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城内、急変。

「どうしました。急に笑って」


 城の上、少数な分精鋭なのだろう警備の兵を刹那で昏倒させ、レオンハルトは長い金髪を風に揺らし佇む。


「……いえ。お伝えすることはありません」


 いつもの黒衣を纏うレオンハルトに対して、ノアは同じく黒いものの、華美なドレスを着て装飾もつけて、“王族のような”装い。


「そうですか。貴女が笑うなど、余程嬉しいことがあったのかと思いましたが。……昔のようですね、そうしていると」


「記憶を元に再現して、今に合うよう少し変えています。黒を着ることは、ありませんでしたが」


 ノアが夜に用意した指輪は、夜に配慮してその状態を逐一報告するようなものにはしていないが、ノアの魔法に対する受信機的な役割を持つ。

 つまりは必要とあらば、指輪を起点としてノアが魔法を行使できる。


 とはいえ有効距離は存在していて、ロアルフューズまで離れていればその限りではなく、もしものときに仕込んでいる魔法以外は普通の指輪と変わりない。――それに付随して、こちらは本来副次的なものだったのだが。


 有効距離にある場合、ノアにはそれが“わかる”。


 指輪だけが何かの間違いで、なんてことは考えない。


 今日この時に、そんな下らない展開があるはずはないから。


「柔和に微笑んで頂けませんか。必要なことですから」


「はい?……こうでしょうか」


 自分もレオンハルトも、演技については達者だ。笑えるような心は微塵も持ち合わせていなかろうと、こうやって彼女に見せるような笑みは作れる。


「明るいときにその姿でいるの、初めてでしたから。似ていますね、やはり」


「母に?」


「ええ、アンネリーゼ様に」


 レオンハルトの母親、アンネリーゼ。


 王族分家ながら騎士を担うシュヴァルツフォールは特殊事例だが、貴族の中には代々優秀な騎士を輩出し、重職を賜る家系が複数存在する。


 アンネリーゼはその出であり、幼い頃からシュヴァルツフォールの兄弟と交流があった。

 そしてアンネリーゼは、兄弟よりずっと――大人を含めた全ての騎士に勝るほど、途方もなく強かったという。


 レオンハルトの剣技は父ではなく、彼女を目標にしたもの。


 速度を以て全を制す。

 対人なら、相手の振り始めに合わせて剣を振り先に届くならばそれは必殺となる。

 ヒトが相手でなくとも、速度を極めれば斬れぬものなどないから、と。


 二つの合わせ技が、力の差が絶対だからこそできる武器切断による無力化。彼女は不殺を信条としていたから。


 そして、翼。


 飛翔しての戦闘は元来、制御が複雑すぎるとして人の身には余るとされてきた。生まれながらに翼を持つ亜人種でようやく。それすら、空を飛ぶ利点を十全に活かしきれているとは言い難かった。


 それを体系として確立させた。確立させても、扱えるのは実の子一人のみだったが。


 アンネリーゼはその戦闘スタイルからも麗しの容姿からも天使と評される女性で、当然求愛もそれはそれは多かったらしいが、その全てを「私を打ち負かすこと」を条件に剣を合わせ、悉くを殿方の矜恃ごと真っ二つにして退けた、という。


 そんなアンネリーゼとシュヴァルツフォールの弟君が婚姻に至ったのは「根負け」ということらしいが……委細を知るものは当人達以外にいない。


「それは……嫌ですね。ひどく、申し訳なくなります」


 無双を誇る戦闘能力に対して、普段の彼女は常に微笑みを携えた、優しく聡明な女性だった。


 夜に対するレオンハルトは思い返すと、彼女の雰囲気に近いかもしれない。


「申し訳なく、ですか」


「母は、自分の剣で命を奪うことをしない人でしたから。同じ姿で、殺めた数を覚えていないようでは。冒涜が過ぎるでしょう」


「それはどうでしょうか」


 努めて悪人たらんとするのは、そうしなければ止まってしまうから。

 これからどうなるにしろ――今は揺らいでくれた方が、良い。


「…………どう、とは?」


「貴方はたとえその姿であっても、殆ど人を殺していません。全く、ではありませんが。殺めるにしても、その線引きは貴方の正義に則って。その正義にはおおよそ、私も同意しますし。つまりは、そう気に病むものではないということです」


