治癒術士の在り方を問うて。
「ミカルラ。どうですかミセスは」
「治癒能力についてではありませんよね? そちらの報告は届いているでしょうし」
夜が到着して三日。本来なら数日かけて行うような治癒も一秒で片づけてしまう夜の存在は当然、治癒部全体に多大な影響を与えた。
「私達がこうして手を動かず話している状況、がはっきり示しているでしょう。何よりもこの光景が」
そう言い見渡す室内は、仕切りの開けられた空のベッドがただ並ぶ。
「そうですね、本当に。あの子が動くと私達のやる事、なくなっちゃうんですから。部下が『最近掃除ばっかしてます』ってぼやいてました。――と、夜についてですね」
彼女についての評価をすると、当初強く当たった自分が恥ずかしい。それを昨日それとなく謝ったときは、花の咲くような笑顔と冗談で返されてしまったが。
「雰囲気よりもずっと、精神的に強い子です。重傷者を見るのには慣れているようで、昨日下半身を失った兵士が運ばれてきたときも真っ先に治すことに意識が向いていました。……それであっさり完全治癒させてしまうんですから、恐ろしいですが」
苦笑しながら言い。ふっと笑みを消す。
「ただ。おそらくあの子は。世界の残酷さを知りません。善意は善い結果を必ず生むと信じています。夜に見えている世界は、誰よりも綺麗なのでしょう」
「……貴女の下につけたのは、正解だったようですね」
夜にも語った意図、増長したミカルラを叩き潰すため。それはきっちりと達成されて、なおへこまず拗ねず。元々、患者の性格や感情の機微を上手く捉える素質はあった。姿勢の強張りが消えて、今ははっきりと表れた長所になっている。
「おかげさまで、何かと。その上で懸念が一つ。――いつ気づいてしまうか、時間の問題でしょう、と」
人の少ないこの空間に、二人の声はよく響く。患者がいないのに回復術士ばかりいても仕方がない、とここに集まる人数自体を減らしている。
夜が来る前は常時五名六名いたというのに、今は二人の他にはベッドを一つ一つ整えているもう一人のみ。
「ミセスには、死傷者の人数も不帰還者の人数も、伝えてはいませんね?」
「伝えていません。伝えられるはず、ないじゃないですか。運び込まれる人数の減っている理由、なんて」
「ああ、あんたか」
夜はすっかり慣れた動きで、自分の身体が入る最低限の隙間を、声をかけてから訪問に対する心の準備ができるくらいの時間をかけて仕切りをずらし、中に入る。
顔を合わせての第一声に、この人と会うのは初めてなはずだ、と夜が首を傾げる。
「今日部隊についてきてた騎士様が言ってたんだよ。治癒本部の方に嫁がいるから治して貰え、って。遠距離からの不意打ちだったのに、何したのかさっぱりな速さで壊滅させてさ。俺がこれくらいの怪我しただけで済んだんだが、申し訳なさそうにしてた」
確かに見たところ、そう酷い状態ではない。鎧の上から、貫通と炎熱効果のある魔法攻撃を受けたのだろう。横腹が浅く抉れて、炎で無理矢理止血したような傷口をしている。
時間はかかるだろうが誰でも治せるだろう。それを一瞬で治せるのが自分で、求められていて。
「ふふ。そうです。強いんですよ、レオ。……でも、どうしてそれだけで私って分かったんですか?」
「歳相応に照れくさそうにしてな。『一番可愛いのがそうです』って。その時は笑ったが、こうして見るとああ言うのも当然だな」
顔を逸らして「……ばーか」と虚空に投げ。
切り替えるように、治療を始める。
「では、失礼して。――おしまいです」
ただ手をかざすのみ。それだけで癒しの光はあらゆる傷を、一瞬で治してしまう。ついでに疲労や体調の回復もばっちり。
「……こんなにすぐ終わるのな。ああ……ありがとう」
言われたお礼は、いつも受け取る嬉しいものだったはずなのに。
僅かに見えた翳りの表情が、夜に小さな不安を与えた。
その日の休憩時間。
夜はパサパサのパンをかじりながら、ミカルラと治癒部の入口横で話していた。
外の広場で過ごしたくもあるのだが、常に最低二人は置いておくというルール。夜が午前中に一掃したため今は完治したが少し休憩している者達くらいのため、即処置しなければ生死に関わるような重傷者でもないとそう焦る必要はない。
