紅霧の騎士様。
「できるだけ僕の近くにいてね、夜」
「こちらこそ頼むから近くにいてくれ、レオ」
レオンハルトの年齢が自分より一つ下だったり、口調を素にしていいかの許可を得たり、そして少しの驚きの後受け入れられたりと色々あって、路地裏を出る今に至る。
通りに出れば、またあのような視線を浴びることになるのだろう。何も気にしないならレオンハルトの腕に抱き着いて歩きたいくらいだが、過度の接触はやんわりと禁じられている。
「近づかれなければ大丈夫だと思う、し危害が加わりそうなら守るから。安心して」
「ん……。お願い」
路地へ出るレオ。
意を決して、ついていく夜。
案の定。
視線、視線、視線。
人々は一度夜を視界に収めると、足を止め目を離さない。
「夜」
名前を呼ばれて、差し出された手。
女性のような綺麗な手だというのに、握った途端に不安はかき消えて。
視線が全く気にならなくなり、レオンハルトの横に並んで歩いていく。
「色々、訊いていいか?」
「僕に答えられることなら。……あと、目を合わせない失礼の許されるなら」
こうして手を握り隣を歩いていても、レオンハルトはこちらを見てはくれない。無理なく我慢できるナチュラルチャームのトリガーは二つまでとのことで、声と接触の二つを満たしている今は、もう限界らしい。
「それはまあ、仕方ないし……。ここ……今いるところ。ここの地名とか住んでいる人種とかの、情報を知りたい」
目を合わせて貰えない夜はレオンハルトの横顔をじっと見ているが、驚いた顔をしたのは分かった。
「ヴァーレスト、って言っても分からなかったりする?」
「全く……。街の名前?」
「いや、国の名前。この街はエリュンヒルドって言って。国の内側、王都の左にある街だね。人種……は亜人種を見かけることもあるけど、珍しいかな」
道行く(と言っても夜を見て止まるのだが)人は、夜のよく知る人間の特徴をしたもののみだ。ファンタジーテイストな格好をしている人物はそこそこ見るものの、異種族らしき姿は見えない。
「国がヴァーレストで街がエリュンヒルド……覚えた。亜人種、はエルフとかオークとか?」
「オークは街では見ないかな……。ん。エルフとかドラゴニュートとか。居住地のある王都の方に多いね」
王都というものの名前、はまた次の機会に訊くとして。ファンタジー世界らしい用語の多いことに高揚する。魔法を自分で使えたらさぞ楽しいだろう、などとこれから先を考えつつ。
「と、今はどこに向かってるんだ?」
石畳の大通りを抜け、舗装のされていない砂利道に出て。たまに民家の見えるくらいの、閑散とした地へと移っている。
通る人も次第に減っていき、今はもう、夜とレオンハルトの二人のみ。
「今日は依頼を受けてここに来てたんだけど、馬車を取っておいたから。その馬車が停めてあるところまで、だね。もうすぐ着くよ」
「馬車……ちょっと楽しみだな」
「それはなにより。僕は馬車に揺られるの好きだから、少し時間がかかるけど使ってて。夜も気に入ってくれると嬉しいな」
こくり、とレオンハルトの言葉に頷く。
そして正面に視線を戻すと、遠くに人影が見えた。
フードのついた黒いローブで目元は見えないが、前に垂れた髪の長さやボディラインから女性とわかる。髪の色は青みがかった紫。
そのまま距離は縮まっていき、会釈をされすれ違う。
ぺこりと頭を下げた夜がふと抱いた違和感を、「あれ?」と口にした直後。
がぎぃん、と金属のぶつかり合う音が響いた。
「夜、下がってて」
何が起こったのか分からずに、目をぱちくりさせる夜。
レオンハルトが剣を抜いていて、その刀身で曲刀を受け止めていて、その曲刀を握るのはすれ違った女性であって。
「不意をつきましたのに、こうもあっさりいなされてしまうなんて。流石は、ヴァーレストに名高い紅霧の騎士様ですこと」
蠱惑的な声。ぞくりとするのは、ただ魅力的なだけではなさそうだが。
受け止められた剣を引き、ゆらりと構える。身体はレオンハルトに向けたまま、視線は夜へ。黒い双眸の光る顔は美しいものだったが、夜の感じたイメージは獲物を見つけた蛇。
「夜がいるのに普通にしている。それは異常なんだよ、首拾いのダリア。狙いは夜、みたいだね」
下がってと言われたものの、離れる方が怖かった夜は下がれずにいた。レオンハルトは、そんな夜の前に立っていてくれている。
黒衣の女性、ダリアと呼ばれた襲撃者はくすりと笑った。
「ご冗談を。勿論貴方も蒐集対象でしてよ? ナチュラルチャーマーと一緒にいるのは、計画外ですけれど。やはり、ならず者の手なんて借りるべきではありませんでしたわね」
「もしかして、あの三人は貴女、が?」
