悪魔の門出
次は0時過ぎに投稿しようかなと思ってます。
サレアが姿を見せなくなって一週間が経った。別に何を気にする事もなく、俺はいつも通りの作業を行う。今日は一段と冷え込みが厳しく、外は雪が舞っていた。
まだ日も沈まぬそんなある日の事、男がえらい剣幕で慌てた様子で帰ってきた。なぜか顔に傷を作り、服についた雪すら払わず、ずかずかと中まで入ってくると、声を荒げて毒を吐きながら何かを俺に投げつけてきた。
「あのクソガキっ! 次に見掛けたらただじゃおかねぇ! 面倒くさい事してくれやがって」
そう憤る男に反応は返さず、俺は投げつけられたモノに目を移した。冷たい床に、口から血を流した綺麗な小鳥が転がっている。見た覚えのあるその小鳥をそっとすくい上げると、まだほんのりと温かい。
――死んで……る?
そんな事を考えながらじっと小鳥を見詰めていると、男が怒鳴りつけるように俺へ言葉を発した。
「おい、明日の朝までにここを出るからな、荷物をまとめて用意しとけっ」
「ここを……出る?」
「ああ、ここの存在を知られたからな。お前の事も見られてる可能性を考えたら面倒なんだよ。もっと準備してから売り払うつもりだったがしょうがねぇ、今日中にお前の買い取り手をみつけねーと」
俺はその言葉を理解できず、呆然と男を見つめ続けた。
「あぁ? 何だ、その顔は? いい加減お荷物なんだよ、お前。何、心配すんな。世の中にはな、子供の方が好きっていう変態ヤローや穴があれば何でもいいって言う鬼畜ヤローが沢山いるんだ。お前の事も、そりゃあ可愛がってくれるだろうぜ」
「…………」
「どっちみち近いうちに金に換えようとは思ってたんだ。買い取り手の目星はもう付いてるからな、あとは値段を出来るだけ吊り上げねーと……まぁ楽しみにしてろや」
そう言って男は口元に下卑た笑みを浮かべ、足取り軽く小屋から出て行った。いなくなる前に、男が外から中が見える場所へ木の板を打ち付けていく。いつも開けっぱなしになっていた格子窓にも分厚い木の板が打ち付けられた。
寸前に、格子の隙間から入ってきた綿雪が俺の頬へと舞い落ちる。それは溶けることなく床に落ち、そこで小さな水玉となった。
暗闇となった小屋の中で、俺は小鳥を手に抱いたまま今の状況を整理する。
――『あのクソガキ』と言うのはサレアの事だろう。ここの事を探ってて見つかったか……余計な事をするなと言ったのに……
俺はチッと舌打ちをし、だがすぐに考えを改める。
――いや、どのみち時間の問題だったな……
そう、男は近いうちに俺を金に換える予定だったのだ。準備と言うのは多分、俺の見た目を取り繕う時間の事だろう。顔が良いから高く売れると言っていた事があるので、恐らく、そういう事だ。痩せた家畜より太った家畜の方が高く売れる。人も同じで、ガリガリの不健康そうな奴よりある程度肉の付いたツヤツヤした奴の方がいい。好みもあるだろうが、大抵の奴はそうだろう。
「あいつ、ケチだからな……ギリギリのところで散々食わせるつもりだったんだろう」
そう考えると、サレアが男の計画に誤算をもたらしてくれた事になる。だが、そのせいで俺は今から売られる。そして小鳥は死に、サレアの身も危なくなった。
男の顔に傷があったのは小鳥が必死にサレアを守ったのだろう。だからサレアは逃げ延び、小鳥は男に捕まったのだと結論付けた。
「俺に関わらなければこんな運命……なかったのにな……」
そんな事を呟きながら、動く事のない亡骸をそっと撫でる。そして気が付いた。
――まだ……あたたかい
小鳥を拾い上げてから時間が経つが、未だに掌からぬくもりが伝わってくる。
俺は壁の隙間から入る僅かな光を頼りに蝋燭へ火を灯し、そこで小鳥を観察した。見た目には死んでるようにしか見えない小さな体が、時折ほんのわずか、動いている。生きようと懸命にその小さな体で死に抗っていた。
それが分かった瞬間だ。俺の中に言葉では表す事が出来ない不思議な力が湧き出した。頭の中で幾何学文字の様なものが浮かび上がり、それが模様となっていく。それが何なのか、どうやって使うのか、俺は感覚で理解した。
小鳥の体にそっと手を翳し、その理解した感覚を言葉にする。
「“聖なる癒し”」
俺の手から光が溢れ、小鳥を優しく包み込む。そして光がゆっくり消えていくと、小鳥の体に確かなあたたかさが戻ってきた。目を閉じたまま胸を上下させ、俺の掌で安心したように眠る姿にホッと胸を撫で下ろす。内職で余った布の切れ端を集め、そこに小鳥を優しく置いた。
「さて……あとは自分の事だな」
この時の俺は、自分が希少な聖魔法の使い手となった事など全く気が付いていなかった。『ただ使える魔法が増えた』そんなぐらいの認識だったと思う。しかし、この時の俺にはそれだけで十分だったのだ。
