11.圏外での着信
現在の時刻は午後1時15分。
僕らはクレーターの傾斜を降りていき、その中心部にようやくたどり着いた。まさに爆心地だ。だいぶ風化していて足元はわりとフラットになっている。そのため容易にここまで降りてくることができた。
少し先では、やはり政府のヘリコプターが煙を上げて炎上している。あそこへは近づかないほうがよさそうだ。
そしてこの辺りを一通り探ってはみたが、何も手がかりになるようなものはなかった。爆発で掘り返された土しかない。当然ヒロもここにはいない。
「ヒロ!でてこい!」
ヨシの声がこのクレーターに大きく響く。風もないためそれは余計に誇張されるように響き渡った。だが当然返事などはない。
ヨシはその自分の響いた声に虚しさを感じたのか、舌打ちをして足元にある石を蹴った。ここまで来て何も収穫がないのだ。彼がかなり頭にきていることは無理もないことだった。
「塔もねーし、ヒロもいねーし。わけわかんねぇよ」
ヨシはそこに座りこんだ。それは僕も同じ気持ちだった。
僕は何気なく空を見上げる。雲一つない澄んだ青い空が広がるだけだ。本当ならここに塔があるはずだった。その塔は結局無かった。そしてヒロがいる様子も、手がかりもない。
僕らがここでできることはもう無いのかもしれない。何かヒロにつながるものがあればと思ったが、ここはただの不毛の地でしかなかった。せっかくここまで来たが、結果的に無駄足になっただけだった。
「何もないことがわかっただけでも収穫さ」
シュウが僕の心中を察したように言う。僕は力なく肯いた。
「帰ろう」
僕は座り込んでいるヨシに歩み寄って、肩に手を置いた。ヨシは静かに肯いて立ち上がった。
時間的にも僕らは帰路につかなければならなかった。どちらにせよ帰り道の途中で夜が来る。宇宙服を着なければ、徘徊者から逃れることはできない。僕らはこのクレーターの坂を登りはじめた。
しかし、いざ帰ろうと踏み出した途端、何かの電子音が響く。
携帯の着信音?
「キョウ、お前の携帯じゃないか?」
ヨシが言う。
僕はすぐに携帯を取り出す。僕の携帯が鳴っていた。画面にはヒロの名前が表示されている。おかしい。ここは圏外だ。鳴るはずがない。
「マジかよ。ここ圏外だろ?」
シュウが僕に尋ねるが、僕は何も応えることができない。
「とにかく出よう」
ヨシが言う。僕は皆も聞こえるようスピーカーの設定にして、電話に出た。
「もしもし?ヒロか?」
『よよよよよよよよよるるるるるるがががくくくくくるるるるるる』
「ヒロなのか?」
『ええええええええええええれれれれれれれれれぼぼぼぼぼすすすすすすす』
「ヒロ!」
電話はプツリと切れてしまう。僕らは黙ったままお互いに顔を見合わせた。ヒロの声かどうか判別がつかない程に、エコーがかかったように音声は乱れていた。
「『夜が来る』、あと『えれぼす』?って言ってたな」
シュウが言う。
「徘徊者なら日没までまだ時間があるぞ?」
ヨシが言う。
相変わらず電話をかけなおしてみても、圏外のために繋がらない。携帯は元通りどこへも繋がらない代物に戻ったようだ。ヒロが何かを僕らに伝えたかったのだろうか。ただその意味はまるでわからない。
夜が来る?
エレボス?
