信念と自負と、恋心と。
「そもそも、よ。十七歳のこんな子供が、ただ国のためだけに邁進できると思う? いくら王族としての自負はあるとしても、ね。私、天才型ではないし」
分かってくれる、という期待の篭もった瞳で夜に問いかける。
隠すのをやめた、憧れも添えて。
勿論、夜にしてはいけない種類の期待に、案の定応えられないのだが。
「別の目的のために、ってこと……ですか?」
それでもぼんやり察することはできて、曖昧な夜の回答を、仕事モード解除中のキャンディスは是と受け入れて。
「そう。私はね、法を変えたいの」
とっておきの宝物を見せるように。照れながら、誇りながら。
「キーロードはね。婚姻制度が厳しいの。同じく厳しい身分制度と絡まって、王族なんかに生まれてしまうと自由恋愛なんてとても、ね」
「それを変えるために、ですか」
キャンディスは頷いて、はにかむ。
「ええ。キーロードに女王は、前例がなかったから。我儘を通さざるを得ないくらいに、大きな役割を持たないと、って。あと、ちょっとなの」
包み隠さず自分の夢を語るキャンディスは、夜の目にとても、きらきらして映って。それこそ見蕩れてしまう程に。
「ここまで他人との私的な接触は一切を避け、隙を見せず、ひた隠しにしてきたんだがな。お互いトチるとは、想定外にしても限度があった」
これでも抑えてはいるんです、とは言えずに。
いくら夜でもはっきりと理解できた二人の恋仲に、生じた素直な疑問をぶつける。
「お二人は元々、どういう関係だったんでしょう?」
「ふふっ。……聞きたい?」
訊かれることが嬉しいという風に身を乗り出してくるキャンディス。夜がこくこく頷くと、キャンディスは笑みを深める。
「アルは、王族家に代々仕える家の出なの。初めて逢ったのは……私が五歳の頃、だったかしら。アルが八歳の時ね。そして私に仕えて……歳の近い男女を懸念する声が上がったのが、それから七年してから。けれど、そんなわかりきった邪魔に対する仕込みは、とっくにできていたのよ」
悪戯っ子のような楽しそうな笑顔。アルフォンスも「あれは傑作だった」等と言い頬を緩めている。
「仕込み?」
「そう、仕込み。ただ大喧嘩して険悪になりました、じゃ引き離されておしまい。一定以上は越えないと確信させるには、どうすればいいか。大きな出来事の一つ二つでは無理なのよね、そんなの。だから、日常会話を全て暗号化して、ひたすら事務的な会話のみしているように見せかけたの。――何年やったかしら?」
「懸念される前にまず三年、専属として認めさせるまでにそこから四年。合計七年だな」
「ええっと、暗号化……って?」
「具体的な説明は物凄く複雑になるから伏せるけれど、要は人に聞かせる文章中に隠して真意を伝えられるようにした、ってこと。限りなくややこしくした代わりに、あらゆる内容をあらゆる表面上の言葉に隠して伝わるようにして。あの背徳感を味わえなくなったのは、少し惜しかったかもね?」
話の内容は途方もないというのに、その本質はあくまで、全力で恋をする少女そのもの。
「いつからその……好きになって、添い遂げるって決めて」
これは夜自身にとって、大事な質問に思えた。
理由は上手く、説明できないとしても。
「そんなの、気がついたらに決まっているじゃない? けれど、そうね。もうおよそ十年ほど、私はそのためだけに生きているの」
一切の照れなく、ただ誇るように。そうである自分に絶対の自信を持っていると感じさせるように。
「その年齢で結婚しているのは、政略結婚でないなら何かしら特殊な事情があるのでしょう、と思っていて。それは外れではなかったようだけれど、貴女達の関係も極めて良好なことも、はっきりと分かるのよ。……夜様からシュヴァルツフォール卿へは、愛情よりも信頼、に見えているけれどね」
夜は首を傾げ――は、しない。
今はまだ上手く飲み込めずともちゃんと咀嚼すべきだ、と内に秘めて。
「シュヴァルツフォール卿から夜様に対しては、全幅の好意が分かりやすくて恥ずかしくなる位だったのよ? 夜様相手に仕掛けを仕込んだ時の気づき。自分に対してよりもずっと聡いんだもの」
ふふ、と笑うキャンディスに目を逸らすレオンハルト。夜はレオンハルトをじーっと見るがこちらを見てはくれないので、「ありがとね」とだけ伝えて。
「夜様はまだ、恋をしてはいないのでしょう。でも、それはきっと遠くない筈。……また、私の原動力がはっきり分かった頃。お話しましょう?」
言葉が夜の中へと落ちていって、意味が思考と繋がり波を起こす――それは静かなうちに、アルフォンスの「キャンディスは友人と言えるものがいないからな。なってくれるととても有難い」という声で有耶無耶に消えて。
「お友達……ですか? いやでも、王女様ですし」
「それを言うなら貴女だって、王族家の妻ですもの。家柄にそこまで、差があるわけではないはずよ」
アルフォンスに対し怒りではなく恥を表明した抗議の視線を送っている辺り、言葉は真実らしい。もっともキャンディスの場合は作れないのであって作らないのではなく、その最大の理由たる秘密を知られている夜なら、全く問題はないのだろう。
そこまで考えて、夜は微笑んで答えた。
「私で宜しければ。仲良くして頂けると嬉しいです、キャンディス様」
キャンディスは髪を指でくるくる遊ばせて、視線をあちこち動かして、僅かに紅潮した頬をして。
「……友達に様付け、って普通なのかしら」
「あー……あんまり普通じゃないかもしれません、けど」
