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階層都市での過ごし方。

「あ……夜センパイ、ですよね。上がりですか?」


 着替えて、店の裏から出たところ。


 最近入った獣人族の子。元の看板娘、イルミティナと同種族らしく、猫っぽい。目がくりくりしていて可愛らしい。


「うん、お先に失礼します。キャローヌさんはこれからか」


「はい。……本当印象変わりますね、その眼鏡」


 キャローヌが先程夜を見て、声を掛けて良いのか躊躇していたのは記憶が曖昧だったからではない。


 違いすぎるのだろう、あまりにも。


「あはは……こっそりかけてみたりしちゃ駄目だよ?」


 ノアから貰った、茶色いフレームの地味な眼鏡。

 眼鏡自体は、この世界では高級品かつお洒落の意味合いの強いものだが。


 夜のこれは特別で、夜の魅力を下げる――かけた者を見ると醜く見えるようにする魔法が、強烈にかかっている。


 一度他の子がかけてしまい大騒ぎになって以降、管理は気をつけている。

 あんな、「人の姿をした何か」に見えてしまうこともそう思われた経験を誰かがするのも、二度としたくはないから。


「かけません。合いそうにありませんし。では」


「またね」


 手を振って分かれ、建物に挟まれた路地を進んで通りへ。


 この町の空は、いつも曇り。


 蒸気を使った産業の多いせいなのか、詳しくない夜には分からないが。下手に土地について知らないことを教えるべきではないだろうと、普段ならしていた訊くという不明の解決法もしていない。


 石畳に石造りの家々が並ぶ通り。それも長くは続かず、左に通路がずれて消え、その先は錆びた金属の階段になる。


 何度も折り返す階段は、二回の折り返し毎に一つの階層へと繋がり開けた踊り場がある。それを四つ過ぎて、目的の階層に入った。


 金属を叩く音、何かを焼く音、道具の駆動音に誰かの怒声。

 魔法の縁遠さと比例してだろう、この町では夜にとっては古いながらも、技術に基づいたモノの製造が発展している。


 上に比べると随分と狭い通りを、左右から響く作業の音を聞きながら進んでいく。下層になるほど生活レベルの下がるこの町で、中くらいのここの建築物は木と石両方使用、下はあちこちが割れた石畳。


 重い空気はあまり鼻に心地好くなく、身体にも悪そうだがもう慣れてしまって、表情を変えずにそのままつかつか通りを行く。


 工業地帯を抜けて、下は砂利道になったが空気と喧しさは幾分か穏やかになった。

 この辺りになると、左右には様々な店舗が並び始める。


 夜はお気に入りの一つ、この国の郷土料理らしい果実類とヨーグルトのようなものを使ったパイを売っている店へと向かって、夕食用に一つ。店員さんが女性だったので、小さな声で注文した。


 男性だったら声は出さず、身振り手振りで伝えるように。なるべく波立てないためには、必要なことだった。


 お礼を言って受け取り、そのまま帰路につく。そろそろあの店のよく見る女性店員には顔、というか声を覚えられていそうだが、拒絶がはっきり出ているためか話を振られたことはない。本当は、笑顔でお礼の一つや二つ言いたいところだ。


 大通りから左に、狭い路地に入る。

 そうしてすぐに、右側。


 小さな小さな家に鍵を開けて入った。


 鍵は当然魔法なんてかからず、物理の金属製。セキュリティとして問題ないのを夜は知っているし、これでもかなり他と比べたらマシな方だ。


「ただいま」


 癖というか、必要なことだと思い帰宅時の挨拶はしっかり。

 まだ夕食には早いから、買ってきたパイはテーブルに置いて時間停止をかけておく。これでいつまでも温かいし、新鮮なまま。我ながら便利な魔法だ、と一人で暮らすようになってからはたいへん重宝している。


 家の広さは、シュヴァルツフォールの屋敷からすると当然狭い。夜の部屋よりも狭いだろう。


 最近道具の増え始めたキッチン、木製の丸テーブルと箪笥、クローゼットに持ってきた荷物が端に置かれた基本のごろごろ空間。

 寝室は、ベッドのあるのみで広さは最低限。トイレとお風呂が使えるのはこの国の水周りの文化レベルが高いおかげだが、両方備えた物件が用意されていたのはノアの厚意からによって、そこは本当に頭が下がった。


 よく掃除しているし整理しているから、物も散らかっておらず綺麗だ。片づけや掃除を怠ると大変になる、のはそれをやってくれていたノアが、する必要のない頃からそれとなく嗜めてくれていたし。


