第四話 彭侯…?
昔々。
とある森の奥に一本の巨大なクスノキが生えていた。
樹齢千年は軽く超えるであろうそのクスノキには“彭侯”という妖怪が宿っており、森に入り込む人間を惑わせたという。
「やれやれ…道に迷っちゃったかな」
その“彭侯”の森の中で溜息を吐いたのは、一人の若者だった。
名前は十乃 巡。
付近の村人である。
彼は病気の妹を治すという薬草を求めて、この森へとやって来たのだった。
が、あえなく迷子になった困ったちゃんである。
「この森には“彭侯”という妖怪が出るって話だし…早く薬草を見つけて帰らないと、妹の美恋の『お兄ちゃん好き好き病』が治せない…」
妹の病のせいで、心身ともに限界を迎えつつある巡は、割と必死だった。
その時である。
「何者か?」
風が木々をざわめかせる中、凛とした女の声が辺りに響き渡った。
ハッとなって顔を上げる巡の目に、一人の女の姿が映る。
平安貴族のような十二単をまとった、美しい女だった。
「あ、貴女は!?」
「妾は“彭侯”じゃ」
「ええっ!?」
驚く巡。
女は目を細めた。
「人間よ、この森に何の用じゃ?」
「あ、は、はい!実は赫々云々、云々早々でして…薬草を持って帰らなければいけないんです」
「ほう…」
“彭侯”は少し考え込んだ。
「ちなみにその薬草とやらは何というのじゃ?」
「はい。確か『マシロソウ』という…」
ゴブァ…!
「…草でして…え?」
そこまで言って、巡は絶句した。
見れば“彭侯”の全身から物凄い殺気が立ち上っているではないか。
“彭侯”は笑顔になって告げた。
「ふむ。じゃあ、死ぬがよい♡」
カッ!
“彭侯”が振り上げた腕から、凄まじい衝撃波が放たれる。
「うわぁぁぁッ!」
決死の思いで身をよじる巡。
何とか避けられたものの、衝撃波は地面を抉り、遠くの山に命中。
地形を変えるほどの威力を見せてから、ようやく霧散した。
それを目にした巡が地面にへたり込む。
同時に全身から冷たい汗が噴き出した。
「な、な…」
口をパクパクさせ、言葉にならない言葉を吐く巡に“彭侯”は告げた。
「この森にある花草石木は押し並べて妾の子も同然。それを盗み漁ろうとは万死に値する大罪じゃ」
冷酷な瞳でそう告げると“彭侯”は再びその手に力を集束させる。
「次は塵と化してくれよう…!」
「うわわわわっ!落ちついてください、樹御前様!これはあくまで短編集上の演出でして、本当に森を荒らすつもりは…!」
「問答無用!」
“彭侯”の腕が振るわれようとしたその瞬間。
不意に森の中に祝詞のような歌声が響き渡った。
同時に、無数の蔓草が伸び“彭侯”の腕を絡め捕る。
「な、何事じゃ!?」
「それはこちらの台詞です、お姫様」
清廉な声が周囲に響き渡る。
木々がさんざめき、森全体がかしずくように静まると、二人の前に高貴な雰囲気をまとう麗人が姿を現した。
その姿は平安貴族の姫君そのもので、玉虫色の光沢を放つ黒髪と人外の美貌が異彩を放つ。
「樹御前様!」
巡が思わず声を上げる。
それに樹御前…木々の精霊たる“彭侯”が微笑みかけた。
「久しいのう、人の子よ。今日は女の子ではないのかえ?」
全てを包み込むようなその微笑に、巡はようやく人心地がついた気がした。
そして、ハッとなる。
「あれ!?じゃあ、こっちの“彭侯”は一体…!?」
「それはの…妾じゃー!」
絡まった蔓草を引きちぎり、十二単をバッと脱ぎ捨てると、その下から薄く化粧をし、お洒落に盛った茶髪に天女の様な衣をまとった少女が現れた。
それを見た巡が大声を上げる。
「あ、貴女は乙輪姫!?」
「そうー!完全無欠ー、絶対無敵のー、神代カリスマJKー」
クルリと回転すると、目元で横ピースをする少女。
「“天逆毎”こと乙輪姫ちゃんでーす♡」
てへぺろと舌を出す乙輪姫。
唖然となる巡の横に、樹御前がしずしずと歩み寄る。
「毎年『なかなか出番がないー!』とお姫様が騒ぐのでな。妾に回ってきた役柄を代わって差し上げたのじゃ」
そう言うと、樹御前は抉れてしまった森の大地を見やり、溜息を吐いた。
「…じゃが、結果はこの有様よ。よって、強制的に捕縛したのじゃ」
「だってー、いくら『めぐるん』でも妾のマシロソウに手を出すのは許せないしー」
プンと膨れる乙輪姫。
何を隠そう、マシロソウには乙輪姫の想い人である弥空媽の魂が宿っている。
なので、それを摘み取ろうという巡に、
「ちょーっと殺意が湧いちったーwえへへー、めんねーw美恋には内緒にしてーw」
さっきまでの殺意はどこへやら、乙輪姫が能天気に笑う。
が、その目が「あ、でもー、今から採ろうとしたらー、マジで殺るからー」と告げている。
巡はゾッとなりつつも、樹御前に頭を下げた。
「とにかく、助けてくださってありがとうございます…それであの、妹の病気は…」
「諦めるのじゃな、人の子よ」
そう言うと、樹御前は珍しく肩を竦めて苦笑した。
「どんな薬草も『恋の病』だけは治せはせぬゆえ」
恋とは、あなおそろしきことなり。