13.情報屋の男
ヘリコプターで夜を明かした後、僕らは自分の街に降ろしてもらった。そして自宅で少しだけ仮眠をとることができた。そして昼頃、三島に指定された場所へ僕らは向かった。到着したのは大企業のビルが集まる街の中心地だ。住所通りに来たら、とてつもなく大きな黒いビルの前だった。
しかしビルには屋号も何も書かれていない。そしてどこか無機質なビルだ。大きなエントランスのわりに、他のビルと違って人の出入りも一切ない。本当にこんなところにエレボスという人間がいるのだろうか。
人通りはかなり多い。あの塔が現れた時は、街には人気がほとんど無かった。しかし塔からの脅威がないことがわかったのだろう。人々はすでに街に戻ってきていた。
通りに黒塗りのSUVが一台到着する。三島と甲斐がそこから降りてきた。ヒロのアパートに来たときと同じ格好だ。きっと彼らの仕事着なのだろう。
「やあ。少しは眠れたか?」
三島が僕らに尋ねる。僕らは肯くが、実際のところあまり眠れてはいなかった。昨夜の徘徊者に襲われた恐怖感がずっと頭の中でフラッシュバックしていたからだ。あんなのは初めての経験だ。それはシュウとヨシも恐らく同じだった。
「ならいい。では行こう」
三島がそう言うと、早速エントランスへ向かう。僕らは三島と甲斐の後ろについていった。大きなエントランスの自動ドアは、何の躊躇もなく普通に開いた。セキュリティは無く、あまりにも無防備なものだった。本当にこんなところにエレボスがいるのだろうか。僕は改めて思った。
ビルに入ると、最上階まで突き抜ける大きな吹き抜けが出迎えた。日の光が天井から差し込んでいるが、照明は何もない。そのためとても薄暗い場所だった。人の気配はなく、BGMも何もない。おかげで僕らの足音が異常なまでに響き渡った。
横長の大きな受付には一人、赤いスーツを着た黒髪の女性だけが座っていた。こちらが話しかける前に、僕らに気づいた女性は笑顔で一礼する。
「伺っております。ご案内します」
受付の女性はそう言って立ち上がり、タイトスカートに高いピンヒールをカツカツと鳴らしながら、僕らをエレベーターまで誘導する。僕らはそのエレベータに乗り込んだ。女性も一緒に乗り込むと、最上階のボタンを押した。
ドアが閉まり、女性は話すこともなく、ただ操作盤のほうを向いていた。その間僕らも黙っていた。無言の中、このエレベーターが登る静かな音が、余計に緊張感を高めるようだった。
しばらくして到着の音声が鳴り、ドアは開いた。女性はドアを押さえ、右手を開き奥を指し示した。そして満面の笑みで言った。
「一番奥に彼はいます」
僕らがエレベーターを降りると、女性はまたそれに乗り込み、下へ降りていった。降りた先は、一面何も置かれていないフロアが広がっていた。ビルの太い柱だけが立ち並び、設備や什器類は一切置かれていない。それどころか天井は剥がれ落ち、配線のようなものがところどころむき出しになっていた。床のフロアマットも所々欠落している。そこはまるで廃墟ビルのようだった。
このフロアの全方位が、床から天井までのガラス張りの窓になっており、日光がビルの中に差し込む。だがここも一つとして照明がないため、かなり薄暗く感じられる。
受付の女性の言うとおりに奥へ進むと、一番奥の窓際に横長の木製の机が置かれていた。その横で窓の外のほうを向いて、人が立っているのが見えた。あれがエレボスなのだろうか。僕らは三島について恐る恐るそこへ歩いていく。
机の目の前まで来ると、その人間はダークスーツを着た男性であることがわかる。窓越しに景色を眺めているようだ。こちらにはまだ振り向かない。どこかただならぬ雰囲気が漂っていた。
横長の机の前には、木製の椅子が5つ並べられていた。三島と甲斐、そして僕とシュウとヨシの分ということだろうか。5人が来ることは最初からわかっていた、とでも言うかのようにそれは置かれていた。
「どうぞ掛けてくれ」
男は窓ガラスの向こうを見るのをやめ、ようやくこちらに振り返って言った。男は恐らく40代ぐらい。背は高い。ダークスーツを着込み、ネクタイをしめ、髪をオールバックに潔癖までにきれいに整えている。
そして、なんだかわからないが、その姿に人間味がない。このビルのように無機質で冷徹さを醸し出していた。そしてそれが彼がエレボスであることを裏付けているような気がした。
「立ち話はしたくない。どうぞ掛けてくれ」
男は改めて言うと、僕らはその言葉通りに一人ずつ椅子に腰かける。するとその男も、すぐ横の大きな椅子に腰をかけた。
