変化
日々の雑務はリア様の魔法で創られた式神がこなしてくれていた。αと言うメイド服を着た女型の式神は毎日完璧な家事をやってのける。御勤めの合間を見つけてはここへリア様が帰って来られるため、身の回りのお世話を出来るように僕も色々と彼女を手本に励んでいた。そしてもう一つ、僕には懸命に励んでいるものがあった。それは“転移魔法”と呼ばれる超高難易度魔法の習得だ。
『これが出来なければお話になりません。半年で必ず習得して下さいね』――そう言って微笑むリア様は意外な事にめちゃめちゃスパルタだった。
転移魔法は文字通り、自分の行きたい所へ一瞬にして辿り着ける瞬間移動みたいな魔法である。便利過ぎる魔法だが、失敗すれば時空の狭間から出てこれなくなる可能性すらある非常に危険な魔法でもあった。そのリスクは移動する距離が遠くなればなる程に上がり、僕は毎回死ぬ覚悟で魔法を発動させていた。
最初は外から家の中へ、それが出来たら家の中から森の中へ、そうやって徐々に飛べる距離を伸ばしていく。リア様の監視の下ではあったが、常に極度の緊張感と集中力を強いられるこの訓練は僕の力を極限まで研ぎ澄ませていくものだった。気付けば魔力の質も洗礼され、魔法を使う能力も向上していたのである。
リア様から合格を貰えたのは四ヶ月ほど経ってからだった。
翌年、僕は魔法使いを目指す子供達が入る魔法学院へと行く事になった。全寮制のため、寮の自室からこの小屋へ帰ってくるためにこの転移魔法が必要だったのだ。恐らく完全に校則違反ではあるが、僕はほぼ毎日クロス様のお世話をしにここへ帰ってきている。
この世に出る事は出来ずともセラフィナイトの名を継ぐ方である。僕は文字の読み書きだけでなく、礼儀作法やマナーについての教育はもちろん、護身術などの訓練も徹底して行っていた。それがダメだったのだろう。クロス様が僕に懐く事は無く、常に距離を取って恐れるようになってしまったのだ。ただでさえ子供の扱いなど分からない僕だ。仲良くなろうと努力しようにもその方法が分からず、気付けば遊び相手は僕の連れである小鳥のピィちゃんに一任してしまっていた。
楽しそうに追いかけっこをする様子を遠くで見詰めながら、今更ながらにサレアの凄さを思い出す。
――よくもまぁあんな可愛げの無かった僕を構いに来続けれたもんだ……クロス様くらい笑う子供だったならそれも分かるが……
そう思い、自分にだけは向けられない笑顔の存在に気付いてしまい、少しへこんだ。
この生活が三年ほど経った時、クロス様の顔から笑顔が消えた。ピィちゃんと遊ぶ事も無くなり、リア様が帰宅されても会おうとせず自室に籠る様になったのだ。理由を聞いても僕とは口を利こうとせず、リア様が来れば部屋に引き籠ってしまう……無理強いする事なく優しく接し続けるリア様とは対照的に僕はどう心配していいのかも分からず、声を掛けようとしてはその言葉を飲み込み、結果として僕に出来たのはそっとしておく事だけだった。
クロス様の笑顔が消えてから数ヶ月。ある日の洗濯の最中、衣服に血が付いている事に気が付いた。大急ぎでクロス様の部屋へ押し入り、無理矢理服を捲し上げて確認すると、その小さな体には自分で付けたであろう傷が至る所に付いていた。思わず声を荒げた僕に対し、クロス様は何の感情も見せる事なく俯いたまま……。
その時、僕は思い至った。もしかしてこの子は、全てを理解してしまったのではないのかと――
僕のように知能の発達が早い子ならば六才でも分かったのだろう。兄と自分の違いを、それが意味する自分の立場を……そして今の自分へ絶望した。
僕がクロス様の立場なら、生きている意味を見出せないと思った。この世界に自分の居場所は無いのだと、思ってしまったんだと分かった。
しかし僕は抱きしめてあげる事も出来ず、ただリア様に報告を上げた。
数日後、僕はリア様の命によりクロス様を連れてある広場へとやって来ていた。決して誰の記憶にも残らぬよう変装をし、民衆に紛れてその時を待つ。