怯えから胸の前で手をぎゅっと握りながらも、訊く。
自分に向けられた夜の声を聞いて、ダリアは陶酔したように、歪に頬を緩ませる。
「ああ……素晴らしいお声をお持ちですのね。優美で可憐で繊細で。私にさえそう思わせる、なんて。欲しい、欲しい、欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい!――ふふ、つい。失礼を」
この世界に来てから、幾度もぶつけられた欲望の形。どれも夜にとって気分の良いものではなかったが、これは別格に過ぎる。
モノとして夜を見ての、純度100%の支配欲だ。
「と、返答をば。ええ。元々の本命ではなかった貴女を拐うよう、三人に頼んだのは私ですわ。失敗して、首を集める価値もありませんでしたから、ただ殺してしまいましたけれど」
「夜」
どろりと淀みそうだった思考は、名前を呼ばれて行き場を無くしてしまい。
「すぐに終わらせるから。後ろで待ってて」
「……ん」
素直に従って、二人から距離を取る。
「随分と舐められたものですわね」
「いいや、警戒してるよ。だからこそ、最初から全力。――制約解放」
こうむのきし、とレオンハルトが呼ばれていた所以を、夜は理解した。
レオンハルトの全身を包むように揺らめくそれは紅の、淡い光は霧のようで。
それが血の色であってもなお、戦場には不釣り合いなような、幻想的な光景だった。
生じた変化が何なのか、夜には分からないが。ダリアは知るところだったようで、素早く攻撃に転じた。
鎧に守られていないレオンハルトの頭部へ、手首を効かせた高速の曲刀を叩きつける。
が。
金属の衝突音と、乾いた破裂音。
ダリアの右手首を掴んだレオンハルト。その眼前には、刀身の消え鍔のみとなった、曲刀だったもの。
刀身の所在はすぐに、天からダリアの背中を掠めて落ちた形で判明し。
「命を奪うつもりはないよ。無駄な抵抗と感じて投降してくれると、助かる」
「ご冗談を」
掴まれていない左手を振るうダリア。その手には小ぶりのナイフ。
レオンハルトの反応が遅れたのは、攻撃対象が自分ではなかったからだろう。
切断された腕。
それは夜のものでもなく、ここに第三者のいるわけでもなく、ダリアが自分で斬ったものだった。
「まともじゃないね、聞いていた通り」
苦々しく言い、ダリアの右手を本人に放り投げる。それを受け取ったダリアは切断面を接着させ、二言三言呟き。白く光ったかと思うと、ダリアは右手の指を動かして見せた。
「お優しいんですのね、返して下さるなんて。手間が省けました、し私も礼節を尽くしまして、本気で殺しにかかると致しましょう」
ダリアは靴を脱いで、素足で地面に立った。
「お付き合い下さいね? エンフェア、エンフェア、エンフェア、エンフェア」
四度ダリアの唱えた度、右手、左手、右足、左足を赤い光が纏う。レオンハルトの霧よりも色の鮮明で強い、黒みを帯びた赤。
そしてダリアはレオンハルトとの距離を詰め、赤い線を描く上体への蹴りを繰り出す。
防御として構えた刀身は容易く切り裂かれ、迫る足先は身体を仰け反らせて寸前で躱したが。
武器でない分次の動きは間を置かず、さらに距離を詰めての両手両足を用いた高速の連撃へと続き。全て回避することを強いられたレオンハルトは防戦一方になる。
蹴りは身体を横にして空かし、拳は肘を押さえて止め。躱しようのない時は、ダリアの胴体を蹴って距離を離す。
ダリアの動きに順応してきたレオンハルトは、危なげなく躱しつつ反撃の機会を窺っている。
「流石ですね。けれど」
とん、と距離を詰めてダリアが繰り出したのは、足払い。当たれば足が持っていかれるそれを、レオンハルトは飛んで避ける。
動きの制限される、空中に。
その一瞬を、狙い澄ましたダリアは突く。
勝機に逸ったように、かかんだ姿勢から両腕をレオンハルトに伸ばす。
「レオ!」
夜は叫ぶ。
間に合わない、もし間に合っても何もできない。そう分かっていても声は発され、足は動いた。
夜を見たレオンハルトは、ふっと笑った気がした。
「ラウスレート」
そうして駆け出したその先のレオンハルトは一言呟くと、その姿を消してしまった。
「あ、あれ? わっ!」
目標を見失って足を止め、それも不安定な姿勢だったためにつんのめり、転ぶ。
下は砂利道だ。顔から叩きつけられるこの転び方はさぞや痛いだろう。
覚悟した痛みは横から伸ばされた腕に遮られ、そのままその胸に抱かれることとなったが。
「大丈夫?」
勿論夜を抱えているのはレオンハルトで、夜は混乱するべきか安心するべきかの判断に困ることになる。
「ありがと、大丈夫だけど……大丈夫なの?」