俺を閉じ込める鳥籠の鍵が開こうとしている。
次に行く場所がロクな所じゃない事は容易に想像できた。
生きながらいいようにされる事だけは嫌だと思った。
ここでの生活を受け入れらたのは男が俺に興味を全く抱かなかったからに他ならない。『いつか金になるただのモノ』――男にとって俺とはそんな認識だったのだ。しかし、次もそうとは限らない。
だから俺は腹を括った。何だかんだ今の生活を維持してきた事で、俺は無事九年の年を生きる事が出来た。成長が早かったお陰で見た目は三歳ぐらい上に大きく見えるだろう。知能の発達はもっと早かったお陰で自分で考える能力が十分にある。使える魔法も増えてきて、それなりに自分に自信がついた。そして何より――
――俺には失うモノが何もない
親もいなければ家族もいない。何も与えられた事がないため、持っている物も何もない。この九年間で感情のほとんども死んでいる。喜怒哀楽を知らない俺が今までの人生で唯一、感情らしいものを確認したのは最近の話だ。だから、俺にまだ感情が残っている事を教えてくれたこの小鳥には感謝していた。
――これで俺は、まだ人としてここを出て行ける
そう心で思った瞬間、小屋の扉が開かれた。
「……久し振りに、なっちゃったね」
夜の薄明かりを背負い、サレアがそこに立っていた。いつの間にか日も暮れて、宵闇に包まれた外の世界に白い雪が深々と降っている。
サレアは小走りで駆け寄ってくると俺の前で膝をつき、俺の手を取り微笑んだ。
「行こう? 君は、ここにいちゃダメだよ」
「どうやって……」
俺は呆然とサレアを見詰める。
「あの男をつけて鍵を盗んで来たの。気付かれるのも時間の問題」
「何でそんな無茶な事……俺は、頼んでないっ!!」
声を荒げた俺へ、サレアは微笑んだまま言葉を続けた。
「そうだね……これは、私の自己満足だから……」
「…………」
「私ね、施設に入る前に、弟を……亡くしてるの。生きてたら君と同じくらいかな」
「……そんな話、関係ないだろ」
「はは、だよね。だからこれは、もう後悔したくない私の自己満足なんだ」
何やら違和感を感じ手元を見ると、サレアが俺の手を紐で縛り上げていた。
「ごめんね。無理矢理にでも、連れて行くから」
「――っ前にも言ったはずだ! 自分の事は自分で出来るって――」
そして最悪な事態が訪れる。
「このクソアマァ!! ブッ殺してやるっ」
怒り狂った男の声が遠くの方で響き渡った。
「嘘っ! もう気付いて帰って来たのっ?!」
「あいつは勘がいいんだ、鳥を連れて早く逃げろっ」
「――っ!! そっか……ピィちゃん、助けてくれたんだ……」
「おい、早く――」
「ありがとう……ごめんねっ!」
そう言ってサレアは満面の笑みを見せると、俺の喉元に向かって魔法を放った。
「“沈黙”」
「――っ!?」
――声がっ……
そして闇が覆う部屋の片隅へと、俺を突き飛ばしたのだった。
・
・
・
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「……やっぱり居やがったかこのクソガキ。覚悟は出来てんだろうなぁ?」
「…………」
薄ら嗤いを浮かべていた男はしかし、小屋の中を見渡して顔色を変える。
「……おい、あいつを何処へやった?」
「…………」
「何処へやったと……聞いてんだよっ!」
そう詰め寄る男に、サレアは不敵に嗤い返した。
「もういないよ。残念でした」
男のこめかみに青筋が浮かび上がる。怒りで顔が赤らみ、歯を剥き出しにしながら脇に差した剣を鞘から引き抜いた。
「ブッ殺すっ!!」
男がサレアに向かって剣を振り上げる。
「――っあの子は、優しい子! 明るい未来が、きっとあるっ!!」
サレアは臆する事無く言い放つ。それは男に向けた言葉か俺に向けた言葉か……
言い切ると同時、男の剣が、サレアへと振り下ろされた。
まるでスローモーションのようにサレアが崩れ落ちていく。闇の中から見るサレアの姿は微かな宵明りに照らされて、まるで影絵のように俺の目には映っていた。黒いその人影が、暗い闇の中へと吸い込まれていく。
そして、俺に掛けられたサレアの魔法が解けたのだった。
「クソッ、絶対に探し出してやる……諦めてたまるかっ!」
返り血を袖で拭いながら、男が扉の方へ向きを変える。男の背後で俺はゆらりと立ち上がると、手を縛る紐を火の魔法で焼き切りながら、闇の中より歩み出た。
男が気配を感じ、振り返る。
「……何だ、そこに居たのか」
ニタァといやらしい嗤いを浮かべ、男がこちらに向かって歩いてくる。その様子を、俺は何の感情もなくただ見続けた。
サレアが死んだと分かった瞬間、俺の中でまた不思議な力が湧き出した。それをまたも感覚で理解すると、後は身体が本能で動き出す。
