8.夜に走る足
夜会はその後、問題なく終わりました。
良からぬ意図をもって近づいてきた貴族は、兄が断固として防ぎ、噂を確かめてくる相手には"モヤさん"が、状況に合わせて対応していきました。
"私"をダンスに誘った青年貴族たちは、モヤさんの視線ひとつで凍らされ、すごすごと引き換えしていましたが。
(モヤさん……。今後、"氷の令嬢"という呼び名がついたりしないかしら……)
そんなことがありつつも大半は歓談となり、宴が終わる頃には、"これまで通りのお付き合いを"と願ってくださる方も多くいらっしゃいました。
婚約破棄以降、初の交流は成功したと言えるでしょう。
これで評判が上向けば、"モヤさん"にも私にも嬉しいことです。
漂っていただけなのにすっかり疲れて、"モヤさん"と一緒に部屋に戻ると、ラウラが迎えてくれました。
「お疲れ様でした、お嬢様」
彼女の足元で、子ぎつねの"霊"がお座りしたまま見上げてきます。
《良いコね! 待っててくれたの?》
微笑ましく子ぎつねを抱き上げながら、その柔らかな毛に頬をすり寄せました。
(何か名前をつけてあげたいわ……。きつねちゃん……、うう、名前じゃないわね。じゃあモフモフしてるからモフちゃん……。でもそれだと"モヤさん"と似てしまう?)
名づけセンスのない自分が、残念です。
私が頭を悩ませる横では、ラウラが"モヤさん"の宝石類を外しております。
大粒の石は、何気に重いですからね。
「宴席はいかがでしたか?」
「コルセットのせいで、殆ど食べられなかった。これは拷問に近いな」
「……そうおっしゃると思って、軽食を用意しておきました」
「ラウラ! きみはなんて有能なんだ! ありがとう!」
「でもこんな時間なので、お嬢様のお身体には良くないのですよ?」
「ん。控えめにしておくよ」
サンドイッチを頬張りながら、ラウラが甲斐甲斐しく"モヤさん"の世話をします。
"私"の髪が解かれ、ドレスが緩められていきました。
「不届きな輩はおりましたか?」
「色目を使って来た奴らなら、すべて撃退した」
「それはもう、フィオリーナお嬢様はお美しいですから。ではなく」
「ああ。そっちはかわいいのしか来なかったが……。まあ、牽制はしてきた。成果は一朝一夕というわけにはいかないだろう。噂を反転させるには、まだ暫くかかるはずだ」
「払拭ではなく、反転ですか?」
「当然だろう? "フィオリーナ・ヴァレンティ"に仕掛けたことを、後悔させないと」
ラウラが黙って目を閉じ、そして言いました。
「お嬢様、ご報告がございます。ご依頼の件について、こちらの調書に」
「! 手に入れたか!?」
「いいえ。指定された位置には見つからなかった、とのことでございます」
「……隠し場所を変えたか……。厄介だな」
「はい。なかなか入れない場所ですので」
(? 依頼の件? 見つからない? "モヤさん"、何かを探しているのかしら)
いつだったか。
カルロ殿下とルチア嬢が捏造した"私の罪"とやらを調べるべく、"モヤさん"が依頼用の手紙を書いたことがあります。
私の字に似せて、でも闊達さの隠れ見える文字で綴られた書信。
誰宛てで、どんな内容なのか。
私が覗き込もうとした時、庭で子ぎつねちゃんがカラスに追われて悲鳴をあげて……。
助けて戻ると、手紙はラウラに託された後でした。
その時の"依頼"でしょうか?
冤罪事件の裏は取れたと言っていたけれど、証拠の品か何か?
(そういえばあの頃から……。"モヤさん"、ラウラの前では"私のフリ"を殆どしなくなった気がしますわ)
何かあったのかしら。
それにしても、霊になってもカラスに嫌がらせをされてしまうなんて。
《カラスには困ったものですねぇ、○○ちゃん》
うっ。早くこの○○を埋める、素敵な名前を決めたいものです。
《モヤさんと相談出来たら楽しいでしょうに。モヤさんなら、なんて名付けるかしら》
何気なく聞いてみたくなった私は、現実と直面し、ふと寂しさを覚えました。
私が生身なら、モヤさんが霊。
私が霊なら、モヤさんが生身。
会話が出来るのは、ふたりとも生きている時か、ふたりとも死んでいる時。
互いに決して交わらない世界で、私たちは過ごしている。
("モヤさん"とお話がしたいわ……)
──今夜も、きっと長いのでしょうね──
朝が来るまで、ひとりと一匹。
私は星を、数えたのでした。
数日後──。
"フィオリーナ・ヴァレンティ"は王妃様のお茶会に参席するため、王城に在りました。
もちろん公爵令嬢として出席するのは、"モヤさん"です。
美しい花が並んだ庭園で、いくつものテーブルを囲み、華やかな貴族令嬢たちが談笑する様子は、匂い立つような光景です。
私はいつものように"身体"について来て、少し離れた場所から集まりを見ていました。
今回は子ぎつねちゃんも一緒です。
驚いたことに出かける際、子ぎつねちゃんはピョンと私について来ました。
私は身体がないと屋敷の敷地から出られないのですが、それは私が、まだ"生身"と繋がっているということでしょうか。
肉体のない、完全な霊である子ぎつねちゃんに、行動場所の制限はないようです。
(子ぎつねちゃんは、地縛霊ではなかったのね)
ぽかぽかとした陽気に、抱っこした子ぎつねちゃんが、のどかな欠伸をします。
と、ぴくんと三角の耳が反応しました。
(話し声……?)
微かですが風に乗って、人の話す声がします。
なんとなく気になった私は、暇も相まって、様子を観に行くことにしました。
庭の木々が重なり合った奥に、ふたりほど立っています。
ひとりは黒い装束で顔を隠して、もうひとりは──。
(カルロ殿下?!)
私に婚約破棄を言い放った第二王子が、共も連れずに立ち話をしていました。
(どうして、こんなところで、こんなことを?)
現在"霊"である私は、木の葉を揺らすことも、草を踏むこともありません。
(もっと近づいて、話を……)
「──目を覚ますはずがありません」
突然の言葉に、私の胸はドキンと跳ねました。
黒いフードの人物が発したようです。低いしゃがれ声は、男。
そんな相手に対し、カルロ殿下が反論しました。
「だが現に、"夜足"が動いている! 奴らはたかだか陰に潜む連中のクセして、主と認めた者の指示にしか従わない。兄上しか動かせないはずの連中が、動いたんだ! 兄上の意識が戻ったとしか──」
(────!!)
兄上? ダヴィド殿下?!
私は息が詰まるかと思いました。いま確かに、カルロ殿下は「兄上」と。
意識が戻った──??
私はもう、その場にいませんでした。
残ってすべての会話を聞くべきだったのに。
カルロ殿下と一緒にいた相手も、確認すべきだったのに。
王城の一室に向かって、一目散に駆け出してしまっていたのです。
「安心してください。意識が戻るなど、あり得ません。ですが念のため、隠し場所は細かく変えたほうが良いでしょう。"夜足"は潜入も得意としていると聞きますゆえ」
「そう思って、すでに動かした。これからも特定されないよう、気を付ける」
「ええ……。ええ……。すべてはあなた様の願いのために──」