 レオンハルトはその言葉に無表情のまま、数秒の沈黙。そして背を向けた。


「……今日はやけに饒舌ですね」


「きっと昂っているんでしょうね、無意識に。貴方は平常通りですか?」


「別に。昂りも不安も、何も。今日で過去の精算がつく、それだけのことですから。それで過去が変わるわけでもありませんし」


 過去が変わらずとも、未来は変わるというのに。


 全てを為したとして、きっと貴方はもう、以前のようには振る舞えなくなってしまう。


 それを止めることは自分にはできず、止めることのできる関係性を持つのは唯一、彼女だけだから。


 主人の来訪を祈るように、ノアは瞳を閉じた。




「人が少なくて幸いね。ヴァーレストは最も親交のある国とはいえ、ヴァンパイアを見慣れている人は極一部。あまり驚かせたくはないもの」


「どちらかというと、わたしをみておどろいてた……とおもう」


 城内。


 ヴィクトリアとミルフィティシアは城に入ってすぐに現れたローレリアの案内を受け、玉座の間に通じる通路前まで通された。


 立ち会うわけではないローレリアはそこで礼をして別れた。

 自分にもあの子にもよく懐いていたローレリアが落ち着いた対応だったのは相当抑えていたのだろうな、とミルフィティシアは最後の別れ際にされた抱擁の力強さから感じて。


「シュヴァルツフォールの旦那様がいないのが残念ね。てっきり呼ばれているものかと思っていたのに」


「それはたぶん――っ」


 こつこつと二足歩んでヴィクトリアは、後ろを着いてこないミルフィティシアの途切れた言葉に立ち止まる。


「あぁ……だめ、だめ。逃げ、て」


「……ミルフィティシア?」


 いつもの子供っぽさが消えた声に振り返り、それと同時。


 腹部に灼熱の激痛が走った。


「――か、はっ」


 自分の胴体を貫く、銀に輝く槍。それを握る、涙に濡れた顔の少女。


「違、ごめん、なさい」


 槍が引き抜かれて、ぽっかり空いた穴から大量の血を噴出させながら、ヴィクトリアはミルフィティシアの身体に腕を回した。

 どうにか動かせたのは左腕だけで、それでもたれかかるように抱いて、息混じりに優しい声で語りかける。


「わかっ……わ。だい、じょうぶ」


 ミルフィティシアが自分を裏切る? それは断言できる、ノーだ。


 自分はミルフィティシアの思考を全て読み切れるとは言い難い。それは確か。だが、彼女は裏切るような性格ではない。絶対に、ない。


 善悪の見定めにおいて、両方の入り交じるシュヴァンツメイデンを統べてきたヴィクトリアは、自分の目を信用していたから。


 ミルフィティシアの“血の祝福”は太陽の力。先代すら殺し得た、吸血鬼に対する必殺。


 当然ヴィクトリアも例外ではなく――腕に力が入らなくなって、ヴィクトリアはばたんと床に倒れ伏した。


「ヴィクトリア、さま。ヴィクトリア様、ヴィクトリア様」


 ミルフィティシアはぺたんと座り込んで、呆然としたままただそう口にする。


 この子が泣くのを初めて見た。


 強くて、冷静な子だったから。泣くということとは無縁に思えていたし、実際そうだったはずだ。


「残す、べきじゃ……なかった、ということ……ね」


 自分が戦える状態ではないからだろう。


 姿を現したその人物を、ヴィクトリアはせめてもの抵抗ときつく睨む。


「お前とやり合えば勝てなかっただろう。その血の量では、操れたかも怪しかった。その点、先代殺しは優秀だった」


「ノクター、ニア」


 声のした背後に、ミルフィティシアは銀槍を振るおうとして―――動きが止まった。


「その若さで、血の量で、意思を保っているのは尊敬しよう。礼を言う、そしてお別れだ」


 真紅の長剣を一閃。


 ヴィクトリアから流れた血の海に、ミルフィティシアの身体は投げ出さればしゃりと音を立てた。


「随分溜め込んでいたな。お前は人を襲っていなかったろうに、これほどよく溜めたものだ」


 ヴィクトリアから流れる血は止まらない。

 身体に対しては明らかに多い、夥しい量の血。


 それが自分から流れゆくのをただ見ていることしかできないヴィクトリアは、泣いた。


「もう一度……会いたかった……なぁ……」


 全てはそのために。


 それだけのために、ずっと。


 決して、他人には迷惑をかけないように。


 これは自分の願いで、一番大切なもので、吸血鬼の長として長い刻を過ごした自分の持ち続けた唯一の、かつてした恋を持ち続けた、少女として祈りだったから。


「下らない。だから、お前はどこまで行ってもヒトのままで――ヴァンパイアをこの世界から消し去る、殺すに値する敵だった」


 ヴィクトリアは消えゆく意識のなか、どれだけ経っても色褪せることない想い人の顔を思い浮かべて――ふっと笑って、事切れた。

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