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第9話 キスしてもいいですわよ?

 まだ人通りも疎らな朝の住宅街を抜けると程なくしてうちの最寄り駅が見えてくる。

 駅構内に入り、券売機や改札の付近まで来ると沙耶乃は重要なことを思い出したように俺を見る。

 「先輩のICカードの残高はおいくら程度残ってますの?」

 切符の代金で行き先に見当がつけられると思ってたんだが。 それを見越してICカードとはやるな。 だが甘いぞ浦影……!

 「定期しか使わないから三十円くらいしか入ってねえな。 いくらチャージしてくれば良いんだ?」

 こうやって聞き出した金額を路線図で調べれば俺の勝ちだぜ。

 勝ったと思った次の瞬間に俺の負けが決まったようだ。

 沙耶乃がICカードをこちらへ差し出してきたのである。

 「先輩のお母様からお金は預かってますのでご心配いりませんわ。 それに、行き先は秘密だとわたくし言いましたわよね、先輩?」

 ちょ、母さん! あんたもグルかよ! そりゃ勝ち目ねえよな!

 それに行き先を聞き出そうと画策してた事まで見抜かれてるし。

 「そうかい、じゃあ遠慮なく借りとくわ」

 一枚上手だった沙耶乃が差し出すICカードを受け取り、溜め息を吐いた俺を見ると沙耶乃は一瞬満足そうな笑みを見せて改札に向かって歩き出した。

 「乗り遅れる前に行きますわよ?」

 「分かったからそんなに引っ張るな……てか、いつまで手を繋いでるつもりなんだよ!」

 家からずっと握り合っていた手を俺が離そうとすると、手と手が離れるよりも早く沙耶乃は離れてしまわないようにと握る手に力を込めた。

 「先輩、今日はデートですわよ……? わたくしの初めての……」

 足を止めて振り向いた沙耶乃は少し頬を赤く染め上目遣いでじっと俺を見つめてくる。

 これは完全に負けたわ。 その顔でそのセリフは可愛すぎる……

 はやまるな俺。 こいつのことだから単純に俺をからかって遊んでるだけだぞきっと。

 でも、可愛い……マジで可愛い。

 「母さんにまた言い付けられても困るし、仕方ねえな……」

 強く握られ、離してくれなかった沙耶乃の手を俺は握り返す。

 決して沙耶乃の可愛さに惑わされた訳ではないと何度も心の中で考えながら。

 「仕方なくですのね……まあ今日のところはそれでも良いですわ」

 一瞬だけ残念そうな表情を見せた沙耶乃は俺の手を引いてホームへ続く階段を登って行くのだった。


 隣に座った沙耶乃は電車内でも手を離してはくれず、人目も気にしないで黒髪美少女とイチャついてると勘違いされた俺への妬み嫉みの視線に耐えること約一時間。 郊外にある駅で俺たちは降車した。

 「この駅で降りたってことは遊園地に行くのか?」

 「正解ですわ。 先輩のお母様が福引で当たったペアチケットを譲って下さいましたの」

 「多分それ、俺が沙耶乃を泣かせたと勘違いした時のお詫びの品のつもりだったんじゃないか……?」

 「言われてみるとそうですわね……何だか申し訳のないことをした気がしてきましたわ……」

 入場ゲートが近くなり鞄から取り出したチケットを沙耶乃は少し暗い顔をして眺めていた。

 なんだかんだ根は真面目で優しい子だからな……しょうがねえ。

 「初めてのデートなんだろ? お前にそんな顔させてたら俺が怒られるんだよ」

 俺だって初めてデートした相手が暗い顔してたなんて嫌だしな。

 俯いていた沙耶乃は俺がこんな事を言うとは想像もしていなかったようで、驚いたように顔を上げると頬を赤く染めた。

 やっぱ暗い顔は似合わねえよ、お前には。 素直にそう伝えてやるのは抵抗あるけど。

 「二十点ですわ……デートの今日、わたくしは先輩の……か、彼女……なんですのよ……?」

 ついに俺にも一日限定彼女ができたよ! やったね!

 いつもと違って何だか本当に嬉しいような気もしてくるし……

 本当に今日のお前どうしたんだよ! 可愛すぎて調子狂うんだけど……

 「そんなこと言って勘違いさせるとキスでもするぞ?」

 下衆な冗談でも言えば怒って普段通りに戻るだろうと思い、恥を忍んで言ってみると沙耶乃は入場ゲートへ向かう足を止めて立ち止まる。

 「先輩のお母様へ罪滅ぼしの一日彼女ですから仕方ありませんわ……どうぞ先輩?」

 恥ずかしそうにそう言うと沙耶乃は目を閉じた。 繋いだ沙耶乃の手は少し強張って俺へと緊張を伝えてくる。

 これマジのやつじゃん、何この状況……どうしたらいいの。

 別に沙耶乃とはキスしたくないとかじゃない。 でも逆にしたいのかと言われてもわからない。

 「ごめん、冗談だから……」

 「そうなんですの、まあ先輩にそんな度胸ないのは分かっていましたしたけど!」

 なんでお前は少し不満そうな顔してんの!? 本当はして欲しかったとか言うんじゃねえだろうな!?

 これ以上もしもを想像するのは危険な気がした俺は必死に気持ちを切り替える。

 「キスは流石にハードル高いし今日はお前を名前で呼ぶくらいで勘弁してくれないか? なあ沙耶乃」

 「キスする度胸ない癖に変な冗談いう先輩が悪いのにわたくしが悪いみたいな言い方…… でも、今日はそれで許してあげますわ」

 不満を口にしながらも沙耶乃は嬉しそうな笑顔で入場ゲートへ足を急がせた。

 「そんなに急がなくても遊園地は逃げないからさ……」

 手を引かれる俺も今日が楽しくなりそうな予感を感じていた。

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