主不在の来客に。
来客を知覚して、ノアは意識をそちらに向けた。
程なくして二回のノック。それまでには人物の確認と、出迎えの準備をきっちり済ませて。
扉を触れずに開け、ノアは深く礼をする。その際に銀髪は下がらず、下がるほどの長さもない茶髪に眼鏡をかけた姿へと変装を済ませている。
「スノウリリー=リィズ=ディセイル=ローズシルト様。お越し頂きありがとうございます。が……用件はレオ様にでしょうか。生憎、主は現在不在となっております」
赤い髪の印象的な彼女を、ノアは一方的によく知っている。
今日こうして来た理由も、ある程度想像がつく。
「そう、ですか。あの……夜は、まだ帰って来ないんでしょうか?」
「もう大分落ち着いていますし、そう遠くないうちに、お戻り頂く予定です。具体的な日付までは、保証致しかねますが」
ノアの返答に、スノウリリーの表情は安堵を得る。
「良かった……。それが聞けたなら良かったです。ありがとうございました」
一礼をして、そのまま帰りそうな雰囲気のスノウリリーにノアは声をかける。
「ご用件は、他にありませんか? レオ様に言伝等あれば、承りますが」
「えっと……ん……いえ。いいです。夜と合わせるように休学にしたレオが今どうしてるのか、知りたかっただけですから。元気、なんですよね?」
スノウリリーに興味があったノアは、この少女なら応えてくれるだろう、と誘いを出した返答をする。
「……そうですね。体調的には、問題ございませんよ」
紅霧でも血の祝福でも、夜がいなければ危ういような力の使い方はしばらくしていない。する必要がないようにしている。
「体調的には、ですよね」
思った通りに乗ってくれたことに、ノアは信頼を覚えて。
「……言葉の綾、と申しましょうか」
わざとらしく目を逸らした誤魔化しをする。
「分かります、私にだって。夜が来てからレオは、はっきり変わりました。勿論、良い方向にです。その夜がいなくなって、学校にも来なくなって。この前偶然城でレオに父が会ったときの様子を聞いて、嫌な予感がしてるんです」
「と、いうと?」
「私の見てきたレオは。一見人当たりは良く見えても、それでいてすぐ隣には誰も置きたがらない。大事なことは全部一人で何でも、やろうとしてしまう。そんなレオに寄り添えるのは、あの子しかいなかったから」
よく理解している、と思う。
かつて手遅れになるまでレオンハルトの命が削れてしまったのは、ノアにも止められなかったためなのだから。
「そんなレオが今、人を避けるようなことをして、一人で何かしているのなら。無茶なことを、やろうとしてるんじゃないですか?」
この子は。
思ったことがそのままに、自分でもらしくない、つい口に出た。
「日常の象徴、ですね」
「えっ?」
「失礼、つい零してしまいましたが……レオ様にとっても、夜様にとっても。貴女様は日常の象徴として在るのだろうな、と」
「ええっと……?」
「質問への返答は申し訳ございません、答えかねます。ですが、これだけは。私はレオ様と夜様の幸せを願っていますし、お互いがお互いを必要としていることも理解しています。ですから……いずれ二人揃ってまた貴女様にお会いすることになるよう、微力は尽くさせて頂きます。どうか、今暫しお待ち下さいませ」
困惑の色が濃いスノウリリーに、隠さずに心からの言葉を伝えて。そうしてノアは、笑った。
「……わかりました。そう言って下さるなら、信じます」
「――ここまで真摯な相手に晒しておきながら、今更隠すこともありませんね」
ノアの言葉を受け止めて納得したようにゆっくり頷いたスノウリリーに、再び疑問符が宿るのも束の間。
その目は大きく見開かれる。
「銀髪……紫の瞳……綺麗……じゃなくて? その、あの、その、すみません、ごめんなさい」
「構いませんよ、今はただのメイドですから。レオ様はともかく、夜様に対しては本当の主従関係ですし、貴女様はそのご友人です」
容貌も服装も、仮初の姿を解除して。
メイド服が本来は仮初の姿なのはさておき。
