憧れを受ける後輩、憧れのあった姉妹。
「魔法業務資格、Bで良いのよね。最後にもう一回確認させて」
店裏、アンジェリカは新しい子の面接をしていた。
問題は無さそうだし、有難いことも多いし、と採用するつもりで、最後の確認をする。
「はい。……何か不都合あるでしょうか?」
「ううん。Aだと困るなってだけ。うちの店だと、A二人は雇えないもの」
従業員人数や最大客数等で定められた、魔法業務資格者の雇用可能な最大人数。アンジェリカの店だと、AをC三人分、BをC二人分として、C五人分まで、と決められている。
「いらっしゃるんですか?」
「来たことあるなら知ってるんじゃないかな。貴女ならなおさら。夜ちゃん、そうだから」
察していたが、やはり夜に憧れて来たようで。名前を出すとあからさまに、表情が明るくなる。
キャローヌがもう慕いっぱなしなので、いずれ去るだろうあの子にあまり依存しすぎる子が増えるのは少々、不安ではあるのだが。
「持っていても不思議ではありませんでしたが……凄いですね。でしたら、私の取得は暫く見送らないといけませんね」
にこりと笑う、その笑顔に同性のアンジェリカでもどきりとするのは。
色素の薄いひどく整った顔立ちに、瞳は翠。艶やかな金髪に覗く耳は、人間のそれよりも長く。
「そうして貰えると助かるかしら。――ということで、よろしくね。シルファーニアさん」
魅力という意味では夜が別格としても、やはり目を引く。
エルフという特別な種族の子を雇うのは、アンジェリカにとっても初めてのことだった。
「ということだから……よろしくね、夜ちゃん」
「よろしくお願いします!」
仕事の日の朝、着替えて出たところで早々、夜はアンジェリカからシルファーニアを紹介された。
自分に教育を投げられた理由は、外見からすぐに理解できたので明るい返事を返しておいて。
「よろしくね。えっと、言葉ってこのままでいいのかな?」
「ええ、勿論です。言語変換もできますが、私はちゃんと共通語は習得していますから。問題ありません」
「そっか、了解。じゃあ早速――大丈夫? やっぱり見えてるんだよね、色紋?」
視線にはすっかり慣れている夜だが、全く抑えていない時のように凝視されるものだから、つい反応してしまう。
「すみません、どうしても見惚れて……。はい。それはもう、鮮明に。ずっと見ていたいくらい……」
お腹の内側を見られているようなこの視線の剥き方は毎度のことながら、落ち着かない。
「エルフでは普通なのかな、色紋じっと見るのって……」
「夜さんが特別なのと……私、親は片方人間なんですが、そのせいなのかわかりませんが、魔法周りの視力、他のエルフ族よりずっと良いんです」
ハーフエルフというやつだー、と初めて会った存在に目を輝かせる。
混血種の割合はどの種族だろうと相当に少ないようで、夜が実際に見たのはこれが初めて。
「ですから……例えばそのリボン。夜さんを視認した人の視界に干渉する魔法が付与されていますよね。それも相当な効果で、かつ他のものには影響を与えないよう、そして特に情欲を抑えるように」
「……そこまでわかるの?」
夜ですらしっかり把握しているわけではない、ナチュラルチャーム抑制用の装飾具の効果。
しかも、これは、確か。
「加えて、魔法感知には引っかからないようにもされているんですね。相当の術者でないと作れないものです。私が分かるのもたまたまですしね」
検査の入るような公の場でも、そうでなくても。かけられているかの有無を調べる感知魔法には無を示し、視覚化には浮かび上がらないよう。
もしものときに夜が苦労をしないよう、余計な疑いのかからぬよう。ノアによるやりすぎな配慮がばっちりされているもののはずで、シルファーニアがこうして見ることのできているのは天性の眼による偶然だった。
「凄いね、シルファーニアさん……。他にもちょこちょこ見えちゃってるかもだけど、内緒にしてね?」
「勿論です。夜さんを困らせるのは嫌ですしね」
夜はふふっと笑って、そろそろ切り替えようと仕事モード。
「ありがと。――それじゃ、お仕事の説明をするけど……魔法使える前提なら、やって見せちゃおっかな。朝の初めはお掃除から。多分シルファーニアさんがやるときは私と同じで一人だと思うから、よろしくね」
一番近くのゴミ箱まで歩いていって、蓋の開いたそれに手をかざし、唱える。
「ファルカウレート・レコーデオン」
ゴミ箱からがさがさ音がして、それだけ。
フロアに落ちていたゴミやら汚れやらは、全て綺麗さっぱり消え去っている。
「分かるかな?」
他のスタッフの前でやられると「ずるいー!」と言われるし、たまに時間がないときは急遽頼まれたりもする。
幾分か高いお給料を貰っているのだから、これくらいはと夜は思っているのだが。
「物体上からの転移、で記録内容に区別するべきものを予め加えている、でしょうか。床の上を条件に、テーブル、椅子等備えつけのものは除いて、のような」
「うん、大体そんな感じ。厳密には、床、テーブル、椅子の綺麗な状態を記録しておいて、空間内から特定のもの――食器とか銀器とかを弾くようにしてそれ以外の転移、かな。できるようなら、あとでレコーデオンの構成教えるからね」
