不釣り合いな甘さは束の間の。
「保護認定の解除も完了してしまいましたから……事前策とはいえ、盾がございません。隣に騎士がいるなら充分でしょうが」
七日経ち。
戦況の報告をレオンハルトは頻繁に聞いていたようで、「そろそろ、かな」と一言あったのが昨夜のこと。
戦争中と言っても街の様子は大きく変わらず、店もいつも通りに営業していた。自分の預かり知らぬだけで確かに起きているそれから、目を背ける居心地の悪さに気づかない振りをしながら。
「とはいえ。私、少々心配性でして。とっておきです」
後ろに回された手に抱き締められるのかな、と想像したが違い、夜の首にネックレスがかけられた。
シンプルな銀糸、胸元にかかるのは何の装飾もない白い球状の宝石。
「危険の迫ったとき、必要なとき。その宝石を噛み砕いて“ルーネイト・クロトリム”と。この大きさなら一分程でしょうか。噛み砕いてから唱えるまで、あまり時間を空けないよう」
「それって……」
ノアの告げた魔法名に、夜は聞き覚えがある。
ルーネイト・クロトリム。
物体に限定して、なんて制約の消えた、正真正銘の時間停止。
時間干渉の適性があろうと、扱えるのはヴィクトリアだけだろう、という特別な魔法。
「ええ。時間停止です。ヴィクトリア様がそれを扱うことができるのは、在り方そのものが時間への干渉を孕むヴァンパイアであるためと、膨大な魔力の貯蔵があるためです。そちらに込められている私の魔力で、夜様の適性を標として強引に回路を開き、使うことは可能です」
あくまで理論だが、ノアには確信があった。そのために断言を用いた。
「……わかりました。ありがとうございます」
元々過ぎた力だったそれを、さらにデタラメにして渡される。その意味が分からないほど夜も子供ではなく、深く腰を折る。
「最後に」
再び背中に回された腕。今度は正面に、神聖さすら感じる澄み切った香りと柔らかさを伴って。
「必ず帰ってきてくださいませ。貴女の一切が損なわれることなく」
「……はい。約束します」
「それと。これは忠告というよりも警告に近いです。夜様はレオ様が、レオ様は夜様が、するのは嫌だ、と思うことはおやめください。自分が何か危険を侵す際に、それをするお互いを想像して止めそうならしない様に」
レオンハルトは以前から分かっていた気質だが、夜にも似たものがあり問題視しているそれ。自己を蔑ろにすることへの、躊躇のなさ。
一番この言い方が効くだろう、と思って紡いだ言葉は、夜の抱き締め返す力が強くなったのに届いた実感を得て。
「……気をつけます。私もレオも、ね」
ノアの胸から顔を上げて隣のレオンハルトに視線を送り、苦笑とともに頷きを返される。
「私からは以上になります。……お二人はよろしいので?」
ノアに抱擁を解かれて、レオンハルトに向き直る。
「覚悟してるつもりでも絶対足りないだろうし、私にどこまでできるかわかんない、けど。レオのことは支えさせてね。不安与えちゃうかもだけど、傍にいるだけで多分、何かしらできる……と思うから」
「今から不安があるのは本当。でも、いてくれると頑張れるのも本当。傍にいる限りは護るから、離れないでね」
ハグをしようとして、何となく気恥ずかしくなって、やめた。
代わりと言うように手を握って。
「……行こ」
「ん。行ってくるよ、ノア」
「いってきます、ノアさん」
「再三申し上げておりますが、お気をつけて。お二人の帰りをお待ちしております」
複数の理由から、すぐ戦場へ向かえるわけではない。まずは城へ行き、そこから移動になる。
深く礼をしたノアに見送られて、二人は屋敷の扉を開けた。
城から馬車に揺られて、拠点最寄りの村から暫く歩いて。
屋敷を出たのは昼前だったが、着いたのは陽が朱色に染まりかけた頃だった。
