」
「え? 先輩、そうだよねのあとなんて言いました? 聞こえなかったんですけど」
「え、あ、いやいやなんでもない、なんでもない」
なんか狼狽えた感じだけど、もしかして
「もしかして先輩」
「はいっ!」
「なんか課題やり忘れてたりします?」
「へっ?」
「もう。とぼけないでくださいよー。先輩の考えてることだいたいわかりますからね」
「そ、そうなんだよね。やってない課題があって」
「もー。課題だけはちゃんとやってくださいよ。留年して先輩と同じ学年になるのは勘弁ですよ」
しっかりと先輩に釘を差す。ちらりと外を見ると仄暗くなっている。月が雲で隠れているが、雲が薄いのか光が少し漏れ出ているのが見える。
「そろそろ私帰りますね」
「ああ、気を付けて帰れよ」
「言われなくともわかってますよ。先輩も帰るとき、気をつけてくださいよ」
「わかってるって。じゃあな」
「はい、また明日」
扉を閉める時、先輩の顔に後悔してそうな表情が見えた気がした。