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休息から、また一転。

「アンさん。夜ちゃんは」


 夜が店に来てから暫くして、イルミティナは仕事服そのままに店を訪れた。


「上の私の部屋。落ち着いたトコでお風呂入って着替えて、今は寝てるかもしれないけど」


「わかりました。失礼します」


 こういうときにふざける相手ではない、とアンジェリカは理解している。


 店の二階はアンジェリカの居住スペース。「店長私室」の看板がある扉を開けて、まず見えるリビングを横切りまっすぐ寝室へ。イルミティナはよく来ているから、慣れたもの。


 ドアを小さく二回ノック、努めて優しく「夜ちゃん、私。いい?」と声をかける。

 すぐに「どうぞー」と返事があって、その声の調子はいつもと変わらないようだが。


 開けて、ベッドに座る夜の姿を見つけ一安心する。着ているワンピースはアンジェリカの服だろう、やや大きいようでだぼだぼになっている。


「その格好……お店のですよね。すみません」


「こういう時にも人の心配してるんじゃないの。聞いて、飛び出してきたのは私の勝手。一応ちゃんと許可は取ってあるから平気」


 イルミティナが近づくと、夜は座るスペースを空けてくれた。それに甘えて横に。


「女性同士だから、訊きづらいこと敢えて訊くけど。されてないの、そういうこと」


「ええっと……そういう、って?」


 この反応は大丈夫だろう、と思いながら。元々非常に疎く、女性連中でからかいながら教えたりした子だ。念の為にしっかり確認する。


「性的なこと。夜ちゃんが泣くってよっぽどだと思うから、ひどいことされてないか心配なの」


「ああ、それは……大丈夫です。落とされたり殴られたり、自分で斬ったり刺したりは……すみません今の無しで」


「駄目」


 片手で夜の両頬を、がしっと掴まれる。ちょっと痛い。


「自分で? したのね?」


「それが必要だったからというか……。怪我してるように見せて、それでも動けるようにしたかったのと、殴られて意識飛びそうだったのを防ぎたかったのと……」


 イルミティナの手が離れて安心すると、すぐにそのまま抱き締められた。


「それを自分で選択できるのが駄目、って言ってんの。たとえ手段として正しくても、そんなのできなくていいし、できちゃ駄目なんだよ」


「……………………前にも、似たように止められたことはあるんですが。やっちゃうんです。ごめんなさい」


 この点において、夜ははっきり異常だ。それは自覚もしているが。


 自分がどうなっても良い、と思っているわけではない。意識が無くなりかけたとき、「駄目だ」と思ったのは――悲しむ相手が浮かんだからで。


 どうなっても良いと思っているわけではないが、軽視しているのは間違いない。


「夜ちゃんを好きな人みんなにひどいことしてるんだからね、それ。……今はあんまり責めないけどさ。とにかく、良かった。けど、それなら泣いた理由って他にあるのよね?」


「そう……ですね。私が泣いたのは。人の悪意に触れすぎちゃって、それに耐えられなくなって……それだけなら、泣いてないんですけど」


 口にするのは恥ずかしいのに、今のイルミティナは優しく聞いてくれるから、つい話してしまう。


「そういうときにいつも隣にいてくれる人が、いなかったから。それがなんだかすっごく、寂しくなってしまって」


「ふふ……そっか。恋人想って泣くなんて、乙女だねぇ」


「……話しちゃっていいですか?」


「んー? 惚気たいの? いいよ、聞きたい聞きたい」


 夜はあははと笑って、「いえ」と否定してから、こほんと咳払いする。


「恋人、ではないんです」


「へーえ? 片想い、な関係性じゃなさそうなんだけど……あ、男の人じゃなかったりするのかな」


「旦那様なんです。婚約者です」


「…………うん?」


 抱擁が解かれ夜の正面に顔が来て、イルミティナの優しい声が崩れた。いつもの声も別に棘があるわけではないのだが、どちらかと言うと今のは間の抜けた声。


