最下層、ふたたび。
種として強いドラゴニュートであっても、同種内で比較するので弱者意識を持つ者はいるだろう、と先程夜は言ったわけだが。
多少戦いのなんたるかが分かってきた夜は、確信する。
「これ見てて強さに自信、持てるわけないね……」
ドラゴニュートの強さは、膂力。身体能力の総合的な高さ。
それを踏まえたうえで、アレンシュナイズが別格なのは感覚の鋭さ。
不意を突くような潜んでの襲撃も看過して先に仕掛ける、後ろからの攻撃も見えているように躱す、武器を隠し持っているのを察して不利な間合いになる前に潰す、等々。
他のドラゴニュートの戦い方を夜は知らないが、圧倒的な力によって一面的に全てを叩き潰すやり方が基本である。
力に驕った戦法とは言えないそれでは、本当に強い相手には敵わないから。ドラゴニュートとしては異端だろう思考を以て、技術と感覚を練り上げた。
だからアレンシュナイズは抜けて強いのだが、「他が馬鹿なだけ」とは本人の弁。
切り札たる起源回帰は純然たる才能なので、それについてはさておき。
「強さに持つべき自信は、それを培った自分に対してだ。最初から持ってるものに自信なんか持ったら、上に当たったときにあっさり崩れるからな」
入って早々、夜が逃げ切ったのと関係しているのか随分と手厚い歓迎をされた。
それが一段落して、こうして言葉を交わす余裕のできて。
「私は自信持てるほどじゃありませんし……」
「戦えるようになってるの、使ってるのは天性の才能だろうと努力しての結果だろ? 上が見えてて弱いトコから練り上げてるなら、把握の正確さといい自負していい適切な力だよ」
「……ありがとうございます」
ここまで、夜が剣を振るう機会はなかったのだが。
あれだけの数を一気に相手してアレンシュナイズ一人で十分なら、この先も夜が動く必要はなさそうだ、と思いつつ。
「進むぞ。派手にやったし、お迎えが来るならそう遠くないはずだ」
遮二無二逃げ出すのみだった先程とは違い、今回はここを仕切っている大元に会う、というはっきりした目的がある。
そのための段取りはあらかじめ決まっていて、来客として認識されているはずのアレンシュナイズが来たことが分かれば案内されるだろうからそのように示してやろう、という。随分粗い方法だが、現状では一番マシと言えた。
ドラゴニュートと一目見てわかるアレンシュナイズの姿に無反応な襲撃者は下っ端もしくは無関係なので、来たことを知らせるように思いっきり暴れてやったのだった。
そんな同行者のいるおかげで、一人のときとは一変して不安なく、鬱屈とした空間を先へ先へと進んでいった。
「左の角に一人。他はいない。仕留めてくる」
言ってすぐ、アレンシュナイズの姿が消えて示した角の先へ。
鈍い打撃音は、聞こえなかった。
夜がおそるおそる近づくと、話し声がした。
警戒する必要もないのだろう、アレンシュナイズは振り返ってその相手に背を向ける。
「お迎えだ。罠ってことはないだろう。かけられる立場でもないからな」
相手の姿を確認すると、これまで十層で見た人々とは明確に異なっていた。
ひどく汚れて劣化しきって、悪臭のしたそれらとは違い。清潔なのは当然に、灰色の軍服めいた格好をした短髪の若い男性。
夜と目が合ったが、その瞳もそれほど、ぎらぎらしていなかった。会釈と共に緩んだその奥は、どこか暗さを潜ませていたが。
「そちらの女性は?」
「案内役に教えられることはないが、必要な連れだ」
「わかりました。どうぞ着いてきてください。襲われる機会は減っても完全には止められませんが、問題はありませんね」
「ああ。ここ全体を支配できてるわけじゃないってことか」
ただの感想か意図的な揶揄か、掴ませない曖昧な言葉には反応を返されず。
後をついて、言われた通り頻度の減った襲撃をいなしながらたまに、夜とアレンシュナイズで話すくらいで男は全く口を開かないまま歩き、しばらく経ち。
人一人ギリギリ通れるような狭い路地に入って、行き止まり。
「ご安心ください。合ってます」
アレンシュナイズが警戒を上げたのにすぐ、笑い混じりにそう告げた。
