道《1》
――相も変わらず、剣闘士として駆り出されたある日。
「おい、今日は防具を着ていけ。そっちに置いてある」
「防具……?」
武器管理をしている看守にそう言われ、俺は指差された方向を見る。
この控室に防具があることは知っていたが……今までの試合では使用が許されておらず、生身で戦わせられていた。
何でもそっちの方が盛り上がるとかで、それを聞いた時は相変わらずふざけた場所だと思ったのだが、いったいどういう風の吹き回しだろうか。
……まあ、ここでそんなことを考えても埒が明かないし、どうせ聞いても何も教えてくれないことはわかっているので、装着方法にちょっと悩みながら大人しく言われた通り防具を装備する。
簡単なレザーアーマーと籠手だ。
あまり上等なものではないようだが……それでも、無いよりはマシか。
それから、ここ最近の試合で使用している二本の短剣を装備しようとしたところで、管理の看守に待ったを掛けられる。
「あぁ、待て。武器も今日はこっちを使え」
と、代わりに渡されたのは、刃引きのされていない短剣を二本。
「わかっているだろうが、俺達にソイツを向けた瞬間、叛意ありとして即刻処刑だからな。肝に銘じておけ」
「へいへい、そうしますよ」
短剣の取り回しを軽く確認しながら、テキトーに答える。
特別良いものという訳ではないようだが、錆びもなければ研ぎも十分な普通の短剣だ。
通常の試合ならば、こんなものを装備させられることはないのだが、これはもしや……。
ある予感を覚えつつ、準備が整った俺は通路から闘技場の舞台へと上がり――。
「グオオオオオオォォッッ!!」
――俺の耳に飛び込んできたのは、観客の歓声を掻き消す、咆哮。
俺のことなど一口で食べてしまえそうな巨大な口に、それに見合ったサイズのぶっとい牙。
頭部からは幾本もの立派な角が生え、サイや象のように分厚く固そうな、鎧のような皮膚。
筋肉の筋がわかる程発達した四肢をしており、五指の爪など岩でも簡単にスライスしてしまえそうな鋭い。
闘技場で待ち構えていたのは、人間ではなく、四足歩行の怪物のようなどデカい獣だった。
――来た。
ドクンと心臓が跳ねる。
落ち着け。焦るな。
ここで失敗してしまったら、全てが台無しだ。
フゥゥ、と大きく息を吐き出し、精神を落ち着かせる。
あれは、こちらの世界で『魔物』と呼ばれるモンスターだ。
この闘技場で勝ち進んでいくと、時折こういう試合が組まれることがあるということは、ゴブロから聞いていた。
運が悪いと、こういう試合の剣闘士に選ばれるため、とにかく逃げまくって生き延びろと。
戦える剣闘士は向こうにしても貴重な存在であるため、一定時間逃げ続けることが出来れば、看守達が助けに動くと。
元より魔物との試合は、剣闘士が勝つか負けるかではなく、剣闘士が生き残るか食われるかを楽しむ試合だからだ。
だから俺は、いつその時が来ても対処出来るよう、ずっと準備をしていたのが……こんなに早く来るとは、運が良い。
装備にちゃんとしたものが渡されたのは、これが理由か。
俺は、思わず口角を吊り上げながら、鎖で四肢を闘技場の壁に繋がれている魔物の方へと向かって行く。
「よう、デカブツ。よろしく頼むぜ」
「グルルルゥ……」
デカブツは、苛立たしそうにグングンと首を動かし、繋がれた鎖を壊そうと荒々しく振り回している。
実際、デカブツが繋がれている先の壁にはヒビが入り始めており、看守達が大慌てで補修している様子が窺える。
どれだけ力が強いのか、わかろうものだ。
こんなの、看守の仕事ではないだろうに、ご苦労様である。
そのまま踏み潰されて死んでくれていいぞ。
ふと見上げると、いつもと違って観客席の方に薄い膜のようなものが形成されており、見慣れない装置がその膜の向こう側に計四つ程プカプカ浮かんでいる。
あれは確か、観客の方に被害が及びそうな試合で出される『結界発生装置』とかって魔道具だ。
アレがあると、ステージでの攻撃の余波を観客席に行かないよう弾くことが出来るのだそうだ。
異世界っぽい品である。
よし……慎重に、油断せずやろう。
まずは、弱らせるところから。
これで俺が負けてしまったら全ておじゃんだ。確実にいこう。
そうして大歓声の中、両手に握った短剣を構えると、準備が整ったと判断されたらしく壁側の鎖が看守達によって外され――瞬間、待ってましたとばかりに、こちらに向かって一直線に突進してくるデカブツ。
そう動くだろうことは予想していたので、俺は大きく横に跳んで回避。
デカブツは、避けられたと認識するや否や、全身の筋肉をしなやかなに動かし、その場でグルっとコマのように回転する。
えっ、と思った瞬間、俺に向かってぶっとんで来たのは――奴を繋いでいた鎖。
壁の方を外されはしたが、奴の四肢に未だ嵌められたままの鎖が、まるでムチのようにしなって俺の眼前へと迫り、その予想外の攻撃に俺は虚を突かれてしまい、回避が遅れる。
「ギッ――!?」
左肩辺りにヒットし、その重い一撃に簡単に身体が吹き飛ばされる。
一度床をバウンドした後、身体が浮いたところでどうにか姿勢を制御し――迫り来る牙!