クロス様のためだけに行われたリア様の祈りに、それを知らぬ民が涙する。その光景に一瞬伏いたクロス様だったが次第に様子は変わっていった。目には輝きが戻り、その表情は何かを悟ったようにキラめいている。流れる涙を見て、僕は微笑みながらその姿を見守ったのだった。
その後、クロス様は以前と比べ物にならないくらい全ての事に全力で取り組むようになった。何かを決意したかのような晴れやかな表情を見せ、僕にも時折笑顔を見せてくれるようにもなった。そんな変化を嬉しく思いつつ、それでも僕は上手くそれを伝えられないままさらに四年の月日が経った。
クロス様が十の歳になる頃、魔法学院を卒業した僕はその上の魔法大学院で最終学年の四年目を迎えていた。聖魔法を扱える者として白魔法騎士の資格を得、その最上級職である聖魔法騎士への配属も決まっている。セラフィナイトの専属騎士になるべく着実な歩みを辿る僕だったが、ただ一つ、悩みの種があった。
リア様とクロス様、このお二方と暮らし始めて早七年。未だにクロス様との距離感は掴めずにいた。例の一件以来、僕に心を開こうとしてくれているのは分かっている。しかし、それを嬉しく思いつつも受け止めれていないのが現実だった。
『カノン、何事も素直が一番ですよ? 思っている事は口に出し、態度に出さなきゃ伝わらない。子供には特に、ね』
そうリア様にアドバイスされた事もあったのだが、そのタイミングを掴めず今に至ってしまっている。今日もそんな悩みを抱えつつ帰宅すると、居るはずの人物が見当たらない。
――いつもならとっくに自主練から戻ってる時間だ……リア様の式神の姿もない……
嫌な予感を覚え、僕は慌てて外へ飛び出した。追跡魔法で二人の痕跡を追い掛けると、家からだいぶ離れた森の中で今にも消えそうなアルファが魔物の死骸に囲まれて倒れているのが目に映った。何者かに魔力を封じられ、その身は無残な程に引き裂かれている。人ならばまず生きてはいないだろう。
「何があった!?」
「カノ、ン……様……」
急いで駆け寄り、声を掛けた僕へ、アルファの無機質な声が返される。本来、与えられた命でのみ動く式神に感情などは存在しない。しかしアルファの顔には自分の力不足を嘆く、悔恨の念が見て取れた。
「申シ訳、アリマセン……報告モデキ、ズ……クロス様、ガ……」
「いや、この状態でよく消えずに残ってくれていた。後は僕に任せて、アルファはリア様に至急報告しに行ってくれ」
そして僕は封じられたアルファの魔力を元に戻し、リア様の下へ帰還するよう命令を下す。
「カノン様、オ気ヲ付ケヲ……コノ先ハ禍々シイ気配デ満チテオリマス。魔物モ影響ヲ受ケ、凶暴ニナッテオリマスノデ」
「ああ。正直、この先にクロス様がいるだなんて信じたくないな……アルファ、リア様に……頼んだぞ」
「了解シマシタ」
アルファが人型から粒子へと変わり、淡い光となった姿でリア様の下へと飛んでいった。僕はそれを確認し、クロス様が行ったと思われる方角へと向きを変える。そびえ立つ山々が岩肌を剥き出し、そこはまるで厳かな霊峰のようだ。
――いや、霊峰と言うよりは魔境といったところか……魔素濃度も異常に濃いし、何より感じる気配が不気味過ぎる……
ここは僕ですらリア様に近付く事を固く禁じられている場所でもあった。クロス様も常日頃からしっかりと言い付けを守っていたはず、なのだが……
「なぜ約束を破って行ってしまったんだ……」
家の周囲には魔除けの結界がリア様によって施されている。訓練中のクロス様には条件付きで一定の範囲でのみその結界から出る事を許されていた。
「不満とか聞いた事なんてなかったんだけどな……くそっ、帰ったら説教してやる」
僕は気を引き締め、クロス様の後を追ってその魔境へと急ぎ足を踏み入れたのであった。
******
――くそっくそっ、くそっ!!!!
