懺悔、そして赦し
この町にはこんなに孤児がいたのかと思う程、そこには大勢の子供が集まっていた。まだ赤ん坊に近い子供から大人に近い子供まで、年齢もバラバラだ。
孤児院には院長先生と呼ばれる者が一人、そして先生と呼ばれる大人が他に沢山いた。ここの住人とセラフィナイトから派遣されたであろう大人が混じっているのが見て分かる。教養や品格と言うのはなるほど、こういう意味で必要なのかと俺は思った。
ここでの生活は俺にとって我慢の連続だった。規律と言う名の下、決められた時間に起き、決められた時間に食事をし、決められた役割を果たし、決められた時間に就寝する。自分の事は自分でやる、という事はない。皆で一緒に決められた事を守るのだ。正直すぐにでも出て行こうと思ったのだが、それを思い留まらせたのは孤児院に寄贈された書物達だった。
俺は独り立ちをしてからすぐに取り組んだことがある。それは勉強。言葉は話せても文字の読み書きが出来なければ色々と面倒だったからだ。
奪った金で小児用の学習本を買った。それが生まれて初めてした買い物。それで文字を覚えたら、落ちている新聞や書物を拾っては片っ端から目を通していった。そのお陰で俺はある程度の常識や学が身につき、気が付いたら使える魔法の種類も増えていたのである。
そんな経験からここで得れる知識の多さには魅力を感じていた。自由時間の大半を読書に費やし、知らない事は徹底して調べ上げる……そして一年経つ頃には書庫にある書物の大半を読破し終えたのであった。
今、俺の手にある物がここで読める書物の最後だった。今日も一人庭の木陰に腰を下ろし、その本を読み進めていく。そこへ俺と同室の男女二人組がやってきた。
「おい、名無しっ子! また一人寂しく読書かよ」
やんちゃそうな明るい茶髪のこいつはカシオと言う。俺と同い年の、何かと絡んでくるうるさい奴だ。
「ほんと、毎日飽きないわね。ジメっとしてる奴は嫌われるのよ」
高慢でいつも上から目線な黒髪の少女はミリシアと言う。こいつも俺と同い年の、カシオといつも一緒に絡んでくる面倒くさい奴だ。
毎回何かと理由をつけて突っ掛かってくるこの二人組を俺は毎回無視していた。それは今日とて変わらない。俺は目すら動かさずに読書を続けた。
「名前も無い根暗な奴が俺を無視してんじゃねーってんだよ!」
怒りに顔を赤くし、カシオが俺の読んでいた本を奪うように取り上げた。そして思いきり地面へ叩きつけると、なぜか得意げに笑って見せる。
――子供……だな
俺は呆れから小さな溜息をつき、立ち上がってその本を拾い上げる。そして場所を変えるため二人に背を向けた。
ちなみに俺を名無しと呼ぶのは俺が頑なに名を名乗らなかったせいだ。名前が無いだけなのだが、周りはそうとは思っていないらしい。先生などは俺の髪色を取って白金と呼んでいた。
ここに来て俺には二つの変化があった。三年ほど前から止まっていた成長がまたするようになったのだ。と言っても相変わらず年相応に。そして髪色が変わり出した。金色だった髪が徐々に白みを帯び、今ではプラチナブロンドと呼ばれる髪色になっている。
魔力の根源はその見た目に顕著に現れる。書物によれば、黒魔法使いはある一定の魔力になるとそれ以上は見た目での力量を測れなくなり、逆に白魔法使いは魔力が強くなればなる程その容姿も洗礼されていくとの事だった。だとするならば俺の魔力も日増しに強くなっているのだろう。ここに来てから魔法を使っていないため分からないが……
「おい、待てよ。待てって!!」
背後からカシオが怒鳴り声をあげる。だが俺は足を止める事なく無視し続けた。すると……
「そう言えば昨日荷物をまとめていたわよね? 質屋のビスチから色々受け取っているのを見たの。この中、何が入っているのかしら」
俺は歩みを止め二人の方へ振り返った。俺の荷物を掴み持つミリシアが不敵に笑い、俺が反応したのを見てカシオがニヤリと笑った。
「やっとこっちを見たな」
「ここの物は皆の物。自分の物があるなら取られないようにしないと、ね?」
「…………」
それは俺がここを出るために準備していた物だった。最後の書物を読み終えたら明日にでもここを出ようと思っていたのである。
――そうか……俺から、ただの子供が奪おうとするか……
俺は目を剣呑に細め、その雰囲気の変わりように目の前の二人がビクッと体を震わした。
「奪うなら……奪われる覚悟があるんだろうな」
「――っそ、そんな凄んでも怖くねーんだからなっ!」
「そ、そうよ! あなた相手に覚悟なんて――」
聞き終わる前に、俺は拳を握り締めカシオの懐に潜り込んだ。そして顎目掛けて思い切り拳を打ち上げると、カシオの体が宙に舞う。
――…………?