改めて考えても何一つわからない。
僕らは無言でそこに立ち尽くす。着信がまたあることを期待して、携帯の画面をただ見つめるしかなかった。
僕はしばらく携帯を見つめていると、一つ信じがたいことが目に入った。
携帯に表示される時計の進みが異様に早く動いていた。およそ3秒と経たないうちに、時間が1分進むのだ。
「シュウ、ヨシ、時計見せてくれ」
僕は二人の腕時計を見る。同じように時計の秒針がかなり早く回っている。やはり3秒ごとに秒針は一周してしまっていた。空を見上げると、太陽が目に見える速さで東から西へ動きはじめている。
間違いない。時間の経過が早くなっているようだった。
3秒で1分が経過する。ということはあと5時間弱で日没のはずが、15分経たないうちに日没が来ることになる。そうなればもうすぐ徘徊者が現れることになる。
「夜が来るってこういうことか」
シュウが言う。
「とにかく走ろう!このエリアから抜け出せば時間の流れが戻るかもしれない」
僕は言う。
僕らは走り出した。息を切らしながら、このクレーターの傾斜を駆け上がって行く。その間、太陽は凄まじい勢いで、西へ西へと傾き始める。
ようやく坂を上り終えたころには、時計はすでに午後3時を指していた。時計の動きは変わらず速いままだ。日没は6時半ごろだ。こんな時間の速さでは、恐らくあと10分経てば日没になってしまう。
もしかしたら、塔が消える境界線まで行かなければ、時間の流れは元に戻らないのかもしれない。僕らは走り続けた。宇宙服を着ることも考えたが、これを着ていては走ることができない。
ここからは瓦礫のせいで足場はとても悪い。砂嵐もまた出始める。そして日は落ち始め、だんだんと暗くなっていく。
しかし必死で走っている最中に、僕ら3人の時計のアラームが鳴る。これは元々時計に備え付けられた日没を知らせるアラームだった。
それに驚き、思わず3人とも立ち止まった。時計がすでに日没の6時半を指していた。気づかないうちに、さらに時間は早まっていたのだった。
「マジかよ。日没になっちまった」
ヨシが息を切らしながら言う。
僕らは背負っていたリュックを急いで降ろし、宇宙服を取り出そうとする。だが、それをするにはもうすでに遅かった。
徘徊者はとうとう現れ始めた。
徘徊者は日没とともに、いつも何もない所から、まずは薄い影として現れる。そして完全に日没となれば、その影は濃くなっていく。その後徘徊を始め、人を見つけて殺す。
僕らはいつもファミレスの窓からその様子を見ていた。いつもは安全な場所から見ていた徘徊者の薄い影が、生身の僕らの前後左右に無数に現れ始めた。何も隔てるものはない。
彼らは右往左往と練り歩き、生身の僕らを探しているようだった。まだ僕らを見つけられていない。だが、間違いなく確実に、僕らのいるほうへ寄ってきている。時間の経過と共に、だんだんとその影の色は濃くなっていく。
終わりだ。
こんなところで僕らは死ぬしかないのか。
「前も後ろも徘徊者だ。完全に囲まれてる」
シュウが言う。僕らは背中合わせに一つに固まる。僕らを囲むようにゆらゆらと徘徊者は歩き、その身体の色は色濃くなっていく。もはや逃げ道はない。
「ヒロ!なんとかしろよ!いるんだろ!?」
ヨシが叫ぶ。しかしその声は空しく響く。
じりじりと徘徊者は僕らに近づく。
その時、上空からプロペラの風切り音が聞こえた。
「キョウ、上だ!」
シュウが言うように、上を見ると、政府のものとは違うヘリがこちらに来るのが見えた。僕らの真上にヘリが空中で留まったのだ。
ヘリから男が顔を出し、声を発した。
「荷物捨てて、これに捕まれ!」
男はヘリから梯子をおろした。誰かはわからないが、僕らにはそんなことを気にしている暇はなかった。僕らはもっていた荷物を全て捨て、藁をも掴む思いで3人でその梯子に捕まった。
徘徊者はすぐそこまで来ている。太陽は完全に姿を消し、一気に辺りは暗くなった。
徘徊者の時間に切り替わったのだ。徘徊者は影を濃くし、完全な姿となる。そして僕らを見つけた無数の徘徊者は、ゆらゆらという気だるげな動きを急に止め、よつん這いになった。そして勢いをつけて、こちらに向かって走り出した。
「しっかり捕まってろ!」
僕らは荷物を捨て、上から降ろされた梯子につかまる。徘徊者はあと数メートルのところまで、砂埃を巻き上げながらこちらへ接近している。
もう少しで触れられてしまう。
その瞬間、梯子はぐいと強く上に僕らを引き上げた。
徘徊者は引き上げられた僕らに掴みかかろうと、飛び上がった。
しかし間一髪のところで、僕らには届かなかった。
ヘリと僕らは無事上空へ上っていった。
下には無数の徘徊者たちのうねりが出来上がっていた。