道《2》
――通ったッ!!
思わず拳を握り締めてガッツポーズしそうになるのを我慢し、俺は指示を出す。
「突進して俺を通路の方に吹き飛ばせ!!」
デカブツ――いや、俺の新たな配下は、指示通り突進を開始。
俺は、その攻撃を食らった風を装って同時に後ろに跳び退り、衝撃を可能な限り消しながら通路まで吹っ飛ばされる。
うおおお、怖ぇ!
上手く行ったからよかったが、今のミスっていたら大ダメージで動けなくなっていたことだろう。
通路に入り込み、人目が無くなった瞬間俺は『分身』を発動し、俺自身は『ハイド』で姿を消す。
「『エクストラエリアヒール』」
最上級範囲回復魔法で、俺の身体も、我がペットの身体も回復させながら、次の指示を出す。
「俺の分身を咥え、他の奴らから見えるように丸呑みにしろ」
少し複雑な命令だったが、しかし言い直す必要もなく我がペットは理解してくれたようで、口で咥えた俺の分身をグオンと闘技場の空中に放り投げると、落ちてきたソレを――バクンと。
一飲みで丸ごと食らった。
『ウオオオオオ――!!』
観客席のボルテージが一段階上がり、狂気染みた熱狂の声が闘技場全体を渦巻く。
人が死ぬサマを見られて、興奮しているのだろう。
……ゴミクズどもめ。
いつまで他人事でいられるのか、見物だな。
「……壁の結界を壊せ」
「グルルルオオオオッッ!!」
俺の苛立ちが伝わったのかもしれない。
我がペットは一吠えすると、グッと身体を縮こませてから、一気に飛び上がる。
まるで弾丸のような勢いで壁の結界に激突し――だが流石にそんな柔な造りはしていないのか、ブウンと結界の膜が揺れるも壊れる気配はない。
観客達は揃って驚愕の声を漏らすが、まだ余興の範囲内とでも考えているのか、逃げ出す様子もなくただ楽しげな歓声をあげる。
その間に闘技場の床に着地し、結界と距離を取った我がペットは、再度グッと身体を縮こませて二度目の突進を開始。
今度は、結界にヒビが入る。
ここでヤバいと思ったのか、我がペットが攻撃を加えている近辺の観客達がビビってそこから離れ、闘技場に看守達が現れるが……もう遅い。
三度目の突進。
激突と同時、我がペットはタイミング良くぶっとい前脚を振り抜く。
鎖も合わさったその一撃は、まるで紙でも裂くかのように結界を破壊し、我がペットがその向こう側に着地する。
突然の事態に、観客のクソどもは一瞬呆けたように固まり――そして大音量の悲鳴と共に、パニック映画さながらの様子で逃げ惑い始めた。
……正直、いい気味である。
存分に恐怖して、無様に逃げ惑えばいい。
わざわざこんな悪趣味な場所にやって来て、今まで散々他人が血を流すサマを楽しんできたんだ。
ならばソイツに牙を剥かれたとしても、全て自己責任だろう。
幸いなことに、この闘技場は成人済みの大人しか入れないそうだしな。
俺が気にすることは、何もない。
「テキトーに暴れたら、闘技場から脇目もふらず逃げ出せ。誰も攻撃せず、住処に帰るんだ。達者で暮らせよ」
こうしておけば、ここにいるクソどもはともかく、闘技場の外の一般人にまで被害は及ばないだろう。
「グルルルゥ!」
返事のつもりなのか、小気味よく吠える我がペットに俺は小さく手を振り、そして『ハイド』で姿を消したまま、騒がしくなり始めた闘技場を後にした――。
* * *
――つまるところ、この身体がゲームの身体であり、スキルなどもゲームの頃とほぼ同じように使用出来ることを理解した時点で、脱獄自体はいつでも可能だったのだ。
『解錠』スキルに『ハイド』スキル、その他数多のスキルを持つ俺であれば、誰にも気付かれずあっという間にこの監獄を抜け出すことが出来ただろう。
じゃあ、何故今までそうしなかったのかと言うと、問題はその先にあると考えていたからだ。
俺がずっと悩んでいたのは、脱獄方法自体ではなく――どうやって社会的な死人となるか。
脱獄しても、その後脱獄囚として指名手配され続けるようでは、せっかくの自由も台無しである。
衛兵なんぞに追われ続ける生活など、まっぴらゴメンだ。
囚人ということは、服役期間なんかも存在したのだろうが……それを看守が教えてくれたことはなかったし、何年も、もしくは何十年も見世物にされ、牢屋で過ごすなんてとてもじゃないが耐えられないので、正規の手段で牢を出ることは考えていなかった。
何の罪で俺が囚人になったのか教えてくれない以上、もしかしたら無期懲役や、死刑囚だった可能性もあるしな。
脱獄しつつ、しかし指名手配もされない方法。
それを思い付いたのは、ゴブロから魔物と戦わせられることもあると聞いた日だった。
うまくやれば、死人になることが出来るかもしれない、と。
想定より二回りくらい用意された魔物が強く、何発も攻撃を食らってしまって、ちょっと危ない戦いとなってしまったが……ま、結果良ければ全て良し、だ。
我がペットが暴れているおかげで、そちらに看守が割かれ、監獄全体の警備が手薄になっている。
故に、現在『ハイド』を発動して姿を消している俺は、武器を手に駆け回る奴らに見られることもなく、にわかに騒ぎだした囚人どもに気付かれることもなく、自由に内部を動くことが出来ている。
このまま外へ向かう――前に。
「お、見つけた。よう、ゴブロ。ここにいるんじゃないかと思ってたぜ」
