小男
「いやー、素晴らしい! 大した実力だったよ、君ぃ!」
「……どうも」
気持ち悪い笑みを浮かべるブタのような外見の男に、俺は引き攣り気味の愛想笑いで、相槌を打つ。
「いやはやいやはや、君のおかげで今日は大盛り上がりだったよ。とてもいい試合だった」
「……ご期待に沿えたようで、何よりです」
ねっとりとした生理的な嫌悪を感じるその視線に耐えながら、出来る限り愛想よく答える。
まあきっと、これが俺じゃなくとも、自身の両脇に完全武装の二人の看守に立たれたら、こうして愛想良くすることだろう。
――あの後、俺は闘技場に現れた兵士に再度手枷を嵌められて連行され、連れられた裏の楽屋らしいところで待っていたのが、このブタ男だった。
どうも、この悪趣味な闘技場を運営しているお偉い貴族様だそうだ。
会う直前に両端の看守の一人に、「失礼なことをしたその瞬間、懲罰房行きが確定するからな」と脅された。
とりあえずわかったこととして、こっちの世界は封建社会であるらしい。
「それで、君……あー、この囚人の名前は?」
「囚人番号507番、ユウです」
……ユウ?
俺が、ユウ?
「ほう、そうか。ではユウ君、これからも君の戦いを期待しているよ」
満足そうに何度も頷きながら、ただそれだけを言って、ブタ貴族はこの場から去って行った。
「運が良かったな、お前。あの方に気に入ってもらえた以上、これから先大分過ごしやすくなるだろうよ」
「あの方は、滅多に下に降りて来ることはない。それだけお前に期待しているのだ、光栄に思うことだな。――さ、話は終わりだ。さっさと食堂で晩飯を食って来い、囚人番号507番」
「食堂?」
「あぁ……そうか、お前は初めてだったな。チッ、仕方がない。今日だけは案内してやる。次からは一人で行くことになるから、しっかり道を覚えろ。もし迷子になって別の場所にでも行こうものなら、脱獄の意思ありとして即刻処刑されるぞ」
迷子で処刑か……それは嫌だな。
この監獄、構造がかなり似たり寄ったりだし、俺どちらかと言うと方向音痴な性質だから、気を付けないとな……。
* * *
そうして、面倒臭いという思いを全く隠そうともしない看守の、ご親切な案内で向かった囚人用食堂。
そこで俺は、配膳されたドロドロの何かを、無表情で無理やり喉に流し込んでいた。
これが、囚人の標準食であるようだ。
申し訳程度に付いているクソ辛い干し肉で、どうにか味を誤魔化してはみるが……一言で言ってゲロでも食わされてんじゃないかと思わんばかりの味である。
あまりの素敵な味に、涙が出そうだ。
どうやったら、こんなマズいものが作れるのだろうか。
……やっぱりこんなクソ監獄、早いところ逃げ出してやる。
「……けど、その前に、いい加減この身体に何が起きているのか、考えなきゃな」
色々、謎がある。
まず、ここは日本じゃない。
当然、ここにいるヤツらも日本人ではなく、そのため話している言語も日本語じゃない。
にもかかわらず、理解が出来ている。
相手が何を言っているのかわかるし、彼らと会話を交わすことが出来ている。
俺の脳味噌に、知らない言語が勝手にインストールされている感じだ。
ありがたいのは間違いないが……ちょっと不気味だ。いつの間にか改造人間にでもされたのだろうか。
そして――この身体の変化。
スタントマンばりのアクションが、素でやれている。
今ならアクション映画界のスターも目指せそうである。やらないけど。
一番強く感じるのは、非常に目が良くなっていることだ。
動体視力もそうだが、単純に遠くのものもよく見えるようになった。
闘技場で戦っていた際、観客席にいた観客の表情までしっかり見えていた程だ。
前世で特別良かった訳でもないので、これもまたこっちの世界に来てからの変化なのだろう。
……やっぱり、改造手術をされたのかもしれんな。うん。
まあ、冗談はさておくにしても、気になることと言えばもう一つ。
――囚人番号507番、ユウです。
ブタ貴族と対面した時、俺の横に立っていた看守は、俺のことをそう呼んだ。
今日意識を取り戻したはずの俺の名前をどうやって知ったのかは知らんが――そもそもの問題として、俺の名前はユウではない。
ユウは、俺がゲームで使っていた名前である。
そのゲームの名は――『アルテラ・オンライン』。
VRMMORPGで、対人戦が活発なゲームであり、前世で俺が最もやり込んでいたゲームだ。
ここが現実であるということは、俺の中ではもう疑いようのない確定事項になっているが……ユウの名前に、ゲーム染みた性能を持つこの身体。
となると――つまり今の俺は、あのゲームの身体でこの世界にいる、ということだろうか?
