19.地上
僕らはエレボスのビルを去り、甲斐とヨシとシュウの上層の3人と、僕と三島の下層の2人で揃って地上に出た。
この地上に立って辺りを見渡すと、その世界のおかしさを改めて思い知らされる。ビルの窓から見たように、やはり空は異様な色相で、生き物のように常に蠢いている。そして、黒いキリンのような巨大な生物の影が、壁に貼られた切り絵のように空に張り付いている。
ビルからは見えなかったが、なぜか地上は浸水していた。冷たい水がくるぶしぐらいの所まで浸かっている。どうやら水は西から東のほうへゆっくりと流れているようだ。当然僕らの靴はずぶ濡れになり、歩くたびに水がバシャバシャと跳ねる。もはや浅い小川の中を歩くような感覚に近かった。
そして街は少しだけ霧がかかり、ビルから発せられた光によって、それはぼんやりと照らされている。
街を歩く人間らしき者たちは、甲斐やシュウやヨシのように、得体のしれない不気味な者ばかりで溢れていた。コマ送りのように歩き、歩いた軌跡がわかるほど残像がたびたび残る。たまに処理が遅れた映像のように止まり、さらに動きが少し巻き戻るような挙動も見られる。
彼らは上層を見る人間だ。下層を見る僕が気軽に話しかけたところで、意思疎通は不可能だ。
今のところ、この街にはそんな不気味な者たちで溢れ、僕らのような普通の姿をした人間はいない。つまりここにはレ教の人間はいないと判断していいのだろう。
この世界は退廃的で無機質で、うっそうとしていた。まるでシュールな絵画の中にいるようだった。
「ここは塔が見当たらないな」
ビルの間から見える空を見ながら三島が言う。
「ええ。西側の空にあったはずです。エレボスは塔にヒロがいると言ってましたが」
三島はため息をつき、眉間にシワを寄せる。どうも納得がいかないとでも言うかのように。
「まあいい。ところでキョウくん、思い出の場所、全く心当たりはないのか?」
三島が僕に問う。
「エレボスには言いませんでしたが、実はさっき思い出してはいたんです」
「なるほど。場所はどこだ?」
「『第三公園』という場所です。ここからなら車で行けば30分程度でしょう」
車か、と三島は言って、ここへ来るときに乗って来たSUVの前に立つ。黒いSUVだったはずだが、ここでの色合いもやはり不気味なものに変わっていた。ノイズが走った映像のように、ボディの表面を色相が蠢いている。道路を走る車を見ると、どの車も同じ様相だった。
「この世界で運転する自信はないな」
三島が言う。確かにそれは三島の言う通りだった。なぜなら人々は不規則に縦横無尽に歩くために、その動きは予測ができそうになかったからだ。立ち並ぶ信号の色もどこかくすんでいて、赤青黄色の判別がつかない。道路標識も表示は大きく歪んでおり、とうてい理解できないようなものに変わり果てている。こうなるとこの世界で道路交通法を守って運転などできそうにない。いとも簡単に人を轢いてしまいそうだ。
三島は携帯を取り出し電話をかける。甲斐らしき者がその電話を取ると、やはりまた意味不明な言葉を発した。
「甲斐、第三公園という場所に行きたい。わかるか?」
甲斐は何か言葉を発し、返事をしている。その内容は当然わからない。
三島が、頼むと一言言って電話を切った。すると甲斐らしき者はその車の運転席に乗り込む。三島と僕もドアを開けて後ろへ座る。ヨシとシュウも助手席と後部座席へ乗り込んだ。まだどちらがシュウで、どちらヨシなのかわからない。
車は音もなく走り出し、この不可解な浸水した道路の水をかきわけながら進んでいった。
霧がかかり、そしてそれがビルの明かりで照らされていることで、前方をはっきりと見通すことはできない。僕らにはそう見えているが、きっと上層では霧はない。しっかりと順路を進んでいる。僕はそれを信じて、外の景色をなるべく眺めないようにしようと思った。外を見ていると全てが不安になりそうだったからだ。
「それで、その第三公園が君たち2人の思い出の場所で間違いないのか?」
僕は三島の言葉に肯く。
「ええ。間違いないです」
「そうか。着いたら話を聞かせてくれ」
僕はわかりました、と言って思わず窓の外を見てしまう。
少し外を見ても、まるでどこへ向かっているかわからなかった。終わりそうにない霧の中を車は進む。その霧の中から突然現れるビル、人間、車。きっと下層の僕らが運転していたらすぐに事故になってしまうだろう。だが上の3人がしっかり僕らを運んでくれている。
僕は外を見るのをまたやめる。予想通り不安は大きくなる。
今から向かう思い出の第三公園。そこにヒロはいるのだろうか。