「さて、三島くん、甲斐くん、シュウくん、ヨシくん。そして君がキョウくん、だね?」
男は一人ずつ僕らの顔をじっと見ながら名前を言っていった。顔と名前は一致している。情報屋であることは確かなようだった。
「あんたがエレボス?」
三島はまず尋ねた。男は肯く。
「いかにも。三島くん。はじめまして。そしてこの度は二回目のご利用ありがとうございます。だが、ちょっと今回の案件は重たすぎる」
「重たすぎる?」
「まあいい。手短にいこう。お互い時間は限られている。まずキョウくん、音声を聞かせてくれるかな?」
彼は僕がヒロの音声を持っていることを知っているようだ。このことは僕らしか知らないはずだ。僕は疑問を感じながらも携帯電話を取り出し、最初にヒロからあった電話の音声を再生した。その間、エレボスという男は眉一つ動かさず、じっと僕の顔を見て音声を聞いている。
「なるほど。これが事件の後のヒロくんからの電話」
「ヒロのことを知ってんのか?」
シュウが尋ねるが、エレボスという男は手の平をこちらに向けて制止する。
「世の中の大体のことは知ってる。君らがここに来た理由も知ってるし、ここ最近君らに何があったかも知ってる。だから『なぜ知ってる?』とか『どうやって調べた?』とかそういう質問は不要だ。いちいち答えるのが面倒だ」
シュウは苦虫を嚙み潰したような顔をする。どうやら僕らに起きた事の顛末は全て知っているらしい。今はこの男の話を一方的に聞くしかないようだ。
「とにかく、この音声の解読をお願いしたい」
三島が言う。だがエレボスという男は鼻で笑って言う。
「ここでは無理だな」
「どこならできる?」
だがエレボスは首を横に振る。
「ここでは無理だ。この音声はこの世では解読はできないということだ」
エレボスという男は少しだけニヤリと笑って言う。
「言葉足らずだったかな。ヒロくんはこの世界とは違う場所からメッセージを送っている」
「この世界とは違う所?」
僕は尋ねた。エレボスは肯く。
「我々が見る現実より下の層。『下層現実』。そこから君たちに発信している」
僕と三島はお互い黙って見合わせる。しかし三島もその言葉に、何も見当がついていないようだった。下層現実。ヒロはそんなとこにいるとこの男は言う。
「現実は一つだが、現実の見方を変えると、違う現実が見える。彼はそこからこの世界を見ている」
「それは何かの比喩か?」
三島が問う。
「いや、文字通りの意味だよ」
エレボスが言う。
その言葉に三島は顔をしかめる。エレボスはその様子を見て、また鼻で笑う。どうにも僕らが理解できかねていることに笑っているようだった。
「無理もない。では、実験しよう。ある研究者が提唱した理論がある。ここに黄色いサングラスがある。シュウくん、かけてみてくれ」
エレボスはシュウにサングラスを投げる。それを受け取ったシュウは、言われたままサングラスをかけた。黄色いレンズのただのサングラスだ。何の仕掛けもなさそうだ。
「あの窓の向こうの空、どう見える?」
エレボスがシュウに問う。
「どう見える、ってただ空が黄色くなっただけとしか」
「そう。同じ空でも、サングラスをかけた彼には空が黄色く見える。私には青く見える。そうなると私と彼とでは、空の色について話がかみ合わなくなる。つまり同じものを見ても、見え方が異なるということだ」
シュウはサングラスを外し、エレボスにそれを投げ返す。エレボスはそれを手でキャッチした。
「だが、これは単に色味が変わっただけだ。研究者はさらにこんな単純なところから研究を発展させた。では、色味以外も変えたらどうなるのか。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。人間の五感を変えてみた。そして、ついには全く異なる世界が見えた」
「全く異なる世界?」
僕は言う。
「そう。それが下層現実。このサングラス以上に、我々がいる上層現実を見る人間と、下層現実を見る人間は話が全くかみ合わなくなってしまう。よってこの音声はここでは意味不明だ。現実はあくまで一つだ。だが、見え方を変えると、そこは違う世界になる」
「つまり、ヒロはそこにいると?」
僕は尋ねる。
「どんな手を使ったかわからないが、ヒロくんは現実の見方を変え、下層現実に辿り着いた。そして…」
エレボスは続けた。
「…そして、君たちが見つけられなかった、あの辿り着けない塔も下層現実にある。きっとヒロくんはそこにいる」