お姫様の憂鬱。
比較すら不可能な、隔絶された美を有しながら。対人に一切の拒絶を示さない、天使のような少女。
ただ見つめているのみでさえ、至上の幸福を得られるというのに。言葉を交わせたとしたら。
そんな彼女が今日は、明確な他者との断絶を全面に押し出している。
清楚で可憐な制服姿ではなく、見て欲しい相手へベクトルを集中させた、背中の開いた鮮やかな紅いドレス。
サイドアップに結った髪、耳には宝石を埋め込んだ錐状のイヤリングをつけて。
彼女の魅力は特異であっても、この場において彼女の格好は際立って目立つものではなかった。
日は沈んでヴァーレスト王立士官学校、学校棟の屋上庭園。
端のベンチに腰掛けていた夜は、まばらに見える着飾った生徒達の姿をぷくーと膨らませた頬でもって眺めている。
スノウリリーのおかげもあって好成績で試験を終えて、終業式を明日に控え。
今日は学園全体で、パーティーを行っている。
先生も参加するこの催しはまさにお祭りで、その話を聞いた夜は前々から楽しみにしていて、ノアに頼んで衣装もばっちり用意して貰って。
しかし。
しかし、あの騎士様は急な仕事が入ってしまった。
その時は快く送り出した夜だったが、当然納得できるはずもなく。
メインの催しが行われている特別棟を避けてここ学校棟の屋上にいると言うのに、それなりにいた生徒達は夜のように一人でいる者など皆無で。それで夜は寂しくなって腹立たしくなって、不機嫌を顕にして座っている、現状。
しかもやたらと男女ペアが多いのが、どうも今の夜にはささくれる。
別に楽しもうと思えば、自分から動かずとも人の寄ってくる夜ならそれほど難しいことでもない。
それをしないのは、今日の服はレオンハルトに見て貰いたくて着ているものであって、自分だけ一人で、なんてことはとってもたいへん嫌だったからで。
「プリンセス・シュヴァルツフォール。騎士はどこに?」
今話しかけられては声だけでも苛つく相手に的確に逆鱗をつかれ、夜の声は隠さない不機嫌さを纏う。
「レオは仕事ですし私はお姫様でもありませんがジュリアスさんはこんなところにわざわざいらっしゃっていったいどんな用件なんでしょうか?」
あれ以来、ジュリアスはレオンハルトと夜に対して下手な態度が取れなくなり、夜の呼び方はこのようにプリンセス呼び。いつもなら微妙な顔で訂正する程度だが、今日は鬱陶しさを顕にして睨みつける。
「……………………すみません」
「はい」
ばっさり斬ったものの、いくらなんでも可哀想かな、と良心が咎めて言葉を放る。
「それで、用件はあったんですか」
ジュリアスに対する夜の敬語は、今日のみの特別対応ではない。
故意のよそよそしさであり、夜としては異質な、自ら作っている壁。
「……ああ。ローズシルトが騎士を探していたよ」
「リリーが? んー、リリーとはどこで会いました?」
「つい先程、下の階で。待っていればここに来るかもしれないな」
その言葉が嘘でないと示すように、下から続く庭園入口に馴染みのある赤髪が見えた。
「あ、いました。って、レオ……シュヴァルツフォール卿は見当たりませんが」
黒いドレスに身を包んだスノウリリーの横には、見知った顔がもう一人。ただし、夜がとっても畏まってしまう相手。
青の双眸に夜を映すと綺麗に微笑み、銀の髪を揺らして近づいてくる。
「今晩は、ミス・シュヴァルツフォール。相も変わらず……いえ、より可愛らしさに磨きがかかっていて、ついこの身を恥じ入ってしまいます」
今日という日にのみかろうじて学園に存在を許されるだろう、別世界の存在がそこにいた。
「うっわ、演技臭いな。よくそんなんで、反吐が出るような邪悪さを隠せているものだ」
夜はぽかんと、スノウリリーは青ざめて。
「ジュリアス、アンタ誰に向かって……」
言われた当の本人はスノウリリーを制し――変わらぬ微笑を湛えてジュリアスに向き直る。
「不思議なことですが、極稀にあるのです。私の本性を邪として、非難されることは。お名前を伺っても?」
その正体を知る者なら、何気ないこのやり取りが相手を葬る準備でしかないことをよく理解しているだろう。