今度はミリシアへ向きを変え、再び拳を握った所で俺は動きを止めた。よく見ると何やらミリシアの手に魔法陣が浮かんでいる。片手を突き出し、その手は俺へと向けられていた。
「カシオ、大丈夫?」
「ってて……ああ、お陰でもろに食らわずに済んだぜ」
そう言って顎を擦りながらカシオが立ち上がる。
「いきなりやってくれたな」
「…………」
「どういう事だ? て顔だな。ミリシアは特殊な魔法が使えてな、俺とはこの町でずっと組んで行動してたんだ。息ピッタリだろ?」
「ふふっ、私が本気出す前に諦めてね。まだ完璧に扱えないから、間違って殺しちゃうかも」
なるほどな、と俺は思った。カシオに俺の拳が当たる瞬間、ミリシアは魔法でカシオの体を持ち上げたのだ。いや、もしかしたら重さを無くしたのかもしれない。
俺は子供だからと侮った事を素直に反省した。ここに居た事で無意識に魔法を使わないよう制限を掛けていたらしい。
「……殺るか殺られるか……俺の世界はそれだけだったはずなのに……」
「な、何言ってるのよ。私の魔法は最強よ!! 本当に死んじゃうわよっ」
「やってみろ。その微妙な重力操作で俺を殺せるなら、な」
「――っ!?」
「チッ、くそ!」
今度はカシオが俺の懐に飛び込んできた。子供らしからぬ動きで攻撃を連携させ撃ち込んでくる。避けようと後方へ飛び退くと、急に地面へ引っ張られるような感覚を覚えた。まるで根が張ったように足が大地にくっ付き、体が鉛のように重くなる。そしてカシオの拳が俺の横っ面を殴り飛ばすと、今度は体が羽のように軽くなり、勢いよく俺は吹っ飛ばされた。
「ハァハァ……さ、先に手を出したお前が悪いんだからな!」
「わ、私は忠告したからね!」
そう焦り始める二人の言葉を聞き流し、俺はゆっくりと立ち上がった。頭に浮かぶ呪文をブツブツと呟きながら、俺は一歩ずつ二人へ歩み寄る。
恐怖を感じたのだろう。ミリシアが俺へ魔力を最大限に放出する。しかし、俺の歩みは止まらない。カシオが意を決して突っ込んでくるが、薄い膜の様なものに阻まれ近付く事を許されない。
――……この世の全ては弱肉強食。奪おうとするなら奪えばいいだけの事……誰が死のうが関係ない。弱く、奪われる奴が悪いのだから……
二人の足元に魔法陣が浮かび上がり、そこから出現した十字の光にカシオとミリシアが張り付けられる。そして頭上に二本の十字架が出現すると、その先端が二人の胸元へと定められた。
「ジャッジメ――」
「いけませんよ」
そう俺が魔法を発しようとした正にその時、美しく優しい声が響き渡った。突風のような風が突如として巻き起こり、俺の形成した魔法が吹かれるように消えていく。
純白の羽織物をまるで羽のようになびかせて、フリティラリア=セラフィナイトが俺達の前に顕現した。
「才に溢れる子供達よ……その力を静めなさい」
雪のように白く綺麗で長い指が俺の額へ触れる。体の中から魔力が消えていくのを感じ、俺は初めて恐怖を感じた。それは自分が浄化されて行くようで――俺は息も出来ず、その場で意識を失ったのだった。
******
目を覚ましたのは知らない部屋の中だった。小さな窓しかない狭い部屋に、あるのは簡易なベッドだけ。窓から入り込む月明かりが、今日はやけに明るく感じた。
コンコンと扉がノックされ、一人の女性が入ってきた。ここで先生を務めるその人物は手に俺の荷物を持っている。
「目が覚めてよかったわ、プラチナ……気分はどう?」
「…………」
「これ、あの子達から返して欲しいと頼まれたのよ。『我が儘をして、ごめんなさい』だそうよ」
「……我が儘?」
先生がクスッと笑って見せる。
「あなたにね、見てもらいたかったんですって。ここに来る前から憧れていたあなたに」
「……意味が……分からない」
