はじめてのごはん。
「よくお似合いですよ」
「わっ、と……ありがとうございます」
ノアの買ってきてくれた服を身につけ、鏡に変化させた壁を前に自分を眺める。
フリルの多い白いブラウス、黒いフレアスカート。髪は編み込みにしてもらって、靴はスエードのような素材のスリッポンタイプ。
服に夜の知るものとの差異がないのに少々驚くが、きっと大元の文化は過去に、どちらかからどちらかへ共有されたのだろうな、などと推測をして。
清楚な風の、わっかりやすい美少女がそこにいた。
「着替えられたところで、ご夕食のお時間です。お腹は空いていますでしょうか」
「はい、いい感じにぺこぺこです」
「それは結構。レオ様もお呼びしていますので、食卓へ移動願います。着いてきて下さいませ」
ノアは変わらず無表情だが、慣れてくると怖さは全く感じない。表情は読み取れなくとも、言葉の伝える感情は多彩で。
本日何度目か、ノアについて屋敷を歩く。
「ノアさんは、レオにどれくらい仕えていらっしゃるんですか?」
「もう六年になりますね。私のことはあまりお話できませんが、レオ様のことでしたら、大体のことは答えられると思います」
小さな拒絶。夜は意外とこの辺りを捉えることが上手いようで、ノア本人や仕えることになった経緯について訊ねるのは、やめておくべきだと察する。
「それでは……レオはずっとあんな感じに、正義の王子様みたいな人なんでしょうか」
「正義の王子様。笑ってしまいそうな響きですが、否定もできないのがレオ様らしさでしょうか。……そうですね。他人を救うことを、第一に置いているでしょうか」
「そのために自分を蔑ろにすることもあり、ですか?」
ノアは夜を見て、僅かに、本当に僅かに微笑んだ。
「そう思われますか?」
「なんとなく、ですけど。自分より他人を優先しそうに見えて、ちょっぴり不安だったり」
自己がないため、ではない。むしろその自己が、遠回しな破滅的性質に映っていて。夜をこうして迎え入れているのも、その一つに感じてしまって。
「一人で立つことのできるのと、一人で立っても良いのとは違います。と言って、伝わるでしょうか」
ノアの口ぶりは心無しか優しい。
「たぶん……えーと。だから私が支えてあげられたら、でしょうか。今はまだ、そんなこととても言えませんけど」
「支えずとも、ただ横に、並んで立って頂ければ。誰も横に並ぼうとしなくなってしまった彼の傍に、自然と居られる貴女様なら」
自然と、には疑問の残るものの。きっと、夜はレオンハルトの凄さを全く理解していないのだろう。だからこそ畏まらず、そしてそれが求められていて。
夜は無言でこくりと頷いて。
丁度到着したようで、ノアの開けた扉の先へと進む。
長机の鎮座する、いかにもお金持ちの食卓といった風の一室。本来なら20人以上は軽く一緒に食事のできる広さだろうが、今席についているのはレオンハルトのみだ。
夜の姿を視界に収めて、微笑んだ後視線を逸らした。その反応自体は嬉しくはないものの、調子は戻ったのだろうと少し安心する。
「夜様、こちらへどうぞ」
ノアに促され、レオンハルトに向かい合う席に。椅子を引いてもらい座る。
何となく気恥ずかしかったので、小さく会釈だけして目を合わさず俯く。
今のレオンハルトは鎧姿ではなく、白いシャツに着替えて剣も携えておらず。こうして見ると普通の男の子なんだな、と思ったりする。その前に“超かっこいい”がつくのは置いておいて。
そしてその普通の男の子と何を話せばいいのか、夜は全く知らなかったりするのである。
「あ、と、ノア」
訊きたいことなら山程あっても、質問ばかりするのも悪いし訊いてはおかしいようなことまで訊いてしまうかもしれないし――と考えていた夜の思考は一旦、レオンハルトのノアに向けての声で途切れた。
レオンハルトはアイコンタクトと少しのジェスチャーでノアに何かを伝えたようで、こくりと頷いたノアはレオンハルトの後ろに立って、背中に手をかざし二言三言呟く。
夜がその様子をぼーっと見ていると、レオンハルトと目が合って、今度は逸らされず。数秒視線が交差する。
「それでは、お食事を並べましょうか」
今のやり取りの意味がぼんやり頭に浮かびそうな時、またしてもノアの声で像は途切れて。
ノアがぱちんと指を鳴らすと、夜の前に色鮮やかな料理の皿が並んだ。前菜からメインディッシュにスープもついて。グラスに注がれた紅い液体はワインだろうか。