そんな意図には気づかず、ジュリアスは迂闊に名乗った。
「ジュリアス=ディールス=ヴァサーリだ」
所作からして庶民のそれではないことに、気づいても良さそうなものだが。
自分の本質を看過されて警戒したが、洞察や推測からなるものではない。直感だとするなら同族嫌悪だろう、と当たりをつけて。
叩き潰す意図を全く滲ませず、天使の笑みを携えて。
「私はローレリア。ローレリア=エト=ドライツィヒ=ディース=ヴァーレストと申します。あまり苛めないで下さいね」
いくらジュリアスと言えども、名前にヴァーレストとつけば分かるらしい。
「処分は如何様にも。私はこの阿呆を連れていきますので、ごゆっくり」
顔面蒼白のジュリアスを引き摺ってスノウリリーは去り、夜とローレリアが残される。
「えっと……お久しぶりです、ローレリア様」
「もう少し気を楽にして下さると嬉しいわ。それで……貴女の旦那様はどちらに?」
された質問は同じでも、夜の心に苛立ちは生じなかった。そんな余裕はなく、そんな感情を持っていい相手でもなく。
「仕事です。学校に行く少し前に連絡が来て、そのまま行ってしまいました」
「あら……。わざわざ今日に呼び出すなんて、酷い管理官もいたものね。今度叱っておきましょう」
ふふ、と冗談めかして笑っているが、ローレリアは本気だ。レオンハルトは特別中の特別、本来そう無闇矢鱈と使い潰すものではないのに、よりによってこんな日に仕事を入れる役人など――無能と断じて物理的にせよ社会的にせよ、首を切った方が良いだろう、と。
「ローレリア様は、レオに会いにわざわざこちらへ、ですか?」
「主な目的はそう。それと、折角のお祭りを見てみたい気持ちもありましたもの。少しお話があったのだけれど……奥様で差し支えのないものは、奥様に訊くことにしようかしら」
レオンハルトに対しての用件は情報共有からの相談で、自分が入手できる程度の情報なら別に、書類で渡してもさして問題はない。見識は聞いておきたかったが。
着飾った夜に、それで見せる相手が不在なら不満も溜まるだろう、と先の様子に同情と、過去の行いから多少の罪悪感を抱き。虚像に対する畏敬の視線を受け止めて、そのままに演じ話しかける。
「最近、シュヴァルツフォール卿とご一緒して外交の任を受けているでしょう。感想を聞かせて下さいな」
「えっと……私が役に立てているか、はちょっと自信がありませんが。人と会って、その人を知るのはとても、面白いです」
キャンディス以降、立ち会った場は三件。それらは重要度の高いものではなかったが相手に好感触を与えて終わり、夜はキャンディスから教わった人を見る練習を少しずつ実践していた。
まだ読み取ったものの正確性や、それを活かすための知識や技術には不安のあるものの。「夜は間違いなく交渉事向き」とはレオンハルトの弁。
「ふふ、不満のなさそうなら幸いだわ。貴女達は何かと有用だから……ついつい頼りたくなってしまうのだけれど、そう多用はしない様に、言っておかないといけないかしらね。夫婦揃って頻繁に休むのも嫌でしょう?」
「あはは……。有用、ですか?」
キャンディスという別格と比較しなければ、そろそろ慣れてきたレオンハルトは人並み以上にこなしていると、夜目線では評価できる。とは言え、まだ然程大きな話を纏めたりはしていない。
「ええ。王族血筋で派閥に属していない、ってとても貴重なんですもの。キーロード相手がまさにそうだったけれど、相手が王族家の場合、こちらも王族家を出したいところ。でも、色々な思惑の絡まって難しいの」
清廉ぶっていて、王族と言えども所詮は女のローレリアには、直接的に来る話ではない。
間接的なら知らぬフリをしてそれで通る。
「なるほど……。キーロード、キャンディス……様とお話できたのは、とてもいい勉強になりました」
ローレリアは苦笑する。
これでも反応は演じている方で、素で表すなら舌打ちだ。あの姫君は自分の本性を正確に見抜いたが、それを利用しては来なかった。
されど少しでも罠を仕掛ければすぐさま解かれ、意図への警戒は完璧で、詰まるところ勝負すらさせて貰えなかったのだ、あれは。