 帰ってからの一通りを済ませ、眼鏡をテーブルに置き大きく息を吐いた。


「……少し寝よっかな」


 意外と疲労が溜まっていたのか、落ち着くと眠くなった。

 キッチンと居間のカーテンを閉めて、夜はベッドに横になるとすぐ、微睡んだ意識はそのまま沈んだ。




 夕食を終えて入浴も済ませ、ランプに火をつけて本を読んでいた夜は、頭に直接響くような音を聞いた。


 反射的にすぐ近く、テーブルの上にある緑色に発光するそれを取る。


「はーい。アンさん、ですよね?」


「仕事上げたのにごめんね、夜ちゃん。キャロちゃん、この時間まで働いて貰うの初めてだったんだけど……彼女、まだこの街のこと知らないからさ。男手も足りてないし、悪いんだけど迎え、来てくれる?」


「わかりました。キャローヌさん、何層住みでしたっけ?」


「八。この時間に通らせるのは、まずいでしょ」


 時刻は、二十二時を回る頃。この階層ならまだしも、八層では危険が過ぎるだろう。


「あー……そう、ですね。行きます」


「ありがとう。仕事扱いだし、別にお金出すからね」


「ありがとうございます。では」


 切って、テーブルにとん、と置いた。


 見た目は少しばかり金細工の施された、丸く加工されたエメラルドのようなもの。深い緑のこれはそれぞれにパスが設定されていて、かける場合は相手側にあるこれのパスを入力、受ける場合は光ったそれに触れれば良い。


 と、要するに電話だ。勿論かなりの高級品、魔法でやり取りができるような層には使われないが、上流の市民ならたまに持っている。

 夜がこれを持っているのは本来居住区からしておかしいので、このことを知っているのは店長たるアンジェリカのみで、携帯もできるが常に家に置いている。


「持った。持った。忘れてないね。――行こ」


 眼鏡をかけ、必要なものを持ったかしっかり確認して、夜はすっかり暗くなった外へと出ていった。




「……夜センパイ。店長から聞いてましたけど、本当に夜センパイでいいんですか?」


 店に着くと、着替えて待っているキャローヌがいた。夜を見てぴこぴこ揺れる耳に、今度帽子をあげようと決意して。


「うん。まっかせなさい。行こっか」


 まだ閉店ではないから、アンジェリカは出て来られないだろう。それはわかっているし、明日会うのだし気にしない。


「キャローヌさん、八層住みって聞いただけど……六層とかじゃお金、厳しかった?」


 長い階段を下りながら、お喋り。五層まではいい、六層を過ぎる頃には止めないといけない。


「いえ、住めなくはありませんでしたが……なるべく、節約したくて。貯めてるんです、いつか遠くの国で暮らしたいから」


「んー、そっか。その節約は、あんまりおすすめしないよ、って言っておくね。意味、今日はわからないと良いんだけど……遠くの国?」


「はい。キーロードとか、ヴァーレストとか。文化の進んだ大国に住んでみたいな、って」


 ぴくりと動いた動揺は、暗さの中で感じられなかったようだ。そのまま、平然と話を続ける。


「やっぱり憧れるものなのかな、みんな。似たような話、結構聞くんだ」


「それは、もう。特に私みたいな獣人族は、大国だと種族で集まったコミュニティがしっかりしてたりして……暮らしやすいんですよ、ずっと。夜センパイは?」


「………………そろそろ、お喋り禁止ね」


 丁度よく、六層に出る踊り場を過ぎた。


 首を傾げるキャローヌに、口元に当てた人差し指のジェスチャーで返しておく。


 七を過ぎて、八層。


 夜が前に立って、ゆっくり歩く。


 来た回数は少ないが、やはり毎回見通しが悪く感じる。下がゴミのあちこち捨てられた砂利道なのはともかく、上の階層のように大通りがない。入口から続くこの通りでさえも、真っ直ぐではなくぐねぐねしていて狭い。そのために遠くが全くわからないのだ。


 それに加えて、空気。焼けた鉄や汗、焦げた臭いの五層とも違い、ここの空気は――戦場のものに、近い。


 懐に手を入れつつ、なるべく足音を立てないようにそっと進む。

 

「家、どのあたり?」


「この通りの、左にある四つめの路地を行ったところです」


 ひそひそ話にはつき合ってくれる。

 夜は頷きのみで返して、先へ。


 一つ、二つ。三つを越えたところで、夜は止まった。


「……私の後ろにいてね」

「えっ?」


 今通り過ぎた路地への入口をじっと睨む。


 五秒、十秒。不意打ちを諦めるまでの時間が過ぎて、出てきたのは男が二人。

 どちらも人間だろう、顔を隠していないのは隠す必要のないような素情だからと身なりからも想像がついて、手には小さいが刃物。視線は夜を無視して、キャローヌに向いている。


