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陰鬱の果てに、一条の。

「ミカルラさん!」


 門の前、中隊に混ざるミカルラを見つけて夜は足を止め、走って荒くなった息を吐いた。


「……夜。貴女には知られたくなかったから、こっそり出ていくつもりだったのに」


 笑い混じりに言うが、本心だろう。ミカルラの姿が見えないことをファルガルに問い、渋々と教えて貰った。


「嫌です。……嫌です。行かないでください」


「無理よ、決定事項。子供みたいな駄々こねないの」


「私が代わりに行きます、から」


「そっちの方が嫌よ、私。夜ほど可愛い子なら、殺されないでしょうけど。捕虜条約、まともに守られるはずがないわ」


「……ええっと?」


 分からない顔をする夜に、そこまでの箱入りかとミカルラは苦笑する。


「そもそも、よ。私が戻って来ないって決めつけないでくれる? 凱旋するから待ってなさい」


 つん、とミカルラは夜の額を突いた。

 その時の笑みは自然で、夜はつられて微笑む。


「……待ってますから。絶対、帰ってきてくださいね」


「当たり前。こっちは任せたから。――じゃ、行ってくるわ」


 門か上がったのを後ろの音で確認し、ミカルラは夜にハグをして。


「本当は怖いよ、すっごく」


 その言葉は、幻だったと錯覚するほど。


 すぐに背を向けミカルラは、肩越しに手を振り歩いていった。




「重体です、すぐに治療を!」


 そんな声と共に運ばれてきた男性に、夜はすぐ駆け寄る。


 ミカルラに任されたのだから、と。夜は沈みかけた気持ちを奮起させて、業務に励んでいた。


「こちらへ!」


 入口から一番近いベッドを示し、その上に乗せて貰う。

 二十過ぎくらいだろう若い兵士。その身体は焼け爛れ抉られ貫かれ斬られ、右腕は肩から先を失っていた。


 この状態になって暫く経つのだろう。処置のされなかった傷口は膿んで変色し、慣れてしまったのか麻痺してしまったのか、痛みを訴え叫ぶことはない。


「大丈夫です、すぐに治りますから!」


 元気づけようとしてそう言った夜を見る目が、まるで敵に向けるようなものだとファルガルは気づいて。

 ぼろぼろの顔から、“留意すべき”として強く記憶に残った一人の患者を思い出す。


「ミセス、処置はお待ちを!」

「私ならやれますから! 任せてください!」


 夜を止めようとするも、その規格外の回復速度には間に合わず。


 治してしまったという事実を、ただ確認することしかできなかった。


「これでもう、痛みはないはず、身体も問題なく動かせるはずです。どこかおかしなところ、ありませんか?」


 死にかけだった自分の身体を、無くしたはずだった右腕を、男は呆然と見つめて。


「……もう、治ったのか?」


 それを為した張本人である、夜に訊く。


「はい! 傷も、不調も治しました。きっと前よりも身体が軽く」


 それは、夜が初めて向けられた感情だった。


 似たようなものなら、かろうじて。学校に行って二日目、同級生女子からのもの。元は嫉妬からなる、可愛いものだったが。


 敵意があると夜から受けるナチュラルチャームの影響が薄くなる、なんてことはレオンハルトが教えられているはずもなく、なので当然。


 胸ぐらを掴まれ引かれた夜は、それが自分の外見由来の、いつものものだと思った。


 自分に憎悪が向けられることなど考えたこともなく、その経験もなかったのだから。


「――さっさと死ねってか」


「……え」


 知らない。


 そんな表情も、言葉も、自分に対するものとして存在することを夜は知らない。


「死にそうな目にあって戻ってきて、簡単に治してすぐまた駆り出されて、さっさと死ねってか? ああ!?」


「ちが、そんな、わたし」


 先程まで死の淵にいたとは思えない剣幕だ。それもそのはず、そうなるように自分が治したのだから。


「死にたくない、死にたくないって無様に這って逃げ出して、やっと帰ってきて、これだけの怪我ならしばらく休める、いや腕がないならもう戦わなくていいんだ、って。生きられるんだ、って思ったのに――まだ戦わないと駄目か? 勝つまでなんてできっこない、死ぬまで戦わないと駄目かよ?」


「ぁ……うぁ……ごめんな、さい」


「あんたは楽しいだろうさ、そんな神様みたいな力があって、救ったつもりで殺してることに気づかないで。今まで治した奴、どれだけがそのおかげで死んだ? 治さなきゃどれだけが生きてた? あんたが自己満足のために救ったつもりになって、殺したのは何人だ?」


「ミセス!」


 強い力で、夜は男から離された。


「……あれだけの重傷、精神面も考慮して一日二日で完治とみなすことはありません。そちらの管轄は私です。何かあるのなら直接、私にお願いします」


 男からは夜が見えないような位置取りをファルガルは取っている。あくまで夜に対する激情なのだろう、その言葉に返答も頷きもなかったが、続きをぶつけてくるようなこともなかった。


