王城侵入《1》
「――ちゃん――きて――あんちゃーん!」
意識が上昇と下降を繰り返すような、そんな微睡の中。
あやふやな意識へと外から割り込む、聞き心地の良い柔らかな声。
「――きてくださーい、朝ですよー!」
「……んっ……あ、あぁ……」
その声に導かれるようにして、俺の意識は上昇していき――ゆっくりと、目蓋を開いた。
「あっ、起きた! おはよう、あんちゃん!」
視界に映ったのは、狐耳を生やし、幼いながらも端整な顔立ちをしている、ニコニコ顔の幼女。
「……おはよう、燐華」
そう言いながら俺は、くあっと欠伸を漏らし、上に大きく伸びをして身体をほぐす。
その俺の様子が面白いのか、燐華はくすくすと笑いながら窘めるような口調で口を開く。
「眠そうだけど、あんちゃん、二度寝しちゃダメだからね! もうそろそろ、朝ごはんの時間なんだから!」
「あぁ……もう起きるよ」
「ん、よろしい!」
そうニコッと笑みを浮かべて彼女は、膝立ちで乗っていたテーブルから降り、脱いでおいたらしい床の靴をいそいそと履き出す。
……あ? テーブル?
怪訝に思って周囲を見ると……ここはどうやらオルニーナ二階の自室ではなく、一階の店部分、壁際の席に設置されたソファ席だったらしい。
と、その時になって俺は、ようやく自身の身体に乗っかる重み――俺の胴を枕にして眠るセイハと、俺にぐでーっと寄りかかって眠っているネアリアの存在に気が付く。
近くには大量の空の酒瓶が転がっており、食い終わった後の皿が数枚、テーブルの上に置かれたままになっている。
少し離れたところでは、行儀良く椅子に座って眠っているシャナル。
……そうだ、昨日全員でブリーフィングをした後、ネアリアに付き合わされてしこたま酒を飲んだんだった。
途中からの意識が無いのだが、恐らくどこかの段階で寝落ちしてしまったのだろう。
――って、何でコイツら、半裸なんだ。
いつもの勝気な様子とは裏腹の、存外に可愛らしい寝顔を見せているネアリアは、どういう訳かほぼ裸のような恰好で俺にもたれかかっていた。
セイハの方も、上をはだけており、かなり際どい恰好になっている。
……流石にそういうことは、していない、はず。
すでに閉めた後だったとは言え、一階の店の方で、そんな迷惑になるようなことは……あぁ、思い出して来た。
最初はネアリアとシャナルと飲んでいたのだが、途中でセイハが加わり、その辺りで酔いが進んでテンションが上がったのか、赤毛の同僚が悪乗りし始めたのだ。
反応が初心なセイハをからかうために、ネアリアは非常に際どい恰好で俺へと絡み出し、それを見た褐色少女が少し焦った様子で俺を必死に誘惑し始めたのだ。
昨日は、セイハがとにかく可愛かった。
俺も、ネアリアと一緒になってふざけ、その可愛らしい様子を十分に堪能し――酔い潰れてしまったのだろう。
大分教育に悪い姿をしているので、それとなく燐華から隠すよう、二人の身体にインベントリから取り出した毛布をそれぞれ掛けてやっていると、特に何も気にした様子もなく我が家の狐耳幼女が口を開く。
「あんちゃん、ちょっとお酒くさいよー? 朝ごはんの前に、お風呂に入って来た方がいいと思う!」
「あ、あぁ。わかった。そうだな、そうするよ」
二日酔いは、ない。
まだ微妙に酔いが残っているような気はするが、やはりこの身体はかなり強靭であるようだ。
あのすんごい量を飲んでこの程度なら、ありがたい限りである。
前世じゃあ、確実に二日酔いでゲェゲェ吐きまくっていたコースだったろうからな。
一日ダウンしていたことは間違いないだろう。
「――セイハ」
まず俺は、膝上であどけない寝顔を晒して眠るセイハの肩を優しく揺する。
「……んぅ……ます、たぁ……?」
「おはよう、セイハ。朝だぞ」
ゆっくりと身体を起こし、トロンとした寝ぼけ眼のまま、近くからボーっと俺の顔を覗き込むセイハ。