「ガアアアアア!!」
俺がぶっ飛ばされると同時、こちらに向かって駆け出していたらしいデカブツが大口を開け、俺を噛み殺さんと迫り来る。
身体に走る痛みに顔を顰めながらも、カウンターを狙うべく俺は、もはや倒れるような超低姿勢になって奴の首下に入り込み、その喉元に向かってスキルを発動済みの短剣二本を突き出した。
――状態異常スキル、『出血』、『幻覚』。
「グルゥッ……!?」
片方ずつで別々のスキルを発動した二本の短剣は、奴の皮膚が厚いせいで深く刺さりはしなかったが、しかしスキルの効果はしっかりと通したようだ。
俺の攻撃に苦しそうに呻き声を漏らすと同時、奴に何が見えているのかわからないが、突如辺りをキョロキョロして少し怯えた様子を見せ始め、そして短剣を突き刺した首元からダラダラと血を流し始める。
その隙に俺は、ヤツの身体に手を当て――隷属スキルを発動。
「『従え』」
……だが、何も起きない。
隷属の証である紋様もどこにも出現していない。
失敗である。
流石にこれだけじゃ無理か。
アイツかなり強そうだし、もっと弱らせないと隷属スキルは通らないか。
俺は、奴の脇下から転がって逃げ、再度距離を取って対峙する。
……とりあえず、さっき鎖食らったところがクソ痛くて泣きそう。
折れてはなさそうだが、多分服の下を確認したら紫色に腫れ上がっていることだろう。
「グルル……」
と、デカブツは自分が見ているものが本物ではないということを理解したのか、フルフルと首を左右に振り、それから低く唸って敵意の籠った視線を送ってくる。
状態異常の『幻覚』が解けたのだろう。
……こんな短時間で解けたか。
さっきの鎖の使い方でわかっていたが、あの野郎、相当頭がいいらしい。
――好都合だ。
それくらい賢い方が、今後が楽になる。
本当は、状態異常系攻撃ならばゲーム時代に使いまくっていた『毒』を使いたいところなのだが……毒系統のスキルは、俺がスキルレベルを育て過ぎたせいで威力が半端ないことになっているので、今回は使えない。
万が一にも、コイツに死んでもらったら困るのだ。
俺が発動可能な状態異常系スキルは『火傷』、『毒』、『出血』、『氷結』、『石化』、『麻痺』、『睡眠』、『昏倒』、『盲目』、『スロー』、『混乱』、『幻覚』の全十二種類。
前の理由で『毒』は抜き、それ以外の十一種類の中で、今回俺が攻撃の軸として使用するつもりなのは、徐々にダメージが入る『出血』だ。
派手なエフェクトもなく、攻撃した部位からただ血が流れ出るスキルなので、観客からすれば俺の短剣の攻撃が通ったようにしか見えないだろう。
そうして少しずつ少しずつ血を流させ、隷属スキルが通るところまでじわじわと弱らせてやる。
と、俺が思考を巡らしている間にもヤツは攻撃を再開し、下手に間合いを詰めようものなら反撃されると学んだのか、距離を取ったまま四肢の鎖をムチの如くしならせて攻撃してくる。器用なヤツめ。
縦横無尽に襲い掛かってくる鎖を、俺は右に左に、上に下にと跳んで避け、避けられそうにないものは両手の短剣で流すように弾く。
回避をするだけで大分神経が削られる、大道芸染みた動きだが……やってやれないことはない。
俺は神経を過敏に尖らせ、鎖の間隙を縫って距離を詰めていくと、ヤツの前脚での払いをしゃがんで避け、その前脚に二連撃。
今度は、『出血』と『昏倒』。
デカブツは突如グラリと姿勢を崩すと、何が何だかわかっていない様子でドシンと闘技場の床に倒れる。
観客席から、どよめきの声があがる。
「オラッ!!」
デカブツの動きを止めている間に、俺は両方の短剣に『出血』を発動し、一撃、二撃、三撃と攻撃を叩き込んでから、二度目の『隷属』スキルを発動し――。
「『従え』」
だが、これもまた失敗。
デカブツの身体に紋様は浮かび上がらない。
チッ……ダメか。
ならば確実なダメージを与えるべく、更なる追撃を、というところで奴は立ち上がり、大きく跳び退ってこちらを警戒する。
おい、『昏倒』の効果ももう解けたのか。
流石に早過ぎだろ。どんだけ強いんだアイツ。
……いや、だがよく見ると、『出血』によるダメージの方は喉元に食らわせた最初の一発も未だ効果を発揮しており、ダラダラと血が流れ続けている。
『幻覚』と『昏倒』の方は大して効果がなかったことから察するに、体内に作用するようなものは食らいにくいのか……?
