幼き頃の自分
優しい腕に抱かれながら、うつらうつらとする意識の中で話をした。夢と現実の狭間で、それはとても幸せな時間だった。
『君は"俺"より"僕"の方が似合いますね』
――……そうでしょうか
『ええ。子供らしくて私はいいと思います』
――リア様がおっしゃるなら……そうします
『おや、可愛い事を言ってくれますね』
――僕の神様が……言って下さった事ですから
『そう思ってくれるのですか? でしたら、私と約束をしましょうか』
――約、束?
『ええ。私専属の、従者として迎えに行きます。君はそのために努力をする』
――僕が……リア様専属の、従者に?
『貴方は稀に見る才能の持ち主です。その力を、私に貸して下さい』
――もちろんです……リア様を支える役目を、担えるように……僕、頑張ります
『では約束です。期待していますよ、カノン――』
目覚めると、そこは狭い部屋の中だった。ベッドに横になる僕の顔に、小窓から陽の光が降り注ぐ。まるで夢の中にいたかのような感覚を覚え、しかし、違和感しかない腫れた目と酷い頭痛が現実であったと教えてくれた。
コンコンと扉がノックされ、昨夜と同じ先生が朝食を持って入ってきた。俺の顔を見てひどく驚いている。
「まぁプラチナ、どうしたのですかその顔はっ! そんな泣き腫らすほど反省するなんて……」
「いや、これは……」
――そうか、リア様がいた事……僕しか知らないのか……
「はは……あはははっ!」
「プ、プラチナ?」
「――いえ、何でもありません。引き続きここでもっと反省します」
「え、ええ。ほどほどにね」
僕はとても清々しい気分で、それでいて少し優越感を感じながら、晴れやかな笑顔を見せたのであった。
******
一週間後、セラフィナイトに仕える使者が孤児院へとやって来た。僕を騎士候補生として迎えたいとの事ですでに院長とは話がついており、すぐにでもここを発つ事になっている。今は待合室で迎えの馬車を待っていた。
部屋の片隅に掛けられた鏡を見つけ、自分の姿をそこに映す。鏡の中に映る自分の顔に手を伸ばし、頬へ触れた。
――いい顔になったじゃないか。カノン
口元に笑みを浮かべると、胸ポケットから顔を出した小鳥が肩に飛び乗ってきた。
「お前、付いてくる気満々か? なら、よろしくな」
指で顎をくすぐると小鳥は嬉しそうに目を細める。その姿に愛しさを感じながら、僕は荷物からロザリオを取り出し自分の首にそれを掛けた。
「何も無かったはずなのにな……女神様のご加護、か」
そう呟いて十字架を握り締めたちょうどその時、馬車の到着を知らせに先生がやってきた。連れられて外へ出ると、馬車から少し離れた所でビスチがこちらに笑顔を向けて立っている。どうやら見送りに来てくれたらしい。片手を上げながら僕の方へ歩いてくると、さらに笑顔を深めて声を掛けてきた。
「聞いたぜ、すげぇ出世じゃねーか! 良かったなぁ、頑張れよ!」
「あぁ、あんたのお陰で起きた奇跡だ。本当に、感謝してる」
「お、おぉ……な、なんか素直過ぎてこそばゆいな……」
そしてもう二人、気まずそうにモジモジと木の陰に隠れる二人組がいた。
「……おい、隠れんぼしてんなら丸見えだぞ」
「そ、そんな子供っぽい事する訳ねーだろっ」
「そ、そうよ! わ、私達は……えっと、私達はね……」
しどろもどろになる二人を見て、思わずプッと吹き出した。二人は目を丸くして驚いているが、僕はもうそんな事は気にならない。
「相変わらず素直じゃないな。カシオ、ミリシア」
「え……お、俺達の名前……」
「覚えて……くれてるの?」
「そりゃあ一年近くあんなしつこく付きまとわれたらな。ほら、餞別だ」
カシオには僕の使っていた短刀を、ミリシアには僕が最後に読んでいた書物を手渡した。
「お前の体術は独学だろう? この短刀で落ちる葉を突き刺す訓練でもして近接攻撃を極めてみな。あとお前はこれを読み込んでみろ。少しは魔法操作の役に立つだろうさ。で、読み終わったら書庫に返しといてくれ」