……試してみる価値はあるな。
「……それを確認するのに、一番手っ取り早いのは……」
少し考えてから、俺は人差し指と中指で空中に円を描き、それを斜めに切る動作をする。
――瞬間、ブオンと目の前に出現する、半透明の板。
見知った画面。
慌てて周囲を確認するが、近くの囚人どもは特にこちらを気にした様子もなく、クソマズい飯を眉を顰めながら食っている。
恐らくは、これが見えてないのだろう。
……今の指で円を切る動作は、『アルテラ・オンライン』の中で、プレイヤーがステータス画面を開く際に必要になるモーションである。
確か、こうすることで『智の女神』と交信を行い、自身の能力を確認することが出来るとかって設定だったはずだが――開いた。
確定だ。
――今のこの身体は、ゲームの身体だ。
「道理で……」
指を滑らし、ステータス画面を開いてみると、表示される数値はゲームの頃と全く同じ。
最後に俺が見た時と、末端の数字まで一致している。
あのゲームは、中級者以上はレベルがカンストしていて当たり前、故に戦闘ではほぼプレイヤー自身の能力で勝敗が決まり、俺もまたかなりやり込んでたので、レベルはカンストしていた。
スキルも、膨大に取得している。
……あのライオン男に勝てたのは、これが理由か。
そりゃあ、ゲームの身体だったら、何でもありだわな。
むしろ、スキルが使えるとわかっていたら、もっと楽に戦えていたかもしれない。
後で、兵士達に目を付けられないような時に、色々と確認してみるとしよう。
こっちの世界に来たことで、スキルの仕様など何か変わっているかもしれない。
また、幾つかメニュー画面も変化しており、ログアウトボタンや公式の告知ページ、フレンド欄など、諸々の通信が必要になるような機能は全て無くなっている。
ここが、異世界ではあっても、現実だからだろう。
『アルテラ・オンライン』の中、という訳でもなさそうだ。あのゲームで、太陽の横に月みたいなものは浮かんでいなかった。
ここはどこかの知らん世界で、俺の身体のみゲームの仕様に変化している、ということだ。
ちなみにこのアバターの顔は、前世の俺の、現実の顔と全く同じものである。
最初は俺も、ガチムチのコワモテおっさんみたいな顔にするか、アホ程整ったイケメン君にするか、それとももう人外の顔にするか、とかワクワクしながらキャラメイクを行い、ログインしたのだが……まあ、うん。
結論から言うと、吐いた。
ゲームの中で鏡を確認した際に、自分が動かしているのが自分ではないことに強烈な違和感と吐き気を覚え、ヘッドマウントディスプレイが異常を感知し、強制ログアウト。
その後トイレに駆け込み、吐いた。
VRゲームには、数人はそういう症状に陥るヤツがいるらしい。
自分の精神がこんな柔だとは思わなかったぜ。
それ以来俺は、ワクワクがいっぱいのキャラメイクを残念ながら行うことが出来ず、ヘッドマウントディスプレイがスキャンした自分自身の顔でずっとプレイしていた。
顔バレ防止のために、ゲーム中はひと時も外さず仮面の装備を被っていたくらいである。
……ただ、そのおかげで今のこの顔が前世の俺の顔のままなのだ。
他人の顔で生きることになったら、それこそ発狂しそうだし、良しということにしておこう。
「んで、アイテムボックスの方は……そう何でもかんでも上手くはいかないと」
空だ。集めた膨大な量のアイテムが、全て無くなっている。
チッ……レジェンダリー級アイテムなんかも多数持っていたので、アレらがあったら、恐らく今すぐにでもここから逃げ出せただろうが……「かもしれない」を考えても意味がないな。
非常に惜しい気分だが、無いものとして諦めるしかないだろう。
ま、けど、この身体がゲームの身体だとわかっただけで、俺には万々歳だ。
前世の一般人相当のスペックだったら、大分ヤバかったろうしな。この事実だけで、随分と気分が楽になった。
神様でもいるのなら、こんな便利な身体で生まれ変わらせてもらったことを、是非とも感謝したいものである。
「どうもありがとう、神様。色々聞きたいことはあるが、とにかく感謝するよ」
「あん? テメー、聖職者か何かだったのか?」
と、その時背後から聞こえる声。
振り返ると、そこにいたのは――配膳の盆を持った、例の小男だった。
「あれ、お前……もう平気なのか? 開始早々ぶっ飛ばされてたろ?」
あのライオン男にぶん殴られ、気絶していたが……もう回復したのか?