「友達に敬語、も普通なのかしら」
「…………普通とは言えないかもしれません」
言わんとすることはわかるが、それは少々勇気が必要と言うか。
そんな目をした夜がアルフォンスと視線が合うと、アルフォンスは薄く笑ってキャンディスを見た。
「で、あるなら。そんな特殊な関係を求めはしないわよね?」
この詰め方はいかにもキャンディスらしく、夜はふふっと笑ってしまう。
「……いいんですか?」
無言で抗議の膨れ顔を頂いた。
「いい、の?」
「いいの。……私がそう、したいんだもの」
「わかりました。ううん、わかった。よろしくね、キャンディス」
口にするとやはりどきっとはする。それでも、花の咲いたように笑うキャンディスを見て、勝手に感じる後ろめたさなんてかき消えてしまった。
「ええ。こちらこそよろしく、夜」
その様子を見ていたレオンハルトは意図せず強力な知り合いを増やしつつある夜に苦笑をしていて、アルフォンスからの「俺個人としても貴方とは是非お話願いたい」という申し出に、快諾を返して。
「さて、と、少しだけお仕事のお話をするわ。貴女達がこれからも外交に携わるのなら、教えておいた方が良いだろうこと」
夜とキャンディスで今度こそ難しい意図の全く介在しない会話を楽しくして、その横でレオンハルトとアルフォンスで何やら話していて。
二度目のハーブティーが注ぎ終わると、キャンディスが元の位置に各々を戻して切り出した。
「まず、夜がいることを糾弾した、私の論理に対する正当な破り方について」
「……あるの?」
この短時間で随分と好意の上がったキャンディスは、頼られるのが嬉しいのか夜に得意げに微笑んで頷いてみせた。
「夜、SSS級の保護対象認定持ちでしょう? なら、“保護のために離れることができない”で通るわ。本来それくらい必要なのよ、シュヴァルツフォール卿?」
「……………………はい」
微笑を携えた軽い揶揄への長い沈黙に何かあったことを察して、キャンディスは友人へのさりげな恋愛支援を中止した。
夜もレオンハルトの心中を慮って、強ばった手にそっと重ねて。
「だから、ね。あくまで夜は、シュヴァルツフォール卿が保護のために離れられないから一緒にいる、とするの。正当化までは無理でも、利用意図は突けなくなるから」
「ん……。次から使ってみるね」
「ええ。あとは、そうね。夜は高水準な対人理解の適性があるから……磨けば、直接的に魅力に頼らずとも大きく貢献できるでしょう、とか」
「キャンディスの分析、みたいなの?」
「そうよ。夜の物事の見方、まず人の感情に寄り添うところから始めているから。最初は大別していくつもりで良いわ。興味を持つ点、持たない点、感情の浮き沈み、所有知識の浅い深い、触れ方の強い弱いや角度。それらから結びつく気質は何か、って。すぐ身につくものではないから、またそのうち、かしらね。貴女はお互いに良い印象を持ったままで、より利益を出したいでしょう? そのために使えばいいから」
こんな風に理解されるのは、胸がきゅっとなるほど心地好い。それを自分ができるというのなら、喜んで、と頷く。
「あ、と、キャンディス。キャンディスも交渉で不和は出さないようにしてるんだよね? それって、理由はなんだろ?」
「一つは単純に、その方が後々利益に繋がるからね。不利益に繋がらず、かつ利益を生む可能性があり。一時の利益を追求して相手に礼節を欠くと、いずれそれ以上の損失がある。そう信じているから」
仕事用の真面目な顔でそう言って、「もう一つは」と破顔して。
「私が外交を担っているのは根本的には、私の我儘のためだもの。そのために誰かに嫌な思いをさせたくないし、手を汚して成す恋にはしたくないから」
綺麗だな、と心から思う。
信念が、在り方が、手段が、その全てがとても、綺麗。
その根本たる恋心を、自分は理解できていないというのだから。
おそろしく勿体ないのだろうな、と。
「キャンディスみたいになるの、どうしたらいいんだろうね」
「私みたいに? 悪い気分ではないけれど、人に憧れて、その人みたいになりたいと願うのはやめておきなさい。憧れたその所以を詰めて、自分のものとできるように。――と、能力面なら、先程言ったのがまず。口が回るのは慣れだから……あとは、歴史に学ぶことね」
「歴史は……べんきょうちゅう……」
この世界の歴史全てはあまりにも膨大で、ざっくり知るにも一年はかかりそうだが。
ヴァーレストだけは一通り、人並みには蓄えている。
「ふふ、そう? 先人の成功と、失敗。人って同じことを繰り返してしまうから、驚くほど役に立つのよ。ヴァーレストなら、そうね。御伽話の領域だけれど、聖王様のお話、知ってる?」
レオンハルトが僅かに反応したのに当然キャンディスは気づいたが、それが何故かに思い当たらず、無理に探る必要もなく意識の外に置いた。
「聖王様……ヴァーレストの建国者、だよね。それだけしか知らない、かも」
「ヴァーレスト王族本家の特徴たる銀の髪に、彼の王は紫水晶の瞳を宿していた、という伝説があって。その瞳を見た者は無条件に従うという、生まれながらの王の資質」
はっきりと一致する、特徴。
二人が異質な反応を示したことで、キャンディスの思考は否が応でも辿り着く。
レオンハルトを調べるにあたり、人の死が関わっているから、と閲覧を止めたあの事件に。ヴァーレスト王家で騒がれていた、聖王と一致する特徴を持った姫君が被害者として名前があった、という。
レオンハルトだけなら分かる。しかし、夜が反応した、ということは。
「……聖