髪の色は勿論、この様子だと瞳の色にも思い当たる何かがあるのだろう。そして、それは正しい。
「改めまして。シュヴァルツフォールの屋敷にてメイドをしています、名前は変わらずノアと。隠すべき身分故、これまで偽っていたことをお許しください」
「いえ……。驚きはしましたが、こちらこそ謝られてしまっては困ってしまいます……。六年前ご存命だった、ということですよね」
レオンハルトを知っているからこそだろうが、よく知っている。
「そこまでお分かりですか。心配はしていませんが、他言は貴女様に危険がありますので、どうか。本来こうして明かすことすら危険ではありますが、もうその段階ではありませんので」
「勿論、厳守します。レオの目的にも関係している、ということいいんですよね?」
「そう考えて頂いて差し支えなく。私がこうして明かしたのは、主人達にとっての大切な友人である貴女様への、感謝と思って下されば、ですが。それで危険を負わせるのもおかしな話ですね」
ノアは少し思案して、丁度良い考えに思いつき、まずは真意を隠して伝えようと決めた。
「お時間、少しばかりの余裕はございますか?」
「はい。あまり遅いなら少し、家に連絡を入れたいとは思いますが」
「それほどかからないかと。優秀な方だと、レオ様からよく聞いていたので」
「…………?」
スノウリリーの無言の問いかけには、質問で返す。
「危険に対する対処法。貴女様は、強くなって頂くのが一番早いかと思いまして。一年前のレオ様程度には致しましょう。如何でしょう?」
真意は別にあるのだが、今はそれを伝えずとも良い。これ自体は純粋な善意だ。
「戦闘技術、ということですよね? もしかして、レオの訓練もノア……様がしていたりしたんでしょうか」
「様付けはおやめ下さい、身分まで明かしているわけではありませんし、今は従者ですから。レオ様の訓練は、魔法分野は殆ど私が。体術分野はむしろ、私が暫くは教わっていました。あれは、両親の教えと才能ですね」
ノアがこうして唐突に訓練を提案したのはちゃんと理由がある。
スノウリリーの戦闘を、ノアは夜との模擬戦で一度見ている。その戦い方からして、簡単に伸ばせると分かっているから。
「つまり、私には魔法の訓練を、ということでしょうか?」
魔法など、新しい魔法の習得だけならともかく、扱いを一日でどうこうできるものではない。
それは通説であって、ノアには通用しないのだが。
「半分正解、ですね。スノウリリー様。貴女様の戦闘スタイルは、剣術と魔法の連携が本質だとお見受けしています。以前拝見した際の洗練余地をお教えします」
「お願いします」
多少の反骨心をくすぐりそうな言い方をしてみたが、スノウリリーは素直に受け入れた。自分を高い身分と思っているせいか、ここまでの情報からの信頼か、元々の気質か。
教え方に関わるため保留しておいて、信頼があるならそれは正しい、と証明するように、一言かけてからスノウリリーに触れ、魔法名すら破棄して屋敷内の訓練用の一室に転移した。
「まず。連携を前提としていても、その威力は高ければ高い程良い、というのは当然のことになりますが。夜様相手では手加減されていたのでヴィスタリゼとフレイディア、氷と炎の初級止まりでしたね。魔法名破棄で使用できる限界、本当はどこまででしょうか?」
ノアの正体への驚きが大きすぎたスノウリリーは、今回の転移ではさほど驚かなかった。
「ヴィスタリゼ・ピア、フレイディア・シミラーまでです」
氷槍と炎刃。ただ形を成すだけではなく、貫通力と切断力も持ち合わせる、中級と言っていい二つ。魔法名無しで威力を損なわずに使えるのなら本来大したものだ、かなりの使い手と言える。
が、今回の先生は魔法に関しての水準がズレにズレているノアである。
「威力があっても一つでは応用が効きづらいですね。ピアズとシミラーズまで、できませんか?」
ピアズヴィスタリゼ、シミラーズフレイディア。本数が増えたもの。
