暗がりと眩しさ。
「『求める真実は詰まらない』ですか。意外性という意味でなら、正しいのでしょう」
月の隠れた晩。
ヴァーレスト王都から大分離れた僻地に建つ、周辺とは不釣り合いな豪邸。
生活感はそのままに、長らく人は暮らしていないだろう埃の被った室内。
「疑念はあっても相手が相手ですから。動けませんよ、確信を得るまでは」
暗闇の中、見つけたそれを金髪黒衣の人影は屈んで注視した。
白骨死体。
今となっては当時の状況など掴めるべくもないが、家族は別々に殺されている。きっと日常を突然に襲われて、家具の傷が少ない辺り戦闘の心得がないこの家主達は一方的に殺されたのだろう。
「直接的な証拠の出てこないなら、証拠を消した証拠を。今までは、立場の割れる危険性からここまで踏み込めてはいませんでしたからね。踏み込んでしまえば、容易いものです」
「頭が悪いとは、罪ですね。関係者がほぼ全員殺されている。王族本家だろうと釣り合わない労力の割き方です。黙認させるなり探った者を殺すなりする方がよっぽど楽です。それでもなお、ここまで隠そうとするというのは。知られてしまえば致命傷になる立場、ということですから」
吐き捨てるように言って、骨にはそっと祈りを捧げ。
もう用は済んだと外へ出る。
「レオナちゃん様」
気の緩む呼びかけに、冷たいままに釘を刺しておく。
「その呼び方はやめろと言っています。平時ならともかく、私がこうしているということは心を捨てているということですから」
そう言われることすら理解したうえで口にした銀髪の従者は、嘆息からの反論を展開する。
「だからこそ、ですよ。レオナちゃん様。そんな状態で最愛の奥様のことを、考えたくはないでしょう?」
「…………彼女が何か。情報を得る手段は、完全に絶っているはずでは?」
「一度死んでみては如何ですか?」
首を狩る軌道で音もなく鎌が振られたのを、造作なく躱して顔色を変えず。
「何か。彼女の名前を出すのなら、ただの戯言でもないでしょう」
「ちっ。貴方にとっての夜様は、捨てかけた平穏の象徴ですから。何か特別な理由がなければ、彼女を想う必要はない、なんて。道理でのみ動かないで下さい。心を捨てすぎです」
言葉を返すことはなく、ただ空を見上げる。
曇り空。きっと彼女が見ている空は、月が綺麗に輝いているだろうに。
「人間側の目的はさておき。ヴァンパイア側の目的が不鮮明です。協力する危険性に対して、得ただろう見返りが少なすぎますから」
折角意識を逸らしたのに、すぐに話題を戻すこの主人に辟易する。無駄のない視点としては正解だ、従う他ない。
「ヴァンパイアのことなら、意見を伺うべきかもしれませんね。私達とは見方が異なるのは、察せられていますから」
とはいえ。
人気のない田舎だからと見つかる心配を薄めに、銀髪のままで主人に合わせた黒いドレスを着て、貴重なお洒落をしているのに。
昔はもう少し見とれてくれたものだが、今は殆ど反応がなかった。その所以が自分の真なる主人にあると分かるから、彼女に出会う前とは全く異なっているはずだ、と。
「簡単にお会いできる方でもありませんが、そうですね。いずれ公務の都合をつけられるようにしましょうか」
「変な男に、引っ掛かっていないと良いのですが」
ああ、やっぱり腹が立つ。意識の外にそう簡単に置くな、と。
強引にねじ込んでやることにする。
「……はい?」
「夜様がヴァーレストにいて、比較的平穏だったのは。貴方の妻だと知られていたからです。それが今、夜様がどうお話しているかはさておき、端からはフリーに見えるでしょう。チャーム調整手段は複数渡していますが、常に眼鏡はかけていないでしょうし。群がって当然ですよ、わんさか」
「……………………それ、送り出す前から考えないように必死だった不安なので掘り返すのやめて頂けます?」
「あら、これは失礼しました」
表情はいつも通り変えず、気持ちおどけるような言い方をして。
感情の揺らぎが見えたことに安堵する。
「彼女はもう、私に釣り合う相手ではありませんから。私はただ、彼女の選択に従うしかできません」
「失礼」
瞬時に縛っている状態で現れた、六色の光条。
無詠唱、最高位の拘束を六重に。
五感全部と魔力を消失させた今、思考以外は存在しない暗闇の中にいるはずだ。
どんな心境なのかは想像したくもないが、自分にやるでもなければ、他にこんな芸当のできる魔法使いも存在しない。
捕縛が目的ならやり過ぎな、拷問として行使するべき魔法連携。
「……そろそろ解きましょうか」
あまり長時間囚えていては、いくらこの主だろうと精神に影響が出る。
解除して、足元に崩れ落ちたその姿を見下ろす。