殺しても殺しても次から次へと魔物が湧き出してくる。通常の魔物よりも遥かに高い魔力、そして厄介な事にこいつらには知能まで備わっていた。こちらの行動を予測して連携を取りながら絶妙な攻撃を仕掛けてくる。最奥に控える得体の知れないヤツに備え、魔力を抑えながら戦う事に焦りばかりが募っていく。
「――次から次へと虫みたいに湧きやがってっ」
ギリッと歯を食いしばった時、僕に対峙する魔物の一匹がいやらしく嗤った。奴らは分かっているのだ。僕が何のためにここへ来て、何に対してこんな必死になっているのかを。
――そうか……僕が奪われる様を見て、嘲笑っているんだな……
懐かしい感覚が僕の全身を駆け巡る。頭が急に冴えわたり、焦っていた気持ちが嘘のように静かになった。しかし昔とは明らかに違う事が一つ……僕の心に、自分でも抑えきれない激しい怒りが渦巻いていた。
「……お前ら如きが、僕から奪えるなどと思うなよ」
深く体を沈め、腰に差した剣を握り、抜刀体勢をとった。
「一ノ戟……“雷光一閃”」
閃光の如き剣戟が放たれ、前方の魔物達が一瞬で細切れになり吹き飛んだ。僕は力を抑えるのを止め、全力であの子の下へと進んでいく。もはや後先の事などどうでもよかった。
――頼む……どうか、無事でいてくれっ
神に祈る思いで、僕はひたすらにそう願ったのだった。
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何でこんな所にいるのか、どんなに記憶を遡っても分からなかった。ここは兄さんとカノンから絶対に行ってはいけない場所だと何度も念を押されていた所に違いない。訓練に遠出をし過ぎてしまったという自覚はある。だが、そっからの記憶が無い。気が付いたら俺はこの恐ろしい場所に立っていたのだ。
岩と岩が折り重なるように出来たこの空洞には目に見えない何かがいる。魔素と瘴気が色濃く漂い過ぎていて、俺の目の前は黒い霧に覆われていた。底冷えするような恐怖心だけが俺の心に広がっていく。
「兄さん……カノン……」
言い付けを破ったのは自分なのに、この恐ろしい場で俺に出来るのはただ助けを願う事だけだった。不安は更なる不安を招き、俺の思考は次第に諦めへと変わっていく。
――兄さんは……帰って来て俺が死んでたら、悲しむかな……守ってもらうばっかで、まだ何も返せていないのに……
包み込むような優しい愛情をくれる兄の事を思い、俺は自分の不甲斐なさを嘆いた。
――カノンは……どうだろうな。怒って、悲しんで……くれるかな……
いつも距離を置かれていた。離れれば近付いてきて、近付けば離れられる――そんな一定の距離を、カノンは常に保つのだ。兄に忠実なカノンから自分がどう思われているか不安だった。本当は嫌われているんじゃないか……認められていないのではないか……どんなに訓練を重ねても、どんなに努力を重ねても、その不安を払拭する事は出来ていない。
だから思う。兄の命でなく、義務でなく、一人の人間として見てくれていればなと――
そうだったら嬉しいな、と思った時だ。
「クロスっ!!」
「――――っ!?」
息を切らし、今までに見た事の無い必死の形相で、カノンが俺の元に飛び込んで来た。全身に魔物の血を浴び、衣服はボロボロ、その姿からはカノンが既に満身創痍な事が見て取れる。それでも俺はカノンが来てくれた事に心の底から安堵していた。それは心細さからくるものではなく、純粋に来てくれたと言う喜びからの安心感だった。
カノンは一目散に俺の所までやってくると、力一杯に俺の事を抱き締めた。その背中は目で見て分かる程に震えていた。
「カノン……俺――」
「話は後だ。クロス、僕が絶対に連れて帰ってやる。だからお前は僕をただ信じてろ」
「――うん」
カノンから向けられた優しい瞳に俺は思わず涙ぐんだ。徐にカノンが立ち上がり、俺と得体の知れない何かの間に立ち塞がる。俺はその頼もしすぎる背中を見詰め、必死に涙を堪えたのであった。