「同じ孤児なのに一人で生きる強いあなたがあの二人にはとても輝いて見えたのよ。偶然にも同室になれて、何とか仲良くなろうと頑張ったけど全然ダメで……そんな時、あなたが荷物をまとめるのを見て思ったそうよ。『ここを出て行く気だ、何とかしなきゃ』って」
「それで荷物を?」
「ええ。引き留めるにはそれしか思いつかなかったらしいわ」
今度は困ったように先生が笑った。
「でも貴方達やり過ぎよ。まさかこんなすごい子供達がこの孤児院にいるだなんて思わなかったわ。リア様がいなければどうなっていた事か」
それを聞いて俺はベッドから飛び起きた。
「そうだ、あの人……あの人はどこだ?!」
「もういらっしゃらないわ。一年に渡る巡礼を終えて、帰られる前にこの町を視察下さったのよ。貴方達に何も無かったのは正に奇跡。でも騒動を起こした罰は受けてもらわなければならない」
「…………」
「リア様が封じた貴方の力が戻るまで約一週間、この部屋で反省してもらうわ。その謹慎が終わってから、今後の事について話し合いましょう? いいわね、プラチナ」
「…………」
「それじゃあ、今日はゆっくり休みなさい」
そう言って俺の荷物を床に置いて、先生は部屋から出て行った。その扉にしっかりと鍵を掛け開かない事を確認し、足音が遠ざかっていく。部屋の中に静寂が戻った。
――また、俺は閉じ込められるのか……
「……冗談じゃない」
組んだ両手にギュッと力が入る。その時、コツンコツンと何かが当たる音が聞こえた。音の方へ目をやると、小窓の外からガラスをつつく小鳥の姿が目に入る。
「お前……最近見ないと思ってたけど、戻ってきたのか」
小鳥は小首を傾げ、小窓の外からじっと俺を見下ろしている。
「ああ、そうだな……俺もそっちに行かないと」
そして俺はベッドの上に立ち、小窓を開けて外を覗いた。三階分くらいだろうか、足場も何も無い壁が下までずっと続いている。魔法が使えない生身の体では飛び降りるのに勇気のいる高さではあるが、植え込みをクッションにすれば何とかなりそうだ。荷物を外へ放り投げ、俺は迷う事無くそこから飛び降りる。枝や葉で切り傷を負いながらも、何とか着地を成功させた。
「チッ……こういう時、魔法の有り難みがよく分かるな」
植え込みから這い出しながらそんな事をボヤいていると、ふと目の前の地面に人影が落ちた。
「おや、お出かけですか? 君はなかなか大胆ですね」
その影を追い顔を上げると、美しい顔に微笑みを浮かべた件の人物がそこにいた――
・
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――どうしてここに……
その神々しい姿に目を奪われ、またも俺は動く事が出来ない。月明かりを受けたその銀の髪は煌びやかな輝きを放ち、ベールを外したその顔は美しく整った完璧な造形美をしている。まるで人らしからぬその姿に、俺の思考は完全に停止した。
「会うのはこれが三度目ですね。私はフリティラリア、皆さんはリア様と呼んで下さいます」
そう話す声が、俺には遥か遠くから聞こえるような気がした。返事も出来ず呆ける俺へ、その人はクスリと笑って膝を折ると、綺麗な白い手を俺の頬に添える。淡い光に包み込まれ、瞬く間に切り傷が塞がっていく。
「これで良し。どこも痛くありませんか?」
そう問われ、俺は何度も口を動かそうと試み、やっとの思いで声を絞り出した。
「……は、い……」
「それは良かった」
ニッコリと笑ったその顔を、俺はただ真っ直ぐ見つめ続ける。長い睫毛に縁取られた目はそこにある瞳を隠し、今も固く閉じられたままだ。だが俺は感じていた。見えていないはずの目で、間違いなく視られていると――
その目は全てを見透かしているようで……俺は自然と思い続けていた言葉を口にしていた。