本数が増えただけ、と書くとそれほどの差でもないように思えるが、広範囲に撒くにも避けられない一点集中にも、射出タイミングの差をつけたり角度を調整したり、戦術として幅が広い。当然、それだけ魔力消費も多いし難しいのだが。
まごうことなき、氷と炎の最上級魔法である。
「詠唱ありでも無理ですって……」
この先生は何を仰っているんだろう、という至極真っ当なスノウリリーの疑念が生まれた。
「そうでしょうか? 色紋を見る限りでは使えそうですが……開ききっていないのかも知れませんね。一度使えば開くでしょう。実際に見たことは?」
「色紋? あります。ピアズは母が、シミラーズは父が使えますから」
「素敵な両親をお持ちですね。回路を開きがてら魔力を一時的にお渡しします。失礼を」
一礼して、スノウリリーのお腹に手のひらを当てる。神経を集中させながら魔力を注いで、満ちて。
「少し衝撃があるかもしれません」
まだ開くはずの未使用回路まで届くように、勢いをつけて一気に注ぎ込む。透明な魔力が輝度を増して、光るくらいに激しく。
「ぁんっ」
変な声の出たスノウリリーは恥ずかしかったので、ただ我慢してされるがまま。聞こえていたノアだがいじる相手でもないので聞き流し、失敗していないのは分かっているのでそのまま続ける。
「これでよろしいかと。本来は年月をかけてゆっくり拡げていくものですが、元々拡がっていた部分が届きづらくなっていたようでしたので、開けてしまいました。特に問題は残らないはずです、唱えてみて下さいませ。魔法名のみで」
レオンハルトにはもっと、無理矢理なこじ開け方をしている。
毎日少しずつとはいえ、本来魔法を使用する際に通す魔力で以て開ける回路を、ノアの魔力で強引に拡げていった。自分以外がやったなら、回路そのものを壊しかねない無茶なやり方だった。
「――ピアズヴィスタリゼ」
イメージを練って、唱えて。
あっさりと打ち出された多重の氷槍は、目標の曖昧だったため不定形に広がり下へ落ち刺さった。
「嘘……」
直前まで唱えられたものからすると、三段以上は飛ばした進歩だ。芽を結ぶのに時間がかかって当たり前な魔法の訓練に、この結果はそう呟かさせるに十分だった。
「私はただ、手助けをしただけですので。ご自身の実力です。魔力消費の効率化についても、今やってしまいましょうか」
「あの……」
これくらいそう驚くことでもない、と淡々と次を進めようとするノアに、スノウリリーはおずおずと訊く。
「どうして、ここまでして頂けるんでしょうか?」
一般に受けられる教育の領域を、遥かに越えている。貴族の生まれなスノウリリーは上等な教育を受けたし、それ以上となると王族でもなければ。そんな違いに留まらない、もっと異質なものだった。
それはノアだって分かっているはずで、そう易々と他人に教えていいものでは、ないだろうと。
「…………白状しましょうか」
自分の言葉に身構えたスノウリリーに、ノアは内心で笑う。
「士官学校を卒業後の進路、もう決まっているでしょうか?」
またも、質問に質問で返す。
ちゃんと答えに繋がる質問をしているノアだが、あまり良いコミュニケーション方法と言えないこれは、ペースを取るために意図的にやっているものだ。
「進路、ですか? 騎士になれたら、とは思っていますが……まだです」
「そうであると願っていました。よろしければ、女王直属の騎士など如何でしょう? 身近に置く人間は、信頼できる人物にしたいのですが」
悪戯を仕掛けた子供のように、反応を待ち。
「女王……女王? ええっと、待ってくださいね? それって、つまり……え?」
言わんとすることに気づきかけたスノウリリーの目が自分をぽかんと見つめるのにノアは、とても貴重な笑顔を見せた。
そうなるとは断言できない懸念の影を、その裏に隠しながら。
またまた間が開きましてごめんなさい。
少々展開、書くことは決まっているんですが書き方というか活かし方というか、上手くできなくて止まっていました。
こんな不定期な更新で読んで頂けているのは本当にありがたいので、今後ともどうか、よろしくお願いします。