「えーっと。一応怖いから訊いとく……相手の年齢は?」


「同じですよ?」


「そうよねうん……うん……。貴族王族クラスの家だよね?」


「あれ……そこまでわかっちゃいます?」


「夜ちゃんの出身国忘れてることにしてても。その歳で同い歳で婚姻、ってことはほぼほぼそういうことでしょ。雰囲気だけでも察せられてたけど」


 ノアが知ったら嘆息しそうな迂闊さである。もっとも、それが分かって困るようならそもそも教えてはいない。


「けど、成程ね。確かに恋人じゃなかったし、何となく納得したかも、色々とね。……それでもまだおかしいところはあるんだけど。ちなみにアンさんは知ってるの?」


「既婚なことはお伝えしてあります。詳しくは伝えていませんが、指輪外しておくように、とだけ言われていますし」


 なお。指輪を外されるのは、ノアにとって想定外だった。


「夜ちゃんならそれでも……いちいち説明するの大変か。うん、うんうん。大体分かった、かも? けど、どうして話してくれたの?」


「話したかったから……でしょうか。あ、勿論、ティナさん相手に話して良いと思ったから、もあります」


「ありがと。なるべく対応変えないようにはするけど……危険及ぶ可能性、はもうちょっと考えないとかな」


 自分にできる範囲の手段、とイルミティナは思索を巡らす。一層に住ませるのは一番簡単、ひとまずは自分のところで良いし、夜の身分なら金銭面の心配は考えなくても良い。


「ふふ、よろしくお願いします。っと……元気になりましたから。仕事したいので、仕事してきますね」


「うん――うん? うん、うん。私も戻ろっかな、とりあえず。また、後で来るからね」


 この子の強さは、折れない強さ。

 人は沢山見てきたから、何となくわかってしまう。


 ただ可愛いだけの子ではなく、ただ護られるだけの子でもなく。きっと大変な経験を、何度もしているだろうから。


 その話を聞くことは、今は残念ながらできないが。

 いつか聞かせて欲しいと、イルミティナは切に願うのだった。




 王制から貴族制に変化してまだ三年程度。それゆえに政治は、政策以上に体制が不安定。


 いっそ貴族制から民主主義に替えてしまおうか、という運動も起こりかけている――のが、今回の呼ばれた理由だろう。


 いくら有翼種でも長距離の飛行は相当に疲れるから、陸路と海路を使っての長旅を経て。


 ロアルフューズの階層都市、ヴィラリュンヌにアレンシュナイズは辿り着いた。


 あまり多くドラゴニュートで固まっていては察せられてしまうから、部隊で出向いてはいるが到着は時間も場所もずらしてある。

 目的があってアレンシュナイズはヴィラリュンヌへと降り立っているが――ひとまずは、空腹を満たすべく飯屋を探すことにした。


 層によって貧富の差があるらしいこの都市で、最上層たる一層の店はいまいち、高級すぎて自分には合わなさそうだ。

 そう思って歩いていると、ツェルタヴレイズの馴染みの店に似た雰囲気を感じて立ち止まる。


「洒落すぎてねーし活気もありそうだ。入るか」


 確認した店名は『アンのキッチン』。


 扉を開けて、入って。


「いらっしゃいませー! おひとりさま……あれ」


 ひどく透き通って綺麗で、可愛らしい声がした。


 聞き覚えのある、一度聴いて忘れるような人間はいないだろう声。


「……奇遇にも程があるな」


 夜はつかつかと寄ってくると、口元に人差し指を当てた。


「えっとですね。色々、秘密なので。よろしくお願いします」


「何となく察せる。とりあえず腹が減ってるから、案内頼むわ、店員さん」


「かしこまりました」


 ヴァーレストの聖女様がこんなところにいる理由は、理解できる。


 もし、夜が長期間ここにいたのなら。


 自分のやることも変わってくるかもしれない、とアレンシュナイズは今後の展開を考えていた。

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