今の彼女は仮面を外しているので、その長い睫毛に大きな瞳、端整に整った顔を惜しげもなく晒しているのだが、この様子だと気付いていなさそうだな。
「……そうですか……ますたぁ……あぁ、ますたぁ……」
「……セイハさん?」
微妙に様子のおかしいセイハにそう問い掛けると、だんだんと彼女の顔が俺に近付いて行き――。
その唇が、俺の唇と重なる。
柔らかく、蕩けてしまいそうな感触の彼女の唇が俺の下唇を挟み、まるで咀嚼するかのように熱烈に絡んで来る。
鼻孔をくすぐる、微かなアルコール臭と、少女の甘い香り。
俺の首に腕を回したセイハの熱い吐息と共に、彼女の唾液が俺の唾液と混ざり合い、チロチロとその小さな舌が俺の唇を舐める。
拙いながらも、必死に絡み合おうとする華奢な身体付きの少女の姿が、非常に愛おしい。
「あー! セイハおねえちゃんとあんちゃんがチューしてるー!」
「きゃーっ」という燐華の黄色い声が耳に届いたのか、セイハは俺と口付けを交わしながらも小首を傾げ、そのトロンとした瞳に少しずつ理性の光を宿していき――。
「……? ――っっ!?」
――やがて、顔中をリンゴの如く真っ赤に染め、ガバッと俺から顔を離した。
「あ、え、あ、ま、ます、たー……ゆ、夢じゃない、のですか……?」
「あー……おはよう、セイハ」
「~~~っ! お、おはよう、ございます。そ、その……失礼、しました」
これが現実であると理解したらしく、非常に恥ずかしそうに顔を俯かせる褐色の銀髪少女。
「ね、あんちゃん! 燐華もあんちゃんとチューするー!」
と、セイハが起き上がったのを見て、代わりにいそいそと俺の膝上に昇り、「ん~」と可愛らしく唇をすぼめて目を閉じる燐華。
俺は、狐耳幼女の頭と銀髪少女の頭を笑って同時に撫でてやってから、燐華の両脇に腕を入れて膝上から下ろしてやり、ネアリアを起こしに掛かった。
* * *
「……おい、ユウ。酒くせぇぞ」
「……すまん」
責めるような目でそんなことを言ってくるゴブロに、素直に謝る俺。
今日仕事をするとわかっていながら、昨日の夜あんなアホ程酒を飲んでしまったので、何も言い訳は出来ない。
今朝、厨房の方で俺達の朝飯の準備をしてくれていたジゲルにも、ちょっと呆れた顔をされてしまった。
ちゃんと朝、風呂には入ってきたのだが、完全には臭いが消えなかったか。
「ったく……どうすんだ。そんなんじゃあ仕事になんねーだろうが」
「悪い悪い。けど酔いはもう冷めてるから、報酬分はちゃんと働くぞ」
「違ぇアホ。酒くせぇと隠密に支障が出んだろうが。俺達は今日、城の許可されていない領域に勝手に入って、勝手に宝探しをする賊だ。酒の臭いなんざさせてたら、いくら姿を消していようと簡単に気付かれるって言ってんだ」
「む……それもそうか。ちょっと待て」
そう言って俺は、魔法スキルの一つ――『無臭』を発動する。
「よし、これでいいな」
「……臭いがしなくなったな。何をしたんだ?」
「そのまんま単純に臭い消しの魔法だ。今度お前が、翌日仕事なのに深酒した、とかあったら使ってやるよ」
これ、ゲーム中はほとんど使われることのなかったスキルで、実は俺も、嗅覚が異常に鋭いという設定の一部の敵Mobなんかから、姿を隠すのに使っていたくらいでしか発動したことがない。
VR世界にダイブする以上、よりリアル感を出すために『臭い』というものもしっかり実装されている訳だが、その辺りのシステムは割と雑――というか、再現が難しく中途半端な感じだったからな。
多分、ゲーム中は三十回も発動していないことだろう。
「ケッ、アホ抜かせ。俺はテメーらとは違うんだ。俺が酒を飲む時ぁ、ちゃんと翌日仕事がねぇ日に、しこたま飲んで一日寝過ごす」
「そうか、そりゃあ失礼した。優雅な休日の過ごし方だな」
「おう、だろう? テメーも見習ってくれていいぜ」
そんなことを話しながら俺は、ゴブロと共に王城の裏口から内部に侵入した。