「それが実るか不安な恋の悩みなら、さぞや乙女のようでいじらしいことでしょうが。貴方の立場は何ですか。夜様がそうする方でないのも、貴方に確かな思慕があるのも分かっているというのに。彼女が眩しくて仕方ないとしても、それでも。その光を隣で浴びて護るのが、貴方の役目でしょう」
言葉を求めた叱責ではない。少しでも考えてくれるなら、それで良いと。
背を向け、銀髪を靡かせて去った。
今は一人にする時間が必要だと考えて。
自身の過ちに気づかないほど、自省ができないほど、愚かな主ではないのだから。
そうでなければ仮初でも、こうして仕えてなどいないのだから。
「はーい、今週もお疲れ様でしたー!」
終業後、一通りの締め作業が終わって、少しして。
レストランの席には、普段着に着替えたスタッフ達がいっぱいに入った杯を持って座っていた。
アンジェリカの一声に、スタッフ達も返すようにして店内に大きく響いた「お疲れ様」の声。
「お酒は程々に! 潰れても、命に関わる場合以外は夜ちゃん頼るのは禁止! 勝手に吐いてろ! それと――」
一番近くの六名席、囲まれ座る夜に視線を移す。
「うちの看板娘を酔わせて持って帰ったら殺す。絶対に殺す。どんな手段を使っても殺す」
毎度の牽制だが、勿論そんな事態は起きていない。そもそも、夜を酔わせても酔いを自覚した時点で回復してしまう。
ついでに、この国ではお酒は十八からでないと飲めない。
「あとは各々節度を持ってやるように! それじゃ、乾杯!」
夜はジュースの入ったグラスを掲げて、「かんぱーい!」と無邪気に声を上げた。
重なる声が気持ちよくて、この瞬間はとても好き。
右隣のキャローヌとグラスを合わせて、テーブル残りの四人ともすぐに。
わざわざ歩いて夜にグラスを合わせるスタッフも、男女問わず多く。
「毎週やってるんですよね、これ?」
送っていったあの日以降すっかり懐いたキャローヌは、可愛がられる新人特権を利用して夜の右横にちゃっかり座っている。
「そだね。明日定休日だから、朝起きる心配とかもいらないし。毎回全員来てるわけじゃないけど、出席率高いんじゃないかな?」
店内には二十名ほど。およそ八割は来ているだろう。
「ちなみに夜ちゃんいないと露骨に変わるからね、それ」
後ろから、アンジェリカの声。
そのまま横長な机の右端に椅子を持ってきて座った。
「あはは……それは……ええっと……嬉しいです?」
あまり自分の扱いが露骨に他者と違うのは、好きではないのだが。それを理由に嫌悪されるような人がいないのは、幸いではあり。
「私も正直、夜センパイいなかったらちょっと怖かったですもん。こういう場、慣れてませんし」
「……俺達怖がられてる?」
「怖くないよー?」
「いやお前は怖えよ」
すぐに挟まった同じ席につく男性陣からの反応に、キャローヌは苦笑を返した。そうして夜に少し身を寄せる。
「夜ちゃんともしもの可能性考えるような野郎共が怖くないわけねーだろーがバカ三人。あぁん私酔っちゃったーふらふらー」
夜の左隣にちゃっかり座っているのは、今はスタッフではないはずのイルミティナ。
前半のどこから出しているのか不明な脅迫ボイスから、猫なで声に変えわざとらしくそう言って、夜に思いっきり抱き着いてくる。
「ああ、このパフュームが私を狂わせる……」
胸に顔を埋めてぐりぐりと、男性なら即通報されそうな絵面だ。
「ティナお前、前飲み勝負したときぶっ続けで全員に勝ったくらい強かったろーがそんな一杯だけで酔うわけねーだろ」
「オイ。バラすぞ?」
自分の胸の辺りからドスの聞いた声がしたが、誰の声だろう。イルミティナについて深く考えるのを、本能的に危険と判断した夜は放棄している。
「あっはいなんでもないです」
「その辺にしとけ部外者ー。出禁にするわよー」
それでも店長には逆らえないようで、すんなり聞いたイルミティナは名残惜しげに夜を離すとすっと姿勢を正した。
「何も悪いことしてませんよー? 可愛い後輩へのスキンシップです」
「まともな先輩は後輩に発情しない。……キャロに悪影響だから真面目に出禁考えようかな」
「待って待って! ならキャローヌちゃん? 同じティマーテ同士、お仕事教えてあげるからお話しよ?」
縋るように見るキャローヌに、「多分大丈夫だと思うから……」と目を逸らしながら答えて、キャローヌと席をチェンジ。
元看板娘なだけあってなんだかんだ優秀なイルミティナは、壊れていなければ良きお姉さんだ。壊れていなければ。
真面目になり過ぎない話し方で、キャローヌの緊張をほぐしつつの会話。アンジェリカもイルミティナを信頼はしているから、教育モードに入った今警戒はあっさり解いている。