男の顔が眼前に迫った時、その汚い横っ面を手の甲で払い飛ばした。男が吹っ飛び、壁に激突する。一瞬驚いた顔を見せた男はしかし、すぐに立ち上がって獰猛な雄叫びを上げながら俺に斬りかかってきた。怒りで理性を失くした獣の剣を手でいなし、脇腹を思いきり蹴り飛ばす。男の手から剣が離れ、身体は盛大に床へ転がった。
「ガハッ!! ……何なん、だよ……お前、何なんだよっ!?」
男の顔に明らかな動揺が走る。今起こっている事が理解できず、しかし、本能的に危険が迫っているのは分かっているようだ。
俺はそんな男を見下ろしながら両の拳に力を込めると、男の顔面目掛けて連打の雨を降らせる。
「ガッ、ゴボォアッ……グゲッ、ゴアッ」
男の鼻が潰れた感覚が手に伝わる。歯が折れた音が耳に響く。血飛沫が床に飛び散るのが目に入る。
男がしようとしていた抵抗を止めたのを見て、俺はその手を止めた。
「ぞの、ぢがら……おがじぃ……だろ……おばぇ、ぎゅうに……なんな……だ」
歯の無い口から血を流し、途切れ途切れに男が言葉を投げ掛けてくる。デコボコに腫れた顔に圧迫されて、埋もれた目には恐怖の色が浮かんでいた。俺は男の姿を見て思う。
――サレアはあんな簡単に死んだのに、こいつは全然死なないんだな……
不思議と心は凪のように静かだった。何の感情も抱かず、俺は自然に男の額へと手を伸ばす。そして頭を鷲掴むと、その手に力を集めて魔法を発動した。
「……“浄化の光”」
眩く発光した白い光が男に流れ込んでいく。頭から顔、そして首……順を追ってビキビキと血管が浮き立ち、それが進むにつれて男の苦渋に咽ぶ叫び声が大きくなっていった。
本来、人に対しては使わぬ聖なる魔法。それを魔力の少ない、それも対極にある人間に使う事がどんなに悍しい行為であるかは分かっていた。
この世界では生きとし生けるモノ全てに魔力がある。しかし、その量や強さは千差万別。そしてその質は異なる二つに分けられる。白と黒――このどちらかに、必ず分類されるのだ。
魔力の質はその見た目に反映される事が多い。特に髪色。それを見れば相手が黒い魔力の持ち主か白い魔力の持ち主か、だいたいは判断が出来る。
俺が金髪であるのに対し男の髪はこげ茶色。この見た目から俺と男の魔力の質が対極である事は分かっていた。それを分かった上で、俺は男にこの魔法を撃ち込んだのである。
俺は頭を掴んでいた手を離すと、のたうち転げ回る男を無表情のまま見下ろし続けた。
苦悶の声を上げながら男が苦しそうに喉を掻きむしる。適合しない魔力が体中を駆け巡り、浄化しようと黒い力を破壊していく。その痛さと苦しみは想像を絶するものだろう。
男が涙と鼻水、おまけに涎まで流しながらその汚い顔を俺に向けた。
「こ、の……悪魔……め……」
俺は何の感情も宿さない目を向けたまま、床に刺さっていた剣を引き抜き、男の喉元へと突き刺した。
怒りも憎しみも、もちろん悲しみなんてものもない。そして息絶えた男の姿を見ても、心に感情が湧く事は無かった――
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俺はサレアの亡骸を腕に抱き、開いた鳥籠から一歩外へ踏み出した。雪が止み、真っ白な白銀の世界を綺麗な月が照らしている。一歩、また一歩と歩き出すと、俺の足跡だけがその白い大地に刻まれていった。
格子の間からずっと見ていた景色の中に、一本の大きな木があった。その根元にサレアをそっと横たえる。顔にかかる髪を払い、手を胸元で組ませると、俺はその亡骸をじっと見詰めた。
――こんな結果で満足か?
「…………」
もちろん、サレアからの返答はない。
――こんな結末、お互い望んでなかったはずだ
「…………」
――…………
「…………」
そこへ一羽の小鳥が飛んできた。力強い羽ばたきで飛来すると、俺の肩にとまり、まるで慈しむ様に頬ずりをしてくる。
「お前か……慰めてるつもりなら必要ない」
小鳥は小首を傾げ、なおも頬ずりを続けてきた。俺はそれを止める事なく立ち上がり、サレアへと背を向ける。
「お前の主人はもういない。自由に、好きな所へ行きな」
それは自分へ言い聞かす言葉でもあった。
人ですらなくなった俺に果たして自由などあるのかどうか……それは神のみぞ知ると言ったところだろう。そもそもとして、俺は神がいるとも思ってないが――
もうあと少しで冬も終わる。春になればこの木の周りは綺麗な花々で溢れるはずだ。冬の寒さが彼女を守り、春になれば花の咲く大地が彼女を迎えるだろう。
そして俺は名も知らないこの世界へ、一人歩み出したのだった。
浄化の光に何か技名振りたいんですけど、どーもいいのが思い付かないんですわ。このままでもいっかと思いそのまま投稿しましたが、何か思いついたらルビを振るかもしれません。なんかないかなぁ~