「デザートは後程。食べる順番等も気にせず、お好きにお召し上がりください。私は控えていますから、何かあればお申しつけ下さいませ」
食事。元々の夜にとっては、出るものもそこまで美味しくなかった上に味を楽しめるような状態ではなく、生命維持のためでしかなかったもの。
健康体での、初めての食事を迎えてみると。
「美味しそうってすごい……」
視覚と嗅覚の伝える、味の予想図。実際に口に運んだらどうなるのか、そのイメージを魅力的に叩きつけてくる。
この感覚への感動を、“食べたい”が上回ってしまったため。
「いただきます……」
手を合わせて、サラダの皿とフォークを取る。
緑に黄と赤の少し混ざる、比較的普通だろう野菜サラダだ。ドレッシングは元々皿のあった横に、小さな白磁の入れ物に白い液体が入っているのがそうだろう。
ひとまずはかけずにそのまま、フォークを刺して口へと運ぶ。
素材はとても新鮮なもののようで、噛むと心地好い歯ごたえとともに瑞々しさが溢れた。苦さと青さがそこそこ、甘さが少し、辛さも後味くらいに僅かに、ほんのりと塩っ気も感じて。
食べるという行為の伝わる情報の多さに夜は、わくわくして目を輝かせる。
ドレッシングをかけるとどうなるのだろう、とかけてみて、とろーりと広がった白いところを多めに取りつつ口へ入れる。
酸味のありつつ口当たりとしては柔らかく、野菜と絡まって味の締まって整えられるような。これはかける方が好きだな、と何かに得心をして存分に味わう。
「美味しい?」
笑いながらのレオンハルトの声に、食事のみに集中していた意識が引き戻される。
そういえば一人ではなかった、などと気づく程には周りが見えておらず。
「あ……うん。とても。すごく。おいしいです」
行儀の悪くはなっていなかっただろうか、と今更にかしこまる。
レオンハルトは「それはなにより」と微笑んで、そういえば、と話を切り出す。
「明日からのことだけど、僕は引き続き首拾いの任務を続けないといけないから……夜は大人しくしててね。一人で出歩くのは、わかってるだろうけど厳禁」
「ん。ん……素人考えなんだけど」
続きを待つレオンハルトに、おずおずと夜は言う。
「今日レオに勝てなかった首拾いが、またレオを狙いに来るのかな?」
「……………………つまり?」
食べるのをやめ、レオンハルトの表情が真剣なものになる。
夜がそう言うのは喜ばしいことではないのだろう、それはわかっていつつも。
「一番の標的って多分私、だよね?」
肯定も否定も、すぐには返って来ず。
考え込んだ様子のレオンハルトがノアに視線を移すと、「守るのはレオ様の役目ですので」と言い放たれていて。
「正直に言うなら。顔を変えられる首拾いをこちらから探すのは非常に難しいし、捜索して見つかったという報告もまだ無い。僕が警戒されているなら、一人で探して出逢える可能性は低いと思う」
「……なら?」
それでもあっさり承諾するのは厳しいようで、レオンハルトは食事を中断したまま「んー……………………」と唸っている。
夜も食べるのをやめ、手持ち無沙汰に待ちの構え。
「そもそも」
そう口を挟んだのは、ノア。
夜とレオンハルト、二人の視線を集めて続ける。
「たとえ夜様が横にいらっしゃろうと、レオ様がそのままいる時点で出てこないのでは? いくら餌にするおつもりでも、まさかお一人にするわけにもいきませんし」
道理としてはいいとしても、すら潰されてしまった形に、言い出した夜は窮して成り行きを見守るだけのスタンスに移行を決意。
「そのままなら、ですよ?」
顔に出ていたのか、夜を見てノアが言う。
「どういうことですか?」
「ノア、それは却下」
レオンハルトには伝わったようで、夜の問いに否定が重なった。
「つまりは変装です。レオ様だと、わからないようにすれば良い。それでも警戒はされるでしょうから、なるべく油断をさせるようなものに」
「却下」
レオンハルトの頑なな様子。顔をよく見ると、少し赤いような。
「別に初めてではないでしょう? 有用性はご自身で認めているのでは?」
疑問符の複数浮かぶ夜を、レオンハルトはちらりと見て。溜め息をついて頭を押さえ、目を逸らした。
「ひとまず。お食事の続きを。夜様はご自身で提案なさるのですから乗り気として、あとはレオ様が頷くのみですから」
話の読めない夜はそのままに、促されるまま食事に戻ったのだった。