お屋敷最初の来客者。
「このお屋敷、随分と強固な魔術的防御がなされているのね」
シュヴァルツフォールの屋敷、扉の前にて。
日傘を差したヴィクトリアと、その横にちょこんとそのままミルフィティシア。
元々屋敷に連れてくる予定で、それはメイドも了承しているものの、扉に触れるのにレオンハルトは少しの緊張を抱いた。
「お分かりになられるんですか?」
「若い頃は魔法戦闘中心でしたもの、私。勿論彼女には遠く及ばないし、時間系に頼りきりだったけれど」
外見的には二十代半ばといったヴィクトリアが「若い頃」と口にするのは少々滑稽で、レオンハルトは苦笑する。
この姿ですら時間を弄って歳をとった仮のもので、本来の姿は年端のいかない幼女のものだという。
血が満ちていると吸血鬼になった年齢よりも若返るため、魔力のために溜め込んでいるヴィクトリアはそうなってしまうのだと。
くい、とレオンハルトの袖が引かれた。
無言で訴えるミルフィティシアに、レオンハルトは頷きを返し。
いつものように扉に触れて。
響く声はなく、ただ静かに扉が開いていった。
出迎えの位置でノアは腰を折らずに姿勢を正して立ち、その紫の瞳はよく似た容貌に並ぶ紅い瞳を見つめている。
ミルフィティシアは視線を受けつつてとてと歩き、ノアの前へ。
「おおきくなったね」
「お変わりなく。――こちらへどうぞ。で、宜しいのですよね」
あくまで平静を保って、淡々と確認するノア。
「いいよ。ごゆっくり」
「ふけいであるぞ、レオ?」
冗談なのか本気なのか測り兼ねるミルフィティシアの手を引いて、ヴィクトリアに一礼しノアは去っていった。
「ミルフィティシアはああいう子だけれど、彼女も表情が崩れないなんて。抑えるのに慣れてしまっているのかしら?」
「それはあるでしょうが、抑えきれてもいないようです。……扉、開けっ放しですし」
外部からの接触を遮断するこの屋敷において、唯一の隙となる扉の開閉。それゆえにノアが常に立ち会い、徹底された管理のなされているもの。
いつぶりか、扉横の魔導水晶に手を触れてレオンハルトは扉を閉める。
「隠すのは上手くても、感情は人並み以上に鮮やかなので。今頃どうなっているか、は想像するのはやめておきますが」
生存を知った時には、夜に抱き着いて泣いたというのだから。
自分でなく夜に、というのは少し複雑な気持ちもなくはなかったのだが、弱い部分を見せたくないのだろう、とも理解していて。
「ふふ、私は後であの子に聞くことにしましょう。して、その間私達はどうしましょうか? お話の種、老婆心からの暗い話くらいしか持ち合わせていないのですけれど」
「……お聞きしても?」
ヴィクトリアを客間へ促し、向かい合う二つのソファにそれぞれ腰掛ける。長らく使用していなかった部屋だが、ノアの仕事は抜かりなく綺麗に保たれている。
「以前、私が奥方は時間属性持ちなことを教えたでしょう? あれから、彼女はその修練をしていて?」
「はい、仰られた通りに。モノの時間を止める、が限界ではありますが」
「最前線で敵を殲滅したいのでもなければ、それで十分すぎる位でしょう。……十分すぎるのよね」
大きな溜め息を吐くヴィクトリア。口にした内容それ自体はプラスな内容だと言うのに、とレオンハルトは思索して、行き当たる。
「戦力として換算され得る、と?」
「そういうこと。――とはいえ、時間属性持ち単体ではわざわざ引っ張り出されることはないでしょう。もう一つ、あるでしょう?」
つい先刻、ローレリアからも指摘されたそれ。
「回復能力、ですか」
「そう。使った時の様子からして、本人は特別なものだという認識が薄いのでしょう? 多くの人に知られ得る場面での使用は……していそうね」
レオンハルトの表情から察して、苦い顔をする。
「脅しではないのよ? ただ、最悪想定は話しておきましょう。今の情勢からして、彼女の回復能力と時間属性が両方知られてしまった場合。貴方が護衛につくことができずに、独立して駆り出される可能性があるわ」
異常であろうと回復能力だけなら運ばれる負傷兵の対処に回されるだけで済むだろう、危険は少ない。
しかし戦闘能力を認められてしまえば、最前線に置かれる可能性が出てくる。そちらの方がずっと恩恵は大きいのは、自明なのだから。
と、戦争が起きる想定の話をして。
「……とにかく、隠すよう努めます」
「貴方の実力もね、シュヴァルツフォール卿。戦においては、評価の低い方が自由に動きやすいでしょう。最高戦力に数えられてしまっては事よ」
「……はい」
レオンハルトの返事にゆっくりと頷き、ヴィクトリアは話題の区切りというように瞳を閉じた。
しばらくの静寂から、苦笑を洩らしつつヴィクトリア。
「明るいお話、の持ち合わせがありませんの。これでも結構、緊張しているのよ、私」
「緊張、ですか?」
対面している分にはそう見えず、高貴さと威厳を上品な雰囲気に纏ったヴィクトリアにレオンハルトが押されている位なのだが。
「貴方と、王の瞳を持つあの子。どんな顔をして会えばいいか、わからないんですもの」
ひどく申し訳なさそうにするヴィクトリアに、レオンハルトは返すべき綺麗な言葉を持たない。
自分がヴァンパイアに対して敵意が強いのは確か。しかし、ヴィクトリアに当たるつもりもなく、当たるべきでもない。
「……夜がいたらきっと、自然と空気を取り持ってくれたんでしょうが」
取り持つ、という意識すらなく。自ずと人を快くする、そういう振る舞いを本心から行う。
取り繕いだけ上手い自分とは正反対で、だからこそ一緒にいるととても安心して。
「奥様は今日は、お会いするのは難しいのよね?」
「ノア次第、でしょうか。日の暮れるまで待って頂ければ、帰ってくるとは思うので」
「なら、しばらくゆっくりさせて貰いましょうか。良かったら、貴方と彼女のお話を聞かせて? 貴方視点ならちゃんと、恋物語になるのでしょう?」
ふふ、と微笑んで、顎に指を添え前のめりになるヴィクトリア。
「……その言い方、気づかれていたんですね」
「ええ、勿論。どれだけ歳を重ねようと。私はそれについて、未だに現役、ですもの」
そう言い笑うヴィクトリアは、自分達とそう変わらない年齢に見えた。