「マ、マジ?」
「それ、私には本の返却がメインだよね……」
とミリシアは少し不服そうだったが、二人はまんざらでもなさそうに喜んでいる。そんな二人とビスチに向けて、僕は微笑みながら名前を名乗った。
「僕の名前はカノン。覚えておいてくれ」
「カノン……」
「お、おぅ。しょーがないから、覚えといてやる!」
「いい名前じゃねぇか。お得意さんとしてしっかり記憶しておくぜ!」
ミリシアはなぜか少し頬を染め、カシオは照れくさそうにそっぽを向き、ビスチはニカッと笑顔を見せた。そして僕は馬車に乗るため背を向けて歩き出すと、二人は大きな声で言う。
「カノン! 私達も、貴方に負けないよう勉強するわ! また必ず、会いましょう!」
「次会う時は簡単に負けたりしないからな!」
僕は小さく笑い、後ろを向いたまま片手を上げて三人に手を振ったのだった。
******
セラフィナイトが治める聖なる都のふもとの街、そこにある騎士養成学校で僕は個別に一般教養を学ぶ事になった。語学・数学・地理・歴史、魔法理論に魔法原理、そして選択制の武術・剣術を入れて日々寝る間も惜しんで勉学と訓練に励んでいる。
主に読書で得ていた独学の知識は足りない部分が多分にあり、基礎の無い戦闘技術はついてしまった癖を直すのに苦労した。それでも必死に学ぶ事約二年、十五の歳になる頃には自ら学びたいものを取捨選択できるくらいには余裕ができていた。
息も白くなり始めた初冬の夜、僕は人気の無い街外れの公園で、今日も一人剣を振る。風を切る音だけが響くその場所に、音もなくその人は現れた。
「こんばんは。精が出ますね」
「リ、リア様!?」
驚いた拍子に振った剣がすっぽ抜け、僕は間抜けな格好のまま固まった。
「ふふっ、約束通り迎えに来ましたよ。カノン」
「……へ?」
突然の事に、思わず間の抜けた声が出る。リア様はくすくすと笑いながら、僕に手を差し出した。
「私の予想以上に頑張ってくれた貴方を、従者として迎えに来ました」
「で、ですが僕はまだ何の成果も出せてなくて……」
「君がここで学ぶ事はもう然程無いでしょう。後は私の下で、私が教えます。一緒に、来てくれますね?」
「――――っ」
言葉にならない歓喜で僕の胸は一杯になる。熱くなる目頭を手の甲で拭い、僕は両手でしっかりとリア様の手を握り締めた。
「はい……全てを捧げて、お仕えします。もっともっと……頑張ります」
リア様は嬉しそうに微笑み、僕も笑顔を返したのだった。
そのままリア様に連れられて、やって来たのはどこかの森の小さな山小屋。こじんまりとした小さな小屋はとても温かいぬくもりを感じる造りになっていた。キッチンの付いたリビングには暖炉の優しい火が灯されている。そこを通り抜け、案内された部屋の前に立った。
「どうぞ、開けて下さい」
リア様にそう言われ、僕は部屋のドアを開けた。そこには見るからにふかふかそうなベッドが置かれ、お洒落な家具も備わっている。ステンドグラスのスタンドライトや木目の美しい勉強机、モザイク柄のカーペットの上には一人掛けのソファーまである。
僕はなんとなくこの場所の意味を悟り、リア様に尋ねてみた。
「あの、ここってもしかして僕の……」
「そうです。君の部屋ですよ。クローゼットや本棚の中身は私が君に合いそうなものを少し見繕いました。あとは貴方が、自分で増やしていって下さいね」
そう言って微笑まれ、僕はまたも目頭が熱くなるのを感じた。嬉しさと喜びが入り交じり、今にも感情が爆発しそうになる。そんな僕へ向き直り、リア様はさらに言葉を続けた。
「カノン。私から貴方へ、名を授けます。"エクセシア"――今日からそう名乗りなさい。そしてこれを貴方に……」
手渡されたのは純白のローブ。僕は放心状態でそれを受け取った。