「カンテチャント・クロトリム」


 潜ませていたレイピアを、躊躇なく抜く。そして時間停止を付与。


 この人数と、相手の感じ。切り札は切らずに足りる、と判断して先に夜から仕掛ける。


 回避という選択肢を与えないように、敢えてレイピアを大振りに、しかも横振りで薙ぐように斬りかかる。

 思惑通り受けようとして、相手の刀身を切断。そこからぐるんと手首を回して、男の左手首にざっくりと突き立てた。


 男の悲鳴に顔を顰めて、すぐに足を潰すべく太腿にも突き立てる。よろついたところを蹴って倒し、自力で起き上がるのは少々厳しいだろう。


 次いで二人目は、そんな夜の背後から仕掛けてきた。

 腕を広げた組みつきの体勢。下手にレイピアを払って対処するとその腕を掴まれるだろうことは想像がついて、夜は男の側へと強く踏み込んだ。


「――ごめんなさい」


 ずぶり、と。腹を貫通したレイピアを引き抜いて、倒れるその身体を躱し。


 死ぬ傷ではないはずと、呆然とするキャローヌの手を引いて先へ急ぐ。


「夜センパイ、なんですか今の!? なんでいきなり、あんな!?」


「キャローヌさん、静かに」


 もう遅いかもしれない、と警戒から辺りを見回す、キャローヌから意識が離れたその隙を狙って。


「きゃっ――やだ! やっ……」


 すぐ後ろにいたその姿が、突如現れた男の手にあった。腕を押さえられ口を押さえられ、理解は追いつかねど怖さから、その瞳には涙が見えて。


 そうしてその後ろに、五人。


「そんな可愛い獣人族の子、八層にいたら目をつけられてないはずないよね、やっぱり」


 夜の声に、注目が向いた。容姿はいじれても声はいじれない。自分を見る者に醜く見せればいい見た目と違って、声はあらゆる聞こえる音に関わってしまうから。


 そんな、元々の声だからこそ強く惹きつける。今の容姿では不釣り合いなほどに。


 釣り合いの取れるよう。髪飾りをつけると同時、眼鏡を外した。


 接客時や、ヴァーレストなら基本の外出用の姿。抑えていようが並ぶ者のいない、暴力的な美の存在として、そこに現れた。


「うん。いいね。私が欲しいなら、下手にその子は傷つけないこと」


 刺すような舐るような嬲るような、不快な視線が突き刺さる。それを受け止めながら、夜は“とっておき”をポケットから出して、噛み砕いた。


 魔力の奔流。


 熱くはないのに身体が焼かれそうな、膨大な魔力が全身に溢れる。この感覚は、何度やっても慣れない。


「ルーネイト・クロトリム」


 そうして、その感覚が消えたと同時に、一切の音が消えた。


「怖い想い、させちゃった。大丈夫かな、明日から来てくれるかな……」


 無抵抗の相手に対するそれは戦闘と呼べるものでは到底なく、しっかり縛って纏めて動けないようにして、効果時間が過ぎる前に、夜はキャローヌを抱き締めて待っていた。


「たすけ、って、あれ? 夜センパイ……って、あれ? なんで? どうして?」


「ひみつ。とりあえず、場所変えよ。もう大丈夫だと思うけど、おうちはいろ?」


 あと少しだったキャローヌの家に入って、夜は安堵の息を吐き。

 もう一度、キャローヌを抱き締めた。


「大丈夫? 怖かったよね。もう、平気だからね」


「すみません、理解が追いつかなくて。私、攫われそうだった……んですよね?」


「うん……。八層はね。昼はまだ、なんとか女の子だけでも歩けなくはない、けど。暗くなったら駄目。絶対駄目。特にキャローヌさんみたいな子は、狙われるから。駄目だよ」


 整理ができて、理解ができて、安堵したのか。キャローヌは、力が抜けて夜に身体を預けてきた。


「……ありがとうございます、夜センパイ」


「いいのいいの。店長のお願いだし。これに懲りたら、住むトコ変えよ? それまでなら店使わせてくれると思うし、私のトコでもいいしね」


「……はい」


「よしよしよし。……かっこよかったかな、私」


 いつかの自分と重ねて。今の自分に重ねたのは、当然。


「ええと……綺麗、でした」


「綺麗……綺麗……うん、ありがと……」


 返答が期待通りでなかったので、小さく項垂れる。それと一緒に、自分では届かないあの時の彼を想って、恋しくなる。


「というか。夜センパイ、めちゃくちゃお強いんですね。何したか、ぜんぜんわかりませんでしたし」


「……ううん。強くないよ、私は。ずっと、護って貰ってたから。私を護ってくれてた人のが、もっともっと強かったし……安心、できたの」


 今は隣にいないんだから、甘えてはいけない、と。

 自制はちゃんとできるものの、それでもやっぱり、会いたくて。


 同じ空くらいは見ていたいな、とセンチメンタルに月を見上げた。

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