03:銀河を視る盲者
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今回は自分がどんな風に見えているかの話。
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自分の視界にはいつも目の前に、光の粒で出来た万華鏡めいた、或いは動き続ける虹色の銀河じみた光景が在る。
──皆さんは盲の人の視界というものはどのようなものか、想像が付くだろうか。恐らくは、真っ暗であるとか、ぼんやりとした霞のような光景と思っているかも知れない。
しかしながら、実は千差万別なのである。
これは見えているという事実が確実ではない為に起こるのではないかと思っている。何故かと言うと、例えば調子の良い時の自分は薄っすらと光を感じられる程度の見え方をするのだが、自分の目の前に広がる光景が、実際に見えているものなのか、網膜や視神経の電気信号の異常が引き起こす類の「見えているけれどありえない」光景なのか、それとも脳内で作り出された全くの想像によるものなのか、それが一切判らないからである。
自分の場合は、グレーに近い曖昧な霏で覆われた上に、面積の大きな光源などだけがぼんやりと感じられる。これが基本の「実際に見えているであろう光景」である。
その上で全体に玉虫色の細かいラメがふんだんに散り、更により強く輝く白っぽい光の粒やら線やらが落書きのように浮かんでは消え、或いは渦を巻きながらふよふよと移動したり形を変えたりしながら、あたかも万華鏡のような世界を繰り広げている。恐らくこれは何か目や脳のエラーが見せているエフェクトなのだろう。
そして更に、歩き慣れた道を往く時や、住み慣れた家の中を見た時に、見えていた頃の記憶から、そこにあるであろう光景や、もしくは光る線で描かれたワイヤーフレームで構成された風景を見る事がある。これは記憶から作り出された「見えていないのに見えている」光景なのだと思う。
そしてこれらが、何の法則も前触れも無く入れ替わったり入り交じったり混沌と、目の前に浮かぶのだ。自分ではそれらが見えているのかいないのか確認する術が無く、無理に見ようとするとゲシュタルト崩壊のような状況を引き起こしたりする。
もう少し見えている頃でも、何かを見ようとする時には「恐らくこう見えるはず」などの予想を立ててものを見る為に、やはり見えているのかいないのか判らなくなることが多かった。視覚の迷子だ。
自分の場合は上記のような感じだ。
そして人によっても様々である。多少見える見えない、中途か先天か、そして原因は何かなどによっても変わってくるだろうし、そもそも個人差が大きいと思われる。
更に最近の脳科学研究によると、盲の人は、どうやら脳内の視覚に使われる部分を別のことに使っているらしい、という事実だ。空間認識能力や記憶の為に余った部分を利用しているらしいのだが、時々これが視覚の誤認識を齎すのではないか、とか勝手に想像している。なにせ脳のことだ、何があってもおかしくはない。
……という感じでそんな風に、自分は常日頃、奇妙で綺麗で際限のない、自分だけが満喫できる光景を見ているのだ。
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具体的に「どこまでどんな風に見えている」という話でなくて、それを期待してた方には申し訳ない。
そっちはまた今度。
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