ここに来た当初はいっぱいいっぱいだったとはいえ、部隊の帰還と忙しくなるのはセットだと感覚で覚えた夜には、最近の静けさは不思議だった。
部隊の帰還は門の開く音で分かる。それからすぐにこちらに運ばれる兵士の数が、少なくなっている。
「ミカルラさん」
「んー?」
この上司は、好きだ。ひたむきさと熱い心があって、激務の中でも暗い顔をせず輝いていて。
先日、初日のことを謝られたときはつい笑ってしまった。自分の覚悟が足りていないのはその通りなのだから正しかったというのに、必要であっても不当に強く当たることに、後ろめたさを感じる人。
仕事中でもつい嬉しくて笑ってしまう自分を、見守るような穏やかな顔で眺めていてくれていた。
のに。
不自然なほどではないにしろ。
感情の揺れ幅が、小さくなった。はっきりと笑わなくなった。今だって、口は横に結ばれていても目は笑わずに、夜ではないどこか遠くを見て。
「最近、ここに運ばれてくる人の数、減ってませんか?」
目が合った。
悲しみを含んだ、動揺が見えた。
「……優勢なんじゃないかな。シュヴァルツフォール卿みたいな突出戦力が投入されてるし、怪我人も減ってるんだと思うよ」
レオンハルトは、特別だ。毎夜話を聞いているが、レオンハルトは自分の随行した部隊から負傷者を殆ど出さない。
夜の気持ちを考えた結果と無関係ではないのだとしたら、それは。本当に出さないように努めているのは、負傷者そのものではなく。
それができるのはミカルラの言う通りに突出戦力だからで、そんな存在はそう多くないのも分かっている。
でも、ミカルラの言葉を「違う」とは言いたくない。ならば。
「……ラマトンさん、一昨日から姿を見ていないんですが、どうされたんでしょう?」
ああ。辛そうな顔をさせてしまった。
分からない振りをして訊いた自分を後悔するような、辛そうな顔を。
申し訳なさがつい、顔に出てしまったのだろう。ミカルラは大きな溜め息をつくと、夜を真っ直ぐ見つめた。
「彼は中隊に同行して戦地へ赴きました。……部隊の半壊は聞いたけど、まだ生死の報告は受けてないわ」
努めて淡々と伝えようとしているミカルラの様子に、夜は我慢ができなくなって声を荒らげる。
「どうして……どうしてそんな大事なこと、伝えてくれなかったんですか! それなら、私が代わりにだって」
「いいえ。貴女が来てくれたからこそ、部隊に治癒術士を同行させる余裕ができたのよ、夜」
伝えたくはなかった、伝える展開にすらなって欲しくなかった。その気持ちを押し込めて、事実のみをミカルラは告げる。ぼかしたところでこの子は、納得してくれないだろう、と。
「そんなの……私が殺し」
「夜」
その先は言わせないという意思を以て、両肩に置かれた手は痛いくらいに強く握られた。
「彼が救った命も間違いなくある。帰還者、ゼロではないの。それに、治癒術士は貴重だから殺されていない可能性だってあるんだから」
「でも、それでも」
肩に置いた手を、背中へ。抱き締める力は、声と共に優しく。
「夜。聞いて、夜。貴女一人で全ての人を救うことは、できないの。それを望んではいけないし、救えない命の重さを貴女が抱えてはいけないわ。……いい?」
「……いや、です。それなら、私が外に出て、帰ってきてからここの人を治して」
「全ての人を救いたいのは自分だけだなんて、思わないで」
それは叱責にも、非難にも聞こえた。
「理想がそのまま叶えられるほど、この世界は優しくないの。分かって。……分かってよ。夜。負傷者の数が減っているのは、貴女が考えている通り。それだけ死者と、帰ってこない人が増えているから」
ミカルラは夜に笑いかける。涙を堪えた瞳で。
「貴女は誰よりも、多くの人を救えるの。それってとても素敵なことなんだよ。だから、どうか。そんなに自分を追い詰めないで。救えない命を見るばっかりに、救った命を忘れないで」
それでも。
それでも、ミカルラにもファルガルにも失礼な、傲慢な考えだろうと分かっていても、私は。
捨てきれなかったその想いは、今のミカルラに伝えることはできなかった。