誰も見ていないところで一人、黄昏た様子で闘技場の方を眺めていた小男――ゴブロに、俺は後ろから声を掛ける。
現在は囚人の自由時間に辺る時間帯なのだが、コイツは俺の試合がある時はいつも観戦しているようなので、以前教えてもらった闘技場が一望出来るこの場所にいるんじゃないかと思っていた。
「なっ――ユ、ユウ!? て、テメー、食われたんじゃ……!?」
ここは人目に付きにくいので大丈夫だろうと、『ハイド』を解いて姿を現した俺に、まるで幽霊でも見たかのような驚愕の表情を向けるゴブロ。
これでコイツには、俺が生きているということが知られてしまった訳だが……まあ、いいだろう。
いつも冷静な小男が、愕然と固まっている様子が面白く、俺は笑いながら答える。
「俺は色々手品が使えてな。どうだ、驚いたか?」
「……あぁ、驚き過ぎて声も出ねぇよ。ってことは、あの魔物に食われたように見えたのは、テメーじゃなかったのか」
「いや、俺だけど」
「は?」
何を言ってんだコイツは、みたいな顔で俺を見るゴブロに、肩を竦める。
「ま、その辺りは企業秘密さ。手札はなるべく知られない方がいい。だろ?」
「……オーケー、そこは聞かないどいてやる。その情報に対する対価は、今の俺には払えそうもねぇ」
「おう、そうしてくれ。んで、本題だが、俺今から脱獄するんだけど、お前も来ないか?」
「…………あのな、ユウ。すげー重要なことを、散歩に誘うみてーに言うの、やめてくんねーか。テメーが聞いてくる情報から、脱獄を考えてんじゃねーかとは思っていたが……」
呆れた顔で、そう言うゴブロ。
「実際散歩みたいなもんだ。その気になりゃあ、もういつでも出られる。お前を誘ってるのも、ついでみたいなもんだし」
コイツには、世話になったからな。
何をやってここにぶち込まれたのかは知らないが……そう悪くない奴だってのも、これまでの付き合いでわかっている。
右も左もわからない俺が、この監獄でそんなに辛い思いをせずやって来れたのは、間違いなくコイツがいたからだ。
ゴブロと知り合っていなかったら、確実にもっと苦労していただろうし、脱獄の目途が立つのもまだまだ先だっただろう。
「それに、俺よりもお前の方がここの構造には詳しいだろ? 俺もお前から色々聞きはしたが、お前自身がナビゲートしてくれるんだったらそっちの方が安心だから、それで誘ったってのもある」
「ナビゲートはいいが……脱獄の勝算はあんのか?」
「余裕だ。俺は色々手品が使えるって言ったろ? 信じるか信じないかはお前次第だが……一応今まで、信用出来る取引相手として振る舞って来たつもりではあるぜ」
俺の言葉に、ゴブロはしばし口を閉じて何事か考える素振りを見せ――やがて、小声でポツリと呟いた。
「……潮時か」
「あん?」
「何でもねぇ、こっちの話だ。――あぁ、わかった。このクソ監獄から出してくれるってんなら、頼む」
「オーケー」
俺は『解錠』を発動し、ゴブロの手枷を外す。
これ、本来ならダンジョンの宝箱を安全に開けたりするためのスキルなのだが、こちらの世界では扉の鍵を開けたり、こうして手錠の鍵を開けたりすることも出来るようになっている。
牢で暇な時に確認して知った。
自由時間である現在は、通常時ならば手枷を嵌められることはないのだが……多分、緊急事態だから牢から出ている囚人には、全員手枷を嵌めさせたのだろう。
牢に戻している余裕はないという判断からか。
「……テメー、その様子じゃあ、いつでも脱獄出来たんじゃねぇのか?」
「ハハ、まあな。けど、全部の準備が整ったのは今日だ。――『付与:ハイド』」
次に俺は、ゴブロに付与魔法を利用して『ハイド』を掛け、そして俺自身は普通に発動し、姿を隠す。
付与系魔法スキルは、俺が自分自身に対して発動するものより効果が一段下がるのだが……まあ、余程のことがなければ大丈夫だろう。
付与系魔法も『ハイド』も、スキルレベルマックスだからな。
ちなみに、現在は俺もゴブロも姿を消している状態な訳だが、それで互いの姿が見えなくなるということはない。
そこは親切仕様である。
「何だ今のは? 魔法か?」
「あぁ。他人からこちらの姿を見えなくさせる。これで俺もお前も透明人間だ」
「……それで誰にも気付かれず、この騒ぎの中ここまでやって来たって訳か」
部屋の窓から外の様子を眺めながら、そう溢すゴブロ。
闘技場の方は、観客達が恐慌状態に陥って必死に逃げ惑い、多数の看守達が大暴れする我がペットを鎮めようと、鎖を投げたり魔道具らしきアイテムを使ったり、色々頑張っている。
監獄の方は、騒ぎを察知した囚人達が祭りが始まったとばかりに暴動を始めており、闘技場にいない残りの看守達が必死の表情で武器を手に駆けずり回っている。
一言で言って、大混乱である。
観客も、囚人も、看守も、まず間違いなく大怪我人とか出ているだろうが……ぶっちゃけ、何も思わないしどうでもいい。
悪いな。俺、お前らのこと、全員反吐が出る程嫌いだからさ。
出来るだけいっぱい重傷を負えばいいと思うよ。
死人が出たら、ちょっとは冥福を祈ってやるよ。
「そういうことだ。――よし、行くぞ。脱獄の前に、先に向かいたい場所がある」
「了解、ボス。どこへの道案内をお望みで?」
調子を取り戻してきたようで、軽口を叩くゴブロに、俺はニヤリと笑みを浮かべて答える。
「もう一人、声を掛けておきたい奴がいるんだ」