「ありがとうございます。他の仕事もこれくらい、魔法を使ってすぐ終わらせるんでしょうか?」
夜はあはは、と苦笑する。
「ううん。大体は、そんなに魔法は使わない方が多いかも。接客は楽になる余地あんまりないしね。……なるべく使う機会多い方が良いのかな、やっぱり」
そういうつもりで来たのなら、と夜は少し懸念する。その心配は本来アンジェリカがするべきものなのだろうが、詳しくない彼女に要求していいかは難しいところだろうというのもあって。
「あ、いえ、大丈夫です。使えるなら、で来ていますし……夜さんに教えて頂いているだけで、満足ですから」
女性からの積極的アプローチといえどイルミティナとはタイプの違うそれに、夜は困りつつも悪い気はしなくて、多少見栄を張りながら魔法を絡めて教えるのだった。
その日夕方から出勤だったキャローヌが、自分の後輩ポジションが脅かされる危機感から仕事を頑張ろうとして空回りしてアンジェリカに怒られたものの、翌日夜がいないうちに二人は仲良くなっていて、夜はひそかに安心したのだった。
「ヴァーレストの王族は、一目で窺えるのが良いですね。畏まるべき相手に、正しく畏まることができます」
「ふふ。そのせいで、人目を憚って街を歩くのにも一苦労してしまうんですよ」
王族本家の証たる銀髪を指に遊ばせて、ローレリアは綺麗な微笑を浮かべる。
シュヴァンツメイデンの外交担当だというこの男のことを、ローレリアは信用していない。
あの国はまだ内部の政治基盤を固めるのに必死で、外向けの役職を作る余裕なんてないはずだ。だからこそ国主たるヴィクトリアが、ああして奔走しているのだから。
それに――直感として、信用してはいけない気がする。
ただの挨拶として、自分を指名してきたのは良い。与しやすいと思わせて、油断した相手の善意につけ込んで不快感なく利益を巻き上げる。それがローレリアの基本姿勢なのだから、おかしなところはない。
ヴァーレストとシュヴァンツメイデンの交友の切欠となったシュヴァルツフォールの二人が都合のつかない今、他をあたって自分に来るのは自然。
この嫌な予感は、言葉では説明できない類いのものだ。
「もしヴァーレストで銀髪に染めてしまったり、元々銀髪に生まれついてしまったりした場合は、何か罰を処されたりするのでしょうか?」
ああ、世間話がささくれ立つ。それも一因かもしれない。
「ええ。染めるのは禁止されています。刑罰はありませんが、見つかれば速やかに元の髪色に戻されてしまうでしょう。生まれついては……どうなのでしょう。ヴァーレストで王族家以外に銀髪で生まれ落ちたという話を、私は聞いたことがないのです」
「なるほど。本当にないのか、なかったことにしているのかは興味深いところですが。ヴァーレスト以外でも稀少なその髪色は、それなり以上の証左になるということですね」
言って、吸血鬼の男は二人を挟む長机に一枚の紙を置いた。
夜が見たなら写真と呼ぶだろうそれは、視覚を転写する魔法を用いたもの。
そこに映る人物の姿に、ローレリアの天使の仮面は剥がれかけた。
「……説明を」
「どこからしましょうか。そうですね、こちらから質問を。この方をご存知ですね?」
黒いヘッドドレスの乗った銀髪が示すのは、同じヴァーレスト王族本家。容貌の整い方は、自分より上だと認めた数少ない一人なのだから、当然のように、変わらず。
漆黒のドレスに身を包むその姿は、十を過ぎたくらいに見えるが、彼女が十六の頃にこの幼く見える外見をしていたのをローレリアはよく、覚えている。
そして、その瞳。
あの方とは違い、自分と同じく青かったはずの瞳は今は、紅玉を宿し。
「……ミルフィティシア様。ヴァーレスト第二王子の、長女だったお方」
「交友のあった貴女が言うならやはりそうなんでしょうね。彼女は生きています。私達ヴァンパイアを生きているとするのなら、ですが」
「ああ……そんな……」
ミルフィティシアを見たほとんどの人間はその幼さをそのまま印象として持つが、ローレリアは違った。
王になるべく生まれたような妹を持つ彼女は、妹に持たせたくない王に請われる資質を自分が負おうとしていた。
情も実情も等しく捉え、冷酷無比な判断を下す能力。それを為す、民を導く者でありながら民を支配する者であるという上に立つ者の自覚。
あのおっとりとした様子でいながら、いつでも引き出せるようにそれらを備えて行使できる、そんな存在がミルフィティシアだった。
あの姉妹がローレリアに与えた影響はあまりにも、大きく、またいなくなった影響もそれ以上に大きく。
どちらも生きていた、と伝えられて、ただ喜びのみを感じられなかったローレリアの心境は、ぐちゃぐちゃで。
そういう涙をこうして、相手への不信も忘れて晒している。
「六年前、ヴィクトリア様が救い次期女王として育ててきました。が、そろそろヴァーレストに話をつけるべきでしょう、と。死人が出たなど騒がれても困りますから、お話、通して頂けますね?」
「はい……是非。どうか、お連れになってください……」
後にレオンハルトとノアが悔いたのは。
協力関係を結んだローレリアに、ミルフィティシアの生存を伝えていなかったこと。
そしてそれ以上に、吸血鬼で一番の危険因子を教えていなかったことだった。