9.湧き出た疑問
私が走り出すと、子ぎつねちゃんは腕から離れ、かわいい脚で並走し始めました。
城内の警備も、召使たちも。
誰にも見咎められることなく、私はダヴィド殿下のお部屋へとたどり着きます。
鼓動の速さは走ったから? それとも緊張?
あるはずのない心臓の感覚に、息を吐いて落ち着くと、私はそーっと、かの方のお部屋へと入りました。
霊なのです。
扉を開けることが出来ないけれど、すり抜けることが出来ます。
中に入ると、清潔に整えられている部屋の奥に、大きな寝台が据えられて、殿下がお休みになられている光景。
それは一年半以上前から、いいえ、私が最後に訪れた時から、まるで変わっていませんでした。
(カルロ殿下は、ダヴィド殿下の意識が戻られたと言っていたけれど──)
ひとあし、ひとあし。慎重に運んで、少しの気配もこぼすことなく拾おうと。
もし、殿下が身じろぎをされたら、すぐに気づけるようにと。
そんな思いで近づきます。
寝台の横には変わらず、魔術師たちが施した、延命の魔道具がありました。
いくつかの球体を内包した、大掛かりな、けれどもお部屋に相応しい繊細な細工まで施された、それら。
はじめは、事故のお怪我を治すために。
そして傷が癒えられてからは、食事を摂られることのない殿下のお生命を、維持する役割を担っています。
筋力が衰えることのないよう。
自身の重みで、寝がえりなくも肉体が損じないよう。
常に動かされている魔道装置は、ダヴィド殿下のお身体を倒れられた時のままに保っていました。
すぐに目を開けて、声を上げ、立ち上がることが出来るようにと──……。
《殿下……》
呼びかけても、現世に届かない自分の声を恨めしく思います。
瞼は固く閉じられたまま、そっと手を延ばしても、透ける指では触れることさえ叶いません。
私はしばらく、その端正な寝顔を見ておりました。
今にもその目を開いて、濃く青い瞳を見せてくださるのではないかと願って。
ですが。
《ああ……!!》
ダヴィド殿下は以前通り、ただ横たわっていらっしゃって。
その意識がまだお戻りになられていないことは、明白でした。
期待が絶望に変わりました。
私の早とちりだったのです。
床に崩れ落ちながら思い出すカルロ殿下の言葉は、曖昧な推測でしかなかったことに気づきます。
"ダヴィド殿下にしか動かせない影の組織が動いた。だから、ダヴィド殿下が指示したのではないか"。
そんなの、組織の長が変われば、方針が変わることもあるでしょうに。
勝手に希望を抱いた私が、愚かだったのです。
(……あら?)
あの時耳にかかった、別の言葉が浮かびます。
カルロ殿下と話をしていた黒いフードの人物が、何と言っていたか。
("目を覚ますはずがありません"って、言ってなかった?)
《!!》
気のせい、でしょうか。
その言葉選びに、目を覚まされては困る、そんな響きを感じるのは。
(待って……、まさか……)
ぶるっと身が震えました。
もし! 黒フードの男と、カルロ殿下が同じ思いなら。
──カルロ殿下は、ダヴィド殿下が目覚めることを望んでいない?──
ダヴィド殿下が倒れられ、カルロ殿下がこの国でただ一人の王子となりました。
本来、長男が享受すべきその地位と特権を、いま担っておられるのはカルロ殿下。
王国一の貴族であるヴァレンティ公爵家の後ろ盾も、私との婚約でカルロ殿下に与えられていた──。
……本人によって、放棄されたけど。
黒フードの確信めいた言い方は、何らかの関与をしているからこそ出た発言では!!
(ダヴィド殿下が目を覚まされないのは、別の理由が潜んでいるかも知れない)
自ら立てた仮説に、私は愕然とします。
(そうですわ。そもそもどうして、あんな庭の隅で密談を?)