男はしゃがんで足元を払う。と、砂利道に見えていたそこに錆びた鉄板が見えた。それを持ち上げると、下へ続く階段が覗く。
「最下層のさらに下作ってんのか。そろそろ海の高さになってそうだが」
「ええ。ですから上ほど広い層ではなく、それなりの空間を設けている程度です。通称は“零層”ですが」
「十一層の方が正しいんじゃないか?」
階段を降りると、文化のレベルがはっきり上がったと夜は分かった。
十層は位置的に、各層上手く調整して届くようにしている天窓からの光が弱い。それに加えて空気も暗く、建物もひどい有様なので昼間だろうと日が沈んでいるような印象を受ける。
対してこちらは、その十層の地下にありながら照明は天井埋め込み式の魔法灯でムラなく明るく。
飾り気こそないものの、規格に則って造られたのが分かる灰色の、金属の壁と床に囲まれていた。
無骨さに何となく、戦争時の城塞を思い出す。道の幅は人が三人通れるくらいで、左右に規則的に扉が並んでいる。
と、入口から数えて四つ目、左側の扉が開いた。
「おかえりー。そちらが竜騎士様で……そっちの地味な子はだぁれ?」
二十歳過ぎくらいだろう、茶髪をポニーテールのように結った若い女性だ。格好は前の男性が着ているのと同じだろう服に、長銃を肩から紐で下げている。
「これから訊きます。私ではなく、彼でしょうが」
「それなら私が連れていこっか、女の子だし。警戒されたままより楽っしょ」
「ちゃんとするならどうぞお好きに」
そんなやり取りがなされて、男性が一歩引き女性が夜達の前に出た。
「ご案内しますね、竜騎士様と……んー。んー?」
夜の前に立つと、夜よりやや高めの目線を合わせてフードの中の顔をじーっと覗き込んでくる。
「似合ってないよーそれ。とっちゃえ!」
「え? わっ」
敵意がなかったからか、アレンシュナイズも反応せず。
眼鏡が取られて夜は、取り返そうと伸ばした両手を掴まれる。
「かっわいい。え、なにこの子。かわいい。よく上歩いてきたね……」
チャームの抑制なら二重だったから、眼鏡を取られてもそこまで問題ではないのだが。
こんな、「夜に対しては普通な反応」をされて、困惑する。
「あの」
「綺麗な声! うん、なぁに?」
「どうして、ここにいるんですか?」
質問としては、あまりにも漠然としすぎるそれを。
夜は自然と、口にした。
「どうして、って言うと……会って貰った方がいいのかなぁ、リーダー。うん、そうしよっか。ついてきて」
女性は一人でそう納得して、背を向けて先へ進む。
「言いたいことは分かる。噛み合わないからな、上と。その答え、あるといいんだが」
エレナと名乗ったその女性は、道中もよく夜に話しかけてきた。
夜はそれに当たり障りなく答えながら、気になっていたことを訊いた。
「エレナさんは、上、大丈夫なんですか?」
いくら銃を携えているといっても、それだけで問題ないほど甘い環境ではないだろう。
この国では銃がある程度、実用的な武器として使われているものの。魔法が使えない人間の武器であり、まだまだ技術不足で安定性や耐久面に不安が残っている。
「上、めったに行かないし。行くときは人数集めて武装して行くしね。上を担当する人は、また別だから」
「……そう、ですか」
となると、そもそも見ていないのだろうか、と。
もやもやした思考のなか、竜を摸した紋様の描かれた扉の前でエレナは止まり。ノックをして、返事を待たずに扉を開け中へと入った。
「失礼しまーす。お連れしました、竜騎士様と……かわいい子」
夜達も遅れて部屋に入ると、正面に机を挟んで椅子に座る、精悍な顔つきの男性がいた。これまた若く、エレナとそう変わらないだろう。
「遠路はるばるお越し頂き感謝を。……ってそっち誰、エレナ」
「わかんないけど。かわいいでしょ?」
夜に視線が移り、目が合う。
とりあえず、小さく会釈。
「可愛いな……」
この気の抜ける感じ。
今の夜にはかえって、落ち着かない。不安になる。
「で。予想はついてるが、何者だ」
アレンシュナイズからしても居心地が悪いのだろう、さっさと本題へ入ろうとする。