「……俺を……罰しに来たのですね……」
「……なぜ、そう思うのですか?」
「"悪魔"……だから……」
それをするのが当たり前かのように懺悔の言葉が溢れ出る。
「俺……僕は、生まれた瞬間に人ではなくなりました。母の命を奪い……這い出た悪魔です」
優しさの消えない微笑みに誘われ、俺の口からは次々と言葉が溢れていく。
「僕に関わったせいで……死ぬ必要のなかった人が死にました……そして僕自身、何人もの人間を殺めています……」
「…………」
「僕は人の血を浴び続け、その命を奪いながらしか生きられない……名前すら無い僕はきっと……人の皮を被った悪魔です――」
そう懺悔をし終えた時、俺は温かいぬくもりに包まれた。優しい腕が俺を抱きしめ、広い胸に顔を埋める。初めて感じる人のぬくもりに、俺は目を丸くして固まった。
「君は、自分を許せないのですね……苦しかったでしょう。でも、もう良いのです。貴方は幸せにならなきゃいけない」
「そんな事……許されません……」
「いいえ、君は愛されて生まれてきたのです。幸せを願い、運命に委ねたお母様の祈りに、貴方は答えなければなりません」
「僕が……愛されて……?」
リア様が腕を解き、その閉じた目で俺を見詰めた。
「君のお母様は決して名を明かせない者との間に子を授かりました。普通には産めない事を理解し、貴方を守るためにその命を使ったのです。一人で君を守ると決意したお母様は二年もの間、君を自分の中に宿し続けました。自分亡き後の事は神にその運命を委ね、そして貴方のお母様は賭けに勝った――
母の愛を一心に受けて、君は丈夫で大きな子供として生まれ出ました。そこで育ての親を得て、今この瞬間も貴方は生きている」
「まさか……そんな訳……」
「目を閉じて、忘れた記憶を思い出しなさい。真実をその目でしっかりと見るのです」
俺の額にリア様の額が優しく触れ、俺はゆっくりと目を閉じたのだった。
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それは俺が生まれる前の記憶――母の中にいる時の、幸せな時間。
目の見えない俺は代わりに耳で聞いていた。
「ふふっ、今日も元気に動いてる。どっちに似ているのかしら……出来る事なら一目でいい、貴方に会いたいわ」
母が俺を優しく撫でるのが分かる。
「元気に生まれて来てね……そしてどうか幸せに……カノン」
――"カノン"……それが俺の名前……
そして母の陣痛が始まった。名を呼ばれ、俺は母に会おうと懸命に出口を探る。しかし大きすぎる身体に出口など無く、俺は母の張った腹を裂いて外に出たのだ。
俺は胸一杯に空気を吸うと、固く閉じた目を開こうと瞼に力を入れる。しかし初めての事に感覚が掴めず、その目は薄っすらとしか開けなかった。その狭い視界に映るもの――それは幸せそうに微笑み、涙を流す母の笑顔だった。
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自然と涙が流れていた。それは止めどなく溢れ続け、次第に声も止められなくなっていく。そんな俺を、リア様が再び優しく抱きしめてくれた。
「カノン、よく生きててくれましたね……よく頑張りました」
「ふっ……う……でも、僕は……」
「大丈夫。貴方が自分を許せなくても、私が貴方を赦します」
俺の中でその言葉はまるで福音のように響き渡った。色んな感情が荒れ狂う様に沸き起こり、俺は声を出して泣き続ける。
まるで赤子をあやす様に、優しい手が震える背中を擦ってくれていた。
悪魔として生まれ、悪魔と呼ばれ続けた子供はその咎を赦され、初めて感情を手に入れた。カノンと名の付く人の子は、こうしてやっとただの子供になれたのだ。