「僕の安否のことなら平気。夜の身を案じるなら、まだ戦闘中だから――終わらせようか」
夜を離し、再びダリアと対面するレオンハルト。ダリアの方はと言うと、夜に構う様子をずっと見ていたようで。
「どうして貴方はそんな自然に、ナチュラルチャーマーに接することができるのかしら……私と違って、五感は正常でしょう?」
「理性の賜物、ってことで。話途中に失礼だけど――マルヴァス・ベイン」
レオンハルトがそう唱えると、ダリアを四方から伸びる光条が捉えた。両手両足首を縛り上げ、×の形に開かせる。
「瞬間移動に高ランクの拘束、そのどちらも魔法名のみでの詠唱省略。魔術師でも難しいでしょうに、本当に天才なんですのね、貴方は」
ダリアは拘束されてなお、表情から余裕は消えない。近づくレオンハルトをよそに、その瞳は夜を映した。
「失礼を」
そう言いダリアが動かしたのは赤く光る右手首のみだったが、スナップを効かせた勢いでそれは、千切れて夜へと向かってくる。
迫る右手を収める視界は、抱き抱えられた感触とともに切り替わり。またレオンハルトに助けられたことを自覚して、安心より申し訳なさが勝る。
「またお会いしましょう、お二方。――起動」
いつの間にか再生しているダリアの右腕は拘束を抜けており、その掌には黄色い宝石のようなものがあった。
ダリアの言葉に呼応して光ると、その光はダリアを包み、消えた時には彼女も消失していた。
「夜、大丈夫? 結構きついもの見たと思うし、怖い目にも遭っちゃったけど」
「意外と平気……かな。レオがなんとかしてくれたし、案外グロいの大丈夫みたい。あ、と、立てるから大丈夫、離してくれていいよ。ありがと」
いつまでも胸の中にいるのは恥ずかしかったので、解放してもらい。
纏う紅霧を消したレオンハルトは平静に見えても、夜には何故か、ひどく苦しそうに思えた。
「そっか、なら良かった。無理はしてなさそう、だね」
違和感。
別に嫌なものではないが、その理由はすぐに分かった。
自分と目を合わせて、話してくれている、という。
「ん……。レオ、は」
先程までなら接触もプラスで、視覚と聴覚、もしかすると嗅覚にまで訴えていたかもしれない自分の特性、ナチュラルチャーム。
戦闘前は避けていたそれを、今まったく問題にしていないのは、どういうことなのだろうか。
「僕はこの通り。全然平気だよ」
ああ、無理をしているんだ、と。わかる。わかってしまう。
外傷を負ってもいないのに心配をしすぎな夜を、安心させるために言ったものだとは思えなかった。
人が我慢をしている時について、夜は少々詳しかったから。
だからこそ、額面通りに受け取る。
「そっか。で、さっきの人は何者なんだ?」
話題も変えて、今は考えないようにして。
目を見て話してくれる、それ自体は嬉しいことだし、わざわざ指摘してやめて欲しくはない。
「通称、首拾いのダリア。結構前から問題になってて、かつ未だに捕まっていない犯罪者。高い戦闘能力と治癒能力を持ってて、価値の高い首を集めて回ってる、って話」
「くびって、首?」
夜は自分の首に触れる。
「うん。裏社会では昔から、状態の保たれた人間の首を美術品扱いしてたんだけど、ダリアはそれの蒐集家みたいで。確か、今の顔は自分の元々の首じゃない、って聞いたことがある。気に入った首を自分の身体にくっつけた、って」
「そんなことできるんだ……」
「普通は無理。それだけ、ダリアの人体関連の技術が高いってこと」
「あ、と、ナチュラルチャームが効いてなかったっぽいのはなんで?」
夜の声への反応は効いていたかもしれないが、外見については一見、影響のなかったように見えた。
「ダリアは、感覚に異常がある、みたい。痛覚がおかしいのは確かだろうけど、きっと他も正常じゃないんだろうね。効かなかった理由は、多分それかな」
「ん……そっ、か」
そうであるなら、としても悪人であることに変わりはないが、少し考えてしまう。生まれつきだとしたら、それは。
そんな夜の思考を知ってか知らずか、「ひとまず」とレオンハルトは切り出す。
「また襲ってこないとも限らないし、早く帰ることにしようか。夜にとっては帰るじゃなくて行く、だけど。馬車はやめておいて、魔法ですぐに」
「帰るってことは……レオの家?」
「うん。ちょっとだけ待っててね。ラウスレート」
レオンハルトはぱっと消え、夜は周りに人気もないので変に気を張らず、素直にじっと待ち。
3分ほどで再登場したレオンハルトに自然と安堵し。
「おまたせ。じゃあ、行こっか。手、握って」
「ん」
先程から聞く「ラウスレート」が移動魔法なんだろうな、と思いながら、その三度目を聞くと景色は大きく移り変わった。