「カノン=エクセシア。貴方が立派なセラフィナイトの騎士となった時、そのローブに証を施しましょう。私の横でそのローブを羽織ってくれる日を、心待ちにしています」
「――っはい! 必ず、ご期待に応えてみせます」
そしてリア様は嬉しそうに一度頷き、「さて!」と言って今度はいたずらっぽい笑顔を見せて手を叩いた。
「君に一つ、お願い事があるのです。聞いて頂けますか?」
リア様のお願いを断れる訳など無いのだが……お願いという単語に思わず身構えてから返事を返す。リア様は尚も同じ笑顔を浮かべたまま、「少し待っていて下さい」と言い残して部屋から出て行ってしまった。
待つことしばし――戻って来られたリア様の手には、幼い小さな手が繋がれていた。
「私の弟、クロス=セラフィナイトです。諸事情で詳しくは話せませんが、君にこの子のお世話を頼みたいのですよ」
「…………は、はぃぃ?!」
思わず自分の目と耳を疑った。驚きなど通り越して僕の思考は大パニックだ。もちろん白の王であるリア様に弟君がいた事も、その子のお世話を僕に任すと言われた事も、それはもう大いに驚いた。だがしかし、僕が大パニックに陥ったその理由は……
「察しの通りですよ。そしてこれが理由で、クロスをここから出す訳にいかないのです」
リア様が悲し気に微笑み、クロスと言う子の頭を撫でた。
――当たり前だ……この子供が世に出たら、とんでもない事が起こるぞ……
それはこの子供の見た目にあった。まだ三歳程であろう幼子の髪は、黒よりもさらに深い漆黒の色をしているのだ。
魔力の質はその見た目に顕著に現れる。特に髪色。それが漆黒という事はこの子供は間違いなく、黒い魔力の持ち主という事になる。
この世界の頂点に君臨する白魔法使いの王――それがリア様だ。セラフィナイトの名を一人で背負うただ一人の存在……その人物には弟がいて、その弟は紛う事なき黒魔法使いとなれば……この子供を世に出せないと言う理由は想像に難くない事だった。
この世界に住む人のほとんどはセラフィナイトの名を神聖視し、リア様を神のように崇拝している。そんな世界で漆黒の髪色をしたこの子供が血縁者と聞き、誰が信じるだろうか。熱心な信者がそれを受け入れられるだろうか。答えは否だ。白に混じる不純物とみなされ、肩身の狭い思いをしながら常に身の危険を感じる事になるだろう。そしてそんな事になろうものならリア様のお心がどうなるか……クロスと言う子を見詰める目を見れば、それも想像に難くない事だった。
「貴方の学び得た事をこの子にも教え導いて欲しいのです。この子が自分の運命を恨む事無く、心穏やかに過ごせるように……これは君にしか頼めません」
その言葉を受け、僕はクロスと言う子に目をやった。
――事情は違えど、この子は数年前の僕と一緒だ。自分で選択するにはあまりにも幼く、決められた場所で生きるしか術がない。僕よりも遥かに環境はいいが……
それでも、この子の背負う運命の重さは僕なんかの比じゃない程に残酷だった。
僕はリア様に視線を戻し、重い口を開く。
「……まともに育てられた記憶の無い僕が教え導くなど……弟君に失礼では……」
「そんなに畏まる事はありません。この子に寄り添ってくれるだけでもいい。良き師弟であり良き友であり、そして良き兄弟にも、君達ならなれると思うのです」
リア様が僕に優しく微笑む。反対に子供は不安げな目を僕に向けた。
なぜこんなにも年の離れた子供が弟なのか、なぜこの子の魔力は黒いのか……聞きたい事は沢山ある。だが元より断る選択肢など持ち合わせていない僕はそんな疑問には頭を振り、決意を込めて二人に向かい膝をついた。
「リア様の従者として、未来のセラフィナイトの騎士として、謹んでお受け致します。宜しくお願いしますね、クロス様」
そしてこの日から、僕にとって初めて尽くしの共同生活が始まったのである。
あと2話で完結します〜