 ファルガルが、夜の来る前に一度診た兵士だ。

 あの当時にしては重傷で、既に死を身近に感じ、戦いへの恐怖が他兵士よりもずっと大きかった。


 夜の回復を受けて、想定していた治療期間よりもずっと短い完治に複雑な顔をする兵士は最近、増えていた。

 もう、死者が部隊で出るのは珍しくなくなっているだろう。そんな中で重傷を負い、それでも生き延びた結果生を渇望し、戦いを忌避するのは。

 なんら不思議な心理ではない。


 それを夜がこれまで感じられなかったのは、彼女という人物に、辛い顔をさせたくないと思う人が多かったことが最たる理由だったのだから。


 ファルガルは、夜に。自分の頬を伝うそれが何なのか理解していないように、ただ流して立ち尽くしている夜に。

 できる最大限で努めて優しく、声をかける。


「ミセス。今日はもう、お休みされて構いません。何かあればすぐに、私に言ってくださいね」


「……………………はい」


 どろりと濁った泥沼に、重くなって沈んだ心は、もう。


 頑張れます、とは言えなくて。


 今はただただ逃げたいと、そう思ってその場を去った。




「いやだ。いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ」


「……夜」


 陽のすっかり沈んだ頃。

 外から戻ったレオンハルトは部屋に入るより先、ファルガルから今日のことについて報告を受けた。


 そしてノックに返答がなく、声だけかけて中に入って。


 ベッドの上、布団をかぶって怯えるようにそう繰り返す夜を見た。


 レオンハルトが入ってきたのには、気づいている様子だ。それでもなお止めないのは、そんな余裕がないのか。


 逡巡を少しして。布団を剥がして、夜の顔をこちらに向けさせる。


「夜。夜。……夜」


 こんなに泣きじゃくる夜を見たのは、初めて会った時以来か。あの時はこんな悲しそうな、怯えきったような顔はしていなかったが。


 夜は外見からは想像もつかないほど、強い子だと。レオンハルトは思っている、信じている。その強さに助けられてきたし、その強さに甘えてもいる。


 だから、今はただ儚いだけの夜が、ひどく悲しかった。


「レオ……わたし、もうやだよ……」


「夜はもう十分すぎるほど、頑張ったから。帰ろう、夜。帰って待ってて」


「最初はね、レオ。私が頑張ればそれだけ、沢山の命を救えるんだって、そう思ってた。全ての人を救ってやるんだ、って。でも、私が治すほどに、死ぬ人が増えるんだ、って。治癒部の人達も、そう。私のせいで戦場に行くことになって、それで帰ってこなくて」


 レオンハルトの言葉が届いている返答では、ない。

 自分の中で鬱々と繰り返している後悔を、ただ口に出しただけのもの。


「夜のせいじゃ、ない。それは絶対に違う。僕が今生きてるのは夜のおかげだし、僕は必ず生きて帰るし、僕が救える人だっている。それも全部、夜のおかげなんだよ?」


「……………………ありがとう」


 少しは届いただろうか、と夜を見ても、その笑顔は消え入りそうで。


「もう。もう、やだよ。これ以上、こんな想いしたくないよ。でも、どうすればいいかわからなくって」


「考えないで。後は任せて。夜」


「……今日、一緒に寝ていい?」


 普段ならやきもきしただろうその申し出も、今は。

 夜がどこかに行ってしまわないよう、傍にいて欲しかった今は、静かに頷きを返すのみだった。




「………………ん」


 レオンハルトの腕に抱かれつつも、なお眠れず。

 ずっと思い詰めて、思い詰めて、思い詰めて。


 虚ろだったその瞳は、再び光を宿した。


 起こさないようにそっと、レオンハルトの腕を外してベッドから出る。


 本来レオンハルトは、眠っていても人が近づくとすぐに目覚めるくらいの警戒を無意識下でしている。

 しかし夜はそれに該当せず、物音を立てなければこうして、端整な寝顔を眺めることも叶う。ノアからこの話を聞いたときは、なんとも照れくさかったりしたものだが。


 起こすリスクはあっても、それでも。


 言っておかなければならない、言っておきたい。


「レオ。私ね。もうやだ、って。全ての人が救えないのも、身近な人が死んじゃうのも、私のせいで死ぬ人がいるのも。だから。だからね。もう終わりにしよう、って思ったの」


 夜は笑う。天使のように、無邪気に。


「戦争そのものを。終わらせてきます」


 そう、宣言する。


「そうしたらさ、全部なくなるもん。私のいやなこと、全部。……ごめんね。心配かけちゃうけど、待っててね」


 別れのキスをしようとして、レオンハルトの寝顔に顔を近づける。


「……恥ずかしいな、なんか。それに、こういうのは終わってから、かもだし」


 それらしい保留理由をつけて、赤ら顔で身体を起こす。


 一応、最低限の書き置きだけは残しておいて。


「行ってきます。……この前ちゃんと言えなかったから、これだけ。大好きです」


 はっきりそう、告げて。


 夜はそっと、部屋を出た。

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