「あぁ、そりゃ、失神したフリしてただけだからな。あんなもん真面目にやるだけ無駄だ。精々観客連中を萎えさせるために、一撃目でぶっ飛ばされるフリをすんだよ」
そう言って対面の席に座る小男に、俺は苦笑を溢す。
……なるほど、そうやって危険を回避してんのか。逞しいこって。
「……俺も、次からはそうするか」
「やめとけやめとけ、テメーは一度実力を示しちまったんだ。変に手を抜いて負けようものなら、八百長を疑って観客はカンカン、所長のクソブタもカンカン、懲罰房行きの鞭打ちだ。テメーがとんでもねぇドMだってんなら、止めはしねぇが」
「あー……なるほど。バカ正直に戦うんじゃなかったか……」
「ケッケッ、ちと遅い後悔だな」
独特の笑い方で笑ってから、小男は言葉を続ける。
「それにしても、やるじゃねーか、記憶喪失男。あのラムドをぶっ飛ばすなんてよ。大した強さだ」
記憶喪失男は……俺のことか。
確かに、一番初めにそんなことを話したもんな。
「ラムド?」
「お前がさっきの試合でぶっ飛ばした、アホ筋肉の獣人だ。――俺の名前はゴブロ。テメーは?」
「俺は……俺は、ユウだ」
一瞬、前世の名前を名乗りそうになったが……それは口にせず、ゲームの名前を名乗る。
何となく、本当に何となくだが……今の俺には、こっちの名前の方が合っていると思ったのだ。
「そうか。ユウ、テメーの名前は、覚えておいた方が今後のためになりそうだ」
「俺も、アンタの名前は憶えておくよ。そうだ、ゴブロ、聞きたいことがあるんだが――」
「おう、先に言っておくが、俺は色んなことを知っている。テメーの質問にも、幾らでも答えられるだろうが、それにはそれなりの対価を払ってもらうことになる」
む……なるほど。
確かにタダで何かを教えてもらおうってのは、虫の良い話だったな。
対価、対価か。
「……このドロドロ、やろうか?」
「いらねーよアホンダラ」
ですよね。
「けど、対価か……今の俺に、他に何か渡せるものなんてないしなぁ」
どうしたものかと思っていると、小男――ゴブロは何か思いついたことがあるらしく、言葉を続ける。
「……よし、聞け。ユウ、テメーは今日実力を示した。恐らく今後、剣闘士として多くの試合を組まれることになるはずだ」
「……マジか」
「マジだ。つっても、ラムドに勝った以上、大抵の相手には勝てるはずだ。んで、試合に勝ち始めると、剣闘士連中のモチベーションを上げるため、この監獄での待遇が良くなっていく。強制労働はなくならねーが、扉付きの個室が貰えたり、自由時間が増えたりな。ファイトマネーも幾らか出る」
へぇ……闘技場での試合を盛り上げるための措置って訳か。
嫌々戦わせるよりは、ご褒美で釣って本気を出させる、と。
「一番顕著なのが、飯だ。活躍する度、どんどん豪華んなって行って、むしろ外じゃ食えねぇような高級料理すら食えるようになるぜ」
「このドロドロじゃねーヤツ?」
「ドロドロじゃねーヤツだ。その干し肉も、今日の試合で勝っていなかったら付いてなかったはずだ」
ほう……ほう。
きっと今の俺は、今日一日の中で最も目が輝いていることだろう。
その俺の様子に、ゴブロはニヤリと笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「んで、話はここからだ。テメーが今後、良い飯を貰えるくらいに連勝したら、看守に二人分の飯を強請って、俺に流せ」
「そんな要望が通るのか?」
「戦える剣闘士ってのは、奴らにとっても貴重な存在だ。金蔓だからな。『大食らいなんだ』とか言っておけば、特に何も言われず要望が通るはずだ。その一食分につき、テメーの知りたい情報、貴重な情報なんかを教えてやろう」
「……アンタの情報に、そこまでの価値がないと判断した場合は?」
「そん時ぁ、飯の供給をやめればいい。だが、言っておくが、新人のテメーよりは俺の方がよっぽどこの監獄に詳しいし、それに俺もこのクソみてぇな食事には辟易してんだ。チャンスを自らの手で潰すような真似はしねぇよ」
……確かに、食い物という括りで語るのもおこがましいような、このドロドロから逃げ出せる手段があるならば、それに飛びついてもおかしくはないか。
俺もコイツと同じ立場であったら、まず間違いなく同じようにすることだろう。
「俺が試合に負けまくって、待遇が良くならなかった場合は?」
「その場合はお互いに何にも得がねぇってだけだ。だから、勝ちまくってくれよ?」
……ふむ。
悪くなさそうだな。
俺が試合をすることが前提なのは不服ではあるが……それ以外今の俺に提供出来るものがないこともまた、間違いのない事実だ。
「……よし、乗った」
「オーケー、取引成立だ。んじゃ、お近づきの印だ、テメーが聞きたいことに一つだけ何でも答えてやる。――さ、何が聞きたい?」
そう言ってゴブロは、口端を大きく吊り上げた。