魔法の産物だろう。灰色の、まさに城塞といった外観のそれは居住地としても防御としても、十分な役割を果たせる堅牢さと敷地を備えていた。
レオンハルトを先頭に、重い音を響かせ開いた聳え立つ鉄扉を抜けて中へと入る。
「お待ちしておりました、シュヴァルツフォール卿と奥様。まずは魔法許可登録をして頂きます。こちらへどうぞ」
出迎えた鎧姿の女性を、レオンハルトは知っている。普段は城内で人事やら任務の手続きやら、雑多な仕事をこなしている。こうして戦地に駆り出されるのは、それなりに接した時の印象からすると優秀さ故だろう。
門を抜けて、主たる城郭との間には壁に囲まれるのみの広々とした空間がある。
寝転んでいたり壁に背中を預けて座っていたりで休憩中の兵士や、食事の炊き出し。訓練中の者もいるが、彼等の顔にはうっすらと疲れが浮かんでいる。
物珍しそうに周囲を見渡していた夜もそれに気づいたようで、胸の前で拳をぎゅっと握った。
魔法を使用するための承認は、ヴァーレスト城で必要なものと同じだ。範囲で貼られている魔法の打ち消しに、例外として自身を登録し無効化する。
もし魔法が無制限に使えるのなら、総力戦になってしまうから。お互いの拠点においては完全な打ち消しの空間設定が、交戦地域においては外部からの魔法を打ち消す空間設定がされている。
二人の移動に魔法が使えなかったのもこのため。
石造りの城塞内は広く、部屋も通路も階段も多い。
勿論人も多く、目的の部屋に辿り着くまでに多くの人とすれ違い、時にはレオンハルトが話しかけられ、夜は注目を浴びた。
承認を受けること自体はそう難しいことではない。権利者複数人から許可され、魔力を読み込ませれば完了だ。今日はレオンハルトと夜のように新たに訪れる人数も多いため、権利者が同じ場に固まっており手続きもスムーズに終わった。
「お二人のお部屋までご案内します。こちらへ」
そうして案内された部屋。こればかりは王族身分の特権だ。二人の部屋は二人だけで利用でき、備品も他に比べればいくらか上等。
魔法による強化が幾重にもされていようが外見上は石造りのこの城塞内で、ヴァーレスト城の客室と同じ意匠の部屋が用意されている。
「シュヴァルツフォール卿は、ヴィンセント騎士団長から指示を受けるようにとのこと。奥様につきましては、治癒部長からとのことです」
「……わかりました」
悟らせまいと表情にこそ出さなかったレオンハルトだが、声の調子から夜には勘づかれてしまい。
「それでは。失礼します」
女性が出ていき二人になり、夜。
「レオ、私一人だと色々不安だから……一緒についてきて貰ってもいいかな?」
そう自然にされたお願いが夜の気遣いであることもまた、レオンハルトには理解できて。
「夜」
「――なにさ」
出る前には気恥ずかしさで出来なかったこと。したくなかったわけではなく、される分にはあっさりと受け入れて。
「早速支えて貰ってるから。ありがとう」
「……しーらない。ほら、行くよ」
あくまで素っ気ない気遣いのつもりだから、正面からお礼を言われてはどうも照れが勝る。そうでなくても、最近はこうされていると頭がぽうっとするというのに。
自分の欲との戦いに勝って、レオンハルトの腕から抜け出した夜は扉を開けて急かす。
「夜」
「……なんですか」
声色がとても優しくて、心地良さがくすぐったい。
扉に手をかけたまま振り返る。
「好きです」
当たり前に告げられたそれ。
今更それくらいよく存じておりますが、とかそんな感想を抱くはずもなく。
「……ばーか。ばーかばーかばーか。そのまま返す、から」
同じ言葉を自分の口から返すのは、できなくて。
誤魔化すように「先行くから!」と叫んで、夜はバタンと扉を閉めた。