第六話 機尋
昔々。
ある女性が外出して帰らない夫への怨みを抱きながら機を織っていると、その怨みの念が織っている布にこもり、蛇の姿と化して夫の行方を探しに行ったという。
これが“機尋”という妖怪である。
「…遅い!」
夕餉(※晩ご飯のこと)の準備が整ったお膳を見ながら、独り夫の巡の帰宅を待っていた柏宮 千尋は、我慢の限界だった。
巡は役人務めの善良な男である。
気は優しく、面倒見がいい。
顔は「格好いい」というよりは「可愛い」という表現が勝つが、ちゃんと男らしいところもある。
そんな巡の妻である千尋には、夫に対する文句は無かったが、気掛かりなことはあった。
巡はよく女に絡まれる性質だったのである。
本人は「朴訥×朴念仁=超ニブちん」で、女たらしではない。
が、その気質から何かと面倒事に巻き込まれ、その際に女に絡まれることが多かった。
幸い、浮気や不倫までは至っていないが、押しに弱いところがあるので、千尋はそこだけが気掛かりだった。
「今日は『なるべく早く帰る』って言っていたのに…何でこんなに遅いんだろ」
イライラが募っていた千尋は、段々と心配になってきた。
もしかしたら、また面倒事に巻き込まれ、どこぞの女に言い寄られているのではないだろうか…?
そう思い至ったが最後、千尋は全身からド迫力のオーラを立ち上らせた。
この千尋、普段は大人しく、物分かりの良い妻だったが、たった一つ性格に問題があった。
非常に嫉妬深く、執念深かったのである。
「やるか…」
愛用の機織り機に腰かけると、糸巻きを手に取り、某仕事人張りに口に糸の端を咥え、爪先で弾く。
「うおおおおおおおおおおおおおおりゃあああああああああああああああ!!!」
それはまさに鬼気迫る迫力だった。
残像しか見えない手さばきで機織り機を操り、みるみる機を織って行く。
そうしてしばらくすると…
「よし、完成!」
一枚の襟巻きが織りあがった。
これには日頃、密かに採取していた巡の頭髪も織り込んである。
そうして、千尋の怨念が宿った襟巻きは、奇怪なことに蛇のように鎌首をもたげた。
「いい?あなたには、うちの旦那を探して欲しいの。たぶん、町の中に居ると思うからよろしくね!」
生命を得た襟巻きは、了解したように頷いた。
そして、早速家の外へと向かう。
それを追う千尋。
「今日という今日は、きっちりお説教しなきゃ!」
襟巻きはスルスルと蛇のごとくのたくり、千尋を先導していく。
やがて、一軒の店の前で止まった。
千尋は眼を三角にして、その暖簾をくぐった。
「たのもう!」
「らっしゃい」
そこは蕎麦屋だった。
店内は飯時が過ぎたせいか、落ちついている。
店主だろういぶし銀の老人が、しかめっ面で千尋を見やる。
その迫力に、千尋は一瞬気圧されたが、思い直して店主に話しかけた。
「あの、ここにこれこれこんな感じの殿方が来ませんでしたか?」
「あん?何だお前さん、客じゃねぇのか?」
「実は夫を探しておりまして…」
事情を話すと、墨田 二八と名乗ったその店主は、しばし考えてから手を打った。
「そういやぁそんな坊主が来てたな。けど、うちで蕎麦餅を買ってとっとと出て行ったぜ」
「…そうですか」
千尋は例を言うと、店を出ようとした。
が、そこで二八に呼び止められた。
振り返る千尋に、二八が言った。
「余計な気遣いかも知れねぇが、あんたの旦那に、女の影が見えたぜ」
千尋の全身から再び嫉妬のオーラが立ち上る。
「女の影?」
「ああ。何か、一緒にいた同僚連中に『女が気に入りそうなものを取り扱っている店はないか』とか聞いていたようだが」
「そうですか…ありがとうございます」
丁寧にお礼を言うと、千尋は店を後にした。
「女の影…女が気に入りそうなものを売っている店…まさか、浮気相手に貢ぐ気…!?」
こうしてはいられない。
再び動き始めた襟巻きを追い、内心嫉妬に狂いながら千尋は町中を進んだ。
と、再び一軒の店の前で止まった。
店名は「針女屋」とある。
「反物店…?そ、そうか!女に着物を貢ぐ気ね…!」
「いらっしゃいまし…あら!?」
店の中にいた女の店番が、驚いたように口に手を当てた。
「千尋ちゃんじゃありませんの!」
「社長!…じゃなかった、お静さん!」
そこにいたのは、千尋の顔見知りであるお静という女だった。
「一体どうしたの?こんな時間に珍しいですわね」
「お、お静さん!実は…」
千尋はお静に一切合切を話した。
夫が帰らないこと。
どうやら、外で女を作っていること。
そうして全てを話し終えると、千尋は悔しさからわんわん泣き始めた。
お静はしばし逡巡した後、意を決したように店の大福帳を持ってきて広げた。
「十乃さんには内緒にしてくださいね?」
「?」
大福帳をめくると、お静は帳簿のとある頁を指差した。
「ほら、十乃さんから頼まれた注文がこれですわ」
「やっぱり!女ものの着物…!きぃいいいいー!!!!」
引きちぎらんばかりに袖を噛む千尋に、お静は静かに告げた。
「落ちついて。着物の丈や色、柄をよくご覧になって?」
親の仇でも見るように帳簿を見ていた千尋は、ふとあることに気付く。
「この丈…私と同じ…それに、色や柄は私の好みの…」
お静はクスリと笑った。
「もうすぐなんでしょう?結婚記念日」
その一言で。
千尋は全てを察した。
おそらく夫は、自分への贈り物を買うために、密かにこんな時間まで町をうろついていたのだろう。
「贈る品物がなかなか決まらなかったって、十乃さんが仰ってましたわ」
お静の言葉に目元をぬぐうと、千尋は立ち上がった。
「お静さん…ありがとうございます!」
元気に笑い、千尋は礼を言った。
そうして、お静に見送られ、千尋は店を後にした。
その足取りはとても軽やかだったという。
いい話過ぎて、あなおそろしきことなり。