冷静になればなるほど、様々な疑問が湧き出てきます。
《もう一度さっきの場所に戻って、話しを聞けたら》
慌てて立ち上がろうとした時、
《ヴァンッッ!!》
隣にいた子ぎつねちゃんが、私の背後に向かって、威嚇の鳴き声をあげました。
《!!》
後ろを見ると、影がさっと部屋の外へ走ります。
扉はそのまま。
そんなことが出来るのは、霊くらいです。
《お城の他の霊……?》
公爵邸にも霊がいました。
王城ともなれば、たくさんいるはず。
チラリと、ダヴィド殿下のお身体を振り返ります。
《──殿下、また参りますね》
私は殿下にそう告げて、さきの場所へと急ぎました──。
(……遅すぎましたわ)
庭の奥にはもう誰もいません。
当然と言えば、当然かもしれません。
私の推測が正しければ、怪しい密会をいつまでもするなど、リスクが高すぎます。
がっくりと座り込み、項垂れた私の手を、子ぎつねちゃんが優しくペロリと舐めてくれました。
子ぎつねちゃんなりの気遣い。
嬉しくて抱き上げ、下腹を見てフト思いました。
(男の子だし、まるでダヴィド殿下みたい)
殿下も子ぎつねちゃんのように、いつも私を慰めてくれていたのです。
(ふふっ、もし殿下が霊になっていたら、こうして私に会いに来てくれたかしら)
子ぎつねちゃんを愛しく包み込んで撫でていると、木立の向こうから、令嬢たちの話し声が近づいてきました。
王妃様のお茶会が終了したようです。
(もうそんな時間なのね)
「フィオリーナ様があんなに大変な目に遭われていたなんて……」
(!)
「カルロ殿下も横暴ですわ。私、お聞きして驚きました」
(わ、"私"の話題?)
いきなり話の中心で、びっくりして彼女たちのほうに走り寄りました。
お行儀が悪いとは知りつつ、そのまま後について歩きます。
「長く社交界をお休みされていたのも当然ですわよね。私だったらきっと、泣いて引きこもっていましたわ」
「それなのに、微塵も同情を引こうとはなさらない、凛としたあのお姿」
「ええ、ルチア様とはまるで違いますわ」
ルチア嬢がすぐに他人を悪者に仕立て、自分の不憫さを主張する性格は、少し見ていればわかること。
私という矛先がいなかった間も、大げさに暴れていたようです。
「そういえば今日はルチア様は?」
「王妃様のお茶会ですもの。呼ばれてなければ来れませんわよ」
「カルロ殿下がいらっしゃらなければ、大抵のお席には出席できないのではなくて?」
「ご実家が男爵家ではね……」
「それに、王妃様はずっとフィオリーナ様のことをお気に召していましたもの。因縁あるご令嬢を同席させるような采配はなさいませんわ」
("モヤさん"……)
今日も"モヤさん"は汚名を晴らすべく、堅実に振舞われたのでしょう。
それに比べて私は何か出来たでしょうか。
カルロ殿下の話は聞きそびれて、黒フードの男が誰かもわからずじまい。
なんだか自分が、とても情けなく感じます。
「それにしてもフィオリーナ様って、あんなに涼やかなお方だったかしら」
(ん?)
「落ち着いていらして、柔らかな笑顔で……、私、目が合った時、思わずときめいてしまいました」
(んん?)
「わかりますわ! 多彩な話術と豊富な知識に、私ももう夢中で見てしまいました」
「ねえ? とても魅力的で……」
「かっこ良かったです!!」
(んんんん??)
「そう、それ! 私、フィオリーナ様が殿方だったら絶対好きになっていましたわ」
(!?! 何をしたの、"モヤさん"──!!)
「あら、女性だって関係ないですわよ。お姉様とお慕いする分には、許してくださるのではなくて?」
「きゃああ。素敵なお姉様が出来てしまいました」
「今度ぜひお聞きしてみましょう? お姉様とお呼びして良いか」
「わあ、楽しみですわね」
きゃあきゃあと令嬢たちが盛り上がっています。
本当に! その場にいるべきでした!!
どうしてお茶とお菓子を楽しむ場で、"かっこ良い"という表現が出てくるのでしょうかっ?
("モヤさん"はどこに……)
見回すも、近くにその姿はありません。
令嬢たちと歩いては来なかったということは、控えの間で休んでいる?
公爵家は王城に、別途お部屋を賜っています。
そちらに向かったことが考えられて、庭を横切り、"モヤさん"のもとへ行こうとした私の目に、意外な相手が飛び込んできました。
《! カルロ殿下だわ!!》
さっきあれほど探したカルロ殿下。
そしてカルロ殿下と向き合っていたのは。
《"モヤさん"?!》
黒フードの男ではなく、"フィオリーナ・ヴァレンティ"でした。
短編版の感想欄で出た"フィオリーナ・ファン・クラブ"が誕生しつつあります(笑)
すみません、今回、あまり進展しませんでした。というか、冗長だったかもしれません。
実は投稿直前、2話分ボツにして、急ぎ書き直したのです。
ボツ話では、フィオリーナが"他の霊"と遭遇。いくつか情報を得るお話でした。
前回「あとがき」の"謎回収します"宣言の通り。
でも秘密の開示が早すぎて、あとの展開に障る? と気づいて、取り下げ。
謎、回収出来ませんでした。
その分早く、"桃の回"に突入出来たらなぁと思います。
引き続きお楽しみください(*´▽`*)/