「キャンディス様の外交手腕は別格だったでしょう。手管も綺麗で」
私とは違って、とは言わずにおいた。
実力の伴うからこそできることであり、そうでない自分には、望むべくもないのだから。
「と――今日はこれくらいで失礼致しまして。お話できて嬉しかったわ、旦那様にもよろしくお伝え下さいませ」
浸りかけた感傷を振り払って、そう言い綺麗に礼をした。
「こちらこそ。またお会いできて光栄でした。あ、と……お一人でお戻りに?」
「ええ。大抵の国民はヴァーレストで銀髪を見たら察するもの、変な絡まれ方はしないでしょうし。ましてやここは王立の士官学校ですもの。少し雰囲気を味わっていこうかしら、と」
さっきのアレは相当な馬鹿だ、と暗に伝えている言葉だが、既にジュリアス評価の低い夜に言われてもさして影響はない。丁度この説教を、スノウリリーがしているのは今の夜には知る由もないし。
「お気をつけて……と言うのも変ですから、どうぞ楽しんでいってくださいね」
綺麗な微笑みとともに手を振って、ローレリアは下へ降りていった。
王族と話していたことで元々の自分由来に加えて視線を集めた夜は、ローレリアと話していた時の憧れからなる緊張などあっさり消えて、大きく溜め息をついた。
そして、パーティーも用意された演目は全て終わり、帰る生徒が増える頃。
スノウリリーから同行の誘いはあったが、申し訳なさそうにやんわり断って、退屈を過ごして。
こんな場で鬱憤を溜める時間をただただ過ごしていると、自分がとても惨めになる。
「……帰ろ」
ノアに愚痴を聞いて貰って、今日はさっさと眠って。明日はいつも通り、レオンハルトに接することのできるように。
今どうしようもなく腹が立っていても、これをぶつける相手はレオンハルトではないのだから。誰かにぶつけてしまっては、そんな自分に余計に怒りが湧くだろう。
立ち上がって、一歩。
どん、と人にぶつかった。
倒れる前に腕を引かれて、そのまま相手の胸へと収まり。
「おせーよ、ばーか……」
顔を見ずとも感じる安堵ではっきり分かる。
心情を吐露してしまってから、夜ははっとして顔を上げる。
「あ、ごめん、今のやっぱり、無し。えっと……おかえり、おつかれさま」
恨み言は無し、と決めていたというのに。
この登場の仕方に問題があるのであって、これくらいは当然の小言である、と考えてしまうくらいにはどうしても、割り切れてはいなかった。
「いいよ、怒ってくれて。……折角そんな綺麗な格好してる日に、放ったらかしてごめん」
「レオが悪いわけじゃないじゃん。でも、ちょっとだけ言いたくなって、でも、それでレオにぶつけるのは嫌だな、って」
優しく頭を撫でられる。
まったく子供扱いだ、と子供っぽいことを言っている自分を自覚しながら、むくれてみて。
それがとても心地よいのも、はっきりと感じていて。
「ずっと待ってたの?」
「ん。レオがいないのに、っていうのもしたくなかったしさ」
「……もう全部終わっちゃったんだよね」
レオンハルトの表情に――ああもう、ただでさえ十分すぎるほど持っていただろう申し訳なさを、これ以上追加で持たれてたまるか、と。
「やだ」
夜はレオンハルトの抱擁から抜けて、そっと手を差し出す。
「踊って。ノアさんから教わってたし今日に向けて練習したけど、私、レオと踊ったこと一回もないし」
レオンハルトは夜の手を取るまでに少し間があって、何か考えたよう。
片膝をついて、手の甲が上を向くように夜の手を取り。
以前は避けてしまったそれ。何故恥ずかしいと感じたのだったか、上手く説明はできないが。
今はどちらかと言うと、して欲しいかもしれない、と。確認をするレオンハルトの視線に、見つめ返すことで了承を返して。
手の甲に触れた唇はくすぐったくて、胸がとくんと跳ねた。
「喜んで。お姫様」
私はお姫様じゃないっていうのに。本物だって来ていたし。
「……ばーか」
自分を“そう喩えた”意味が夜には分かってしまって、不思議な、けれど不快ではない胸の疼きへの誤魔化しをするように放った言葉は、そんな自分によく響いた。