ならば、それを踏まえてもう一度攻撃を、と行きたいところなのだが……デカブツはこちらを警戒して、俺が一歩詰めようとすれば、一歩下がって間合いを取ろうとしている。
もう、簡単に近寄らせてはくれないつもりなのだろう。
見た目に反して、随分と冷静な戦い方をする。
今のところは俺の方が有利に戦闘を進められているが、少しでも気を抜いたらすぐに足元を掬われそうだ――なんて思ったところで、デカブツは突然、何の脈絡もなくガバッと口を開いた。
「あ? ――うおあぁッ!?」
放たれたのは、火炎放射。
すんでのところで、身体を投げ出すようにして逃げることで、どうにかこうにか回避に成功する。
どれだけの熱量があったのか、奴の火炎放射が通った後の闘技場の床が、真っ黒に変色している。
避けたのにもかかわらず、皮膚が燃え上がったかのような錯覚を覚える。
何だよその攻撃はよ!
ビビったじゃねぇか!
俺を休ませないつもりなのか、口端からプスプスと黒煙を漏らす奴の攻撃はそこで終わらず、再度鎖を器用に操って攻撃を放ってくる。
最初の数発は避けることが出来たが……慣れてきたのか、先程よりも鎖の扱いが上手くなっている。
地面の跳弾を利用した一発を食らい、動きが鈍ったところを横から別の鎖で強かに打ち付けられる。
「ぐう――ッ!?」
籠手を間に挟むことでのガードは間に合うも、俺の身体は吹き飛ばされ、闘技場の壁に激突する。
あまりの痛みに、意識が一瞬飛びかける。
その隙を逃さず、こちらに突っ込んで来るデカブツ。
相手に主導権を渡してはならないと、激痛に歯を食い縛りながら、壁を蹴って三角飛びの要領で奴の突進を回避、カウンターを食らわせてやるべく短剣を――。
――デカブツがグルリとこちらに顔を向け、ガパッと口を開く。
火炎放射。
――コイツ、俺がカウンターに動くと読んでやがった……ッ!!
「なろぅっ!!」
俺は、正面から迫り来る物凄い熱量の火炎から、身体の可動域を限界まで酷使することで直撃を免れる。
髪が焦げ付き、皮膚が火傷を負ったのを感じる。
無理な身体の動かし方をしたせいで、関節が悲鳴をあげている。
だが――この身体ならば、まだやれるはずだ。
ゲームの身体という、理を無視したこの身体の限界は、こんなものじゃないはずだ。
どうにか回避に成功したことで、奴には隙が生まれ、俺は一手動くことが出来る。
自らの吐いた火炎で、前が見えていないデカブツの側面に回り込み、胴体に四連撃。
最初に『出血』、『出血』の二連撃、それから発動スキルを変更し『スロー』、『麻痺』の二連撃だ。
その内、『スロー』は弾かれてしまったが『麻痺』はしっかり通ったようで、短剣に宿っていた淡い電撃がデカブツの身体に流れ込むと同時、奴がブルブルと痙攣し始める。
この間に、確実に体力を削る……!!
斬り、裂き、突き、『出血』の発動箇所を増やしていく。
『麻痺』が切れ、奴が逃げようとするが、もう絶対に逃がさんと再度『麻痺』を発動して斬りつけることで、デカブツをこの場に釘付けにする。
集中するにつれ、周囲の速度がだんだんとゆっくりになっていく。
自身の動きが、加速していく。
俺の視界には、もはや目の前の獣以外は何も映っておらず、観客の歓声もまた何も耳に入っていなかった。
――どれだけの間、俺は攻撃していただろうか。
奴の苦し紛れの牙が俺の身体を掠り、振り回された鎖が肉を打つも、そんなことなどお構いなしと、防御も回避も最小限にしてただ攻撃を続ける。
「『従え』!」
俺の装備がボロボロになり、奴の動きが大分鈍り始めた頃、俺は『隷属』を発動し――だが、それもまた、通らない。
「『従え』!!」
二連撃を食らわせ、飛んで来る鎖を一度躱し、再度二連撃を食らわせ、『隷属』を発動。
隷属は……まだ通っていない。
「このッ――『従え』ってんだよボケナスッ!!」
奴の前脚でのストンピングを紙一重で回避した俺は、募りに募っていた苛立ちを込め、『隷属』を発動しながらその横っ面を渾身のグーで殴り飛ばした。
衝撃で首を反らせたデカブツは、一瞬グ、と固まって抵抗する素振りを見せるが……ボワリとその手の甲に、紋様が浮かび上がる。
――隷属成功である。