「失礼した。俺達は……ああ。敢えて言うなら、革命軍だ。貴族制を破ろうとする者。俺は一応纏めてることになってる、ヴォルフ」
そう語る瞳は、真っ直ぐに希望を見据える純粋な瞳をしていた。
「革命、ねぇ。一応、目標を訊こうか」
「私財を肥やして自分達の権力を維持することにのみ国政を使う、貴族制を廃止させて民主主義の国にロアルフューズを変えること」
「そのために何故軍を作った?」
「軍でもないと、変えられないだろう? 権力は向こうにあって、金もだ」
「ならこっちの資金調達は。上でやってる、と判断していいのか」
「……真っ当な方法がなかった。綺麗事だけで国を変えられるなら、こんなことはしてない」
ぐいっと、夜は前に出た。
ヴォルフの正面に立つように。
「わかってて逃げてるんですね、あなたは」
「……何だ?」
「あなたの眼。あんなことをしてまで、なおやってやろうっていう人の眼じゃ、ない。都合のいいものだけ見て、見たくないものから逸らしてる眼をしてる」
すっと笑みが消える。
それでも攻撃的な行動に移りそうにないのは、アレンシュナイズがいるからか。
「私は今日、子供に騙されて十層に落とされたんです。それでなんとか脱出しました、けど。あの子に何をさせているのか、逃げられないような人はどうなるのか、それを知っていたらできるような眼じゃ、ない」
自覚のある悪行だって勿論、タチが悪い。それでも自覚のない方がずっと、悪辣だ。
悪意も無しに人を傷つけるほど非道いことはなくて、その悪意を誰かに代行させているなんて、汚いじゃないか。
「……何が言いたいんだ」
「罪を背負う覚悟がないなら、やめてしまえ。そもそも――綺麗事だけで成し遂げられないなら、革命なんて掲げるべきじゃない」
「そんな年齢のお前に何がわかる!」
ばん、と机が叩かれたのに、夜は全く動じず。
今は言ってやりたい気持ちの方が、ずっと強い。
「わかりますよ。これでも色々、経験してますから。軍事力を使うということは、死者がたくさん出るってことです。死なないにしても、腕や足が使えなくなる負傷者だって、いっぱい出ます。武力に頼るっていうのはそういうことなのに、そんな明るく語れるはず、ありません。――理想に酔っていないって断言、できますか?」
沈黙を以て、答えを受け取った。
「理念自体は分かります。ヴィラリュンヌがこんな、格差のある都市なのはそういう理由もあるんでしょうし。きっと、最初に目を向けるべきってもっと近くなんですよ。どうしたら低層の貧困を無くせるか、とか。革命が成功してから考えるんじゃ、行き当たりばったりですし」
言いたいことはあらかた言った、と夜は大きく息を吐く。
「十層のひどいこと、いっぱい。ある程度制御が効くなら、どうか止めてください。そうしたら、ヴァーレストからロアルフューズに何かできないか、頑張ってみますから。交換条件です。国のために動きたいのなら」
もしここの人達が手を引こうと、そのままでは目的のある悪虐から目的のない悪虐へと変わるだけだから。
通るか曖昧なこれは、お願いに近い。
夜はぺこりと一礼して、部屋を出た。
後に残されて訪れた静寂を、アレンシュナイズが割った。
「さて。傭兵の話は受けない。受けないからこそバラすが、ロアルフューズとしても依頼が来てるからな。今のロアルフューズの情勢からして、軍備を借りてまで整える必要ってのは本来、ない。大方、アンタらの動きが割れてるんだろう。内戦ほど無駄なものはない。それするなら、さっきの提案乗る方がずっとマシじゃないか」
今の夜の立場なら、頑張ってみて明確な成果を出すことは難しくないだろう。
きっと本人は冷静にそこまで考えていないのだろうが、交渉材料としては十二分だ。それを感情が先行して成してしまう辺り、とても“らしい”と言える。
「彼女は……一体?」
「ああ」
それが伝わっていないと意味が薄いか、とアレンシュナイズはふっと笑う。
「“ヴァーレストの聖女様”だよ。流れた血を流れる前に戻して、無血で争いを終わらせた綺麗事の体現者。すっかりやる事取られたが、いい刺激になったろ?」