「そろそろ訊いてもいいだろう、って男性陣の総意が出たんですが、店長。よろしいですか」
「何がよ。モノによってはクビにするから、私の前で言えるならどうぞ」
「夜ちゃん彼氏いるのかな、と」
そういえばスタッフからは訊かれたことがなかったな、と思い返す。
お客様からはしょっちゅうで、それに対する「いません」の返答は聞かれているはずだが、体裁と思われているのか。
具体的でないにしろ結婚はしていることを告げてあるアンジェリカからそれとなく伝えられている結果かと考えていたが、どうやら男性陣での協定による結果だったようだ。
「いませんよ、本当に。彼氏はいません。……彼氏は、ですけど」
嘘ではない。嘘ではないが、罪悪感が勝る。
指輪は普段外していて、家に大事に仕舞ってある。たまに取り出して、眺めて。……唇を触れさせて一人でばたばたしたりしているのは秘密。
名前も旧姓を使った「七瀬夜」で通しているから、名乗っている立場的には未婚を詐称していることになる。
「でも、好きな人はいます。大好きな人。大切な人。会いたくて堪らない人」
そう話す夜が真っ直ぐで、言葉を失うほど綺麗だったから。
騒がしい店内でその空間だけ、音が消えたようだった。
「……夜ちゃん」
静寂を切り裂いたイルミティナは、いつの間にか夜の右隣に移動して、夜の両手をがっしりと包んだ。
「寂しいよね?」
「……はい」
「恋しいよね?」
「……そう、ですね」
いつになく真剣なイルミティナと見つめあって、繰り返される問いに本心のままに返す。
「わかる。すごくわかる。よくわかる。私もそうだから。だから私とセフ」
何か言いかけたところで、アンジェリカがイルミティナの頭をばちこーんと思いっきりぶっ叩いた。
「いったーい! 私の夜ちゃんの次に完璧な顔が崩れたらどうするんですか!」
「頭に対してマトモすぎるのよアンタは! 崩しとけ!」
ぽかーんとした夜は、首を傾げてイルミティナにどん引きしているキャローヌに訊く。
「セフ……なんだろ?」
「知らなくていいと思います、夜センパイは」
その言葉にうんうん頷く男性陣を横目に、一人だけ分からないのが不満は夜はちょっとだけへそを曲げた。
宴が終わって、解散の時間。
「さーかえろーかえろー夜ちゃんかえろー」
牽制のせいもあって比較的穏やかに、潰れている者もなんとかいない様子。
そして夜を誘拐しようとするイルミティナをアンジェリカが制す。
「夜ちゃんはちょっと、私が用あるからだーめ」
「えっ店長……まさか私を止めたのは独占欲から……?」
口に手を当てて、心底驚いたようなイルミティナに。
ばちこーん、と本日何度目かの音が響いた。
「んなわけないでしょ。……いやこの子だったらその懸念は然るべきかもしれないけど。アンタと一緒にするな、アンタと」
「うぅ……今度混ぜてくださいね……?」
「おーとっとと帰れーもう来んなー」
そうして全員帰って、二人きり。
片づけもスタッフでちゃんと終えているので、店内は綺麗なものだ。
「……それじゃ、よろしくね、夜ちゃん」
「……がんばります」
心無しか顔の赤いアンジェリカに、かしこまって返す夜。
毎度のことだが、普段とは逆の立場になるこの時間はちょっと、落ち着かない。
「――今日は物体にかける強化の魔法を。うちで使ってる食器とかは全部、しっかりかかってるんですけどね」
「よろしくお願いします」
頭を下げるアンジェリカに、あははと苦笑で返し。
「大事なのは、どれだけ強度上げられるか、も勿論ですがしっかり包み込むことです。穴があったりすると、そこに負荷が集中してかえって壊れやすくなってしまうので」
不定期に、ときどき。
アンジェリカからの要望で、夜は魔法を教えている。
無属性適性な夜は幸いにも、仕事で使うような魔法の多くは無属性で、それなりにちゃんと使うことができたから。
ノアに教わったときを思い出しつつ、なるべく丁寧に。
魔法をちゃんと使えて、教えてくれるような人に会うことなんてなかなかできないから、と。
真剣に頼み込まれては断れるはずもなかったし、教えるというのは新鮮で、夜にとっても貴重な経験で。
「一度かけるとそのままでは、どうかかっているのか見えませんからね。とりあえず、やってみましょうか」
学校はまた行きたいな、と思いながら。
実践に移るべく、夜は買ってきた安物のコップを取り出した。
イルミティナ、気づいたら暴走してこんなキャラになりました。
セフ……なんとかは、言葉自体はこの世界にもあります。
文化や言葉が流れているのかどうか、は夜が以前少しだけ推測していましたが、きっといずれ。
話している言葉がそもそも何語か、で考えるとなかなか面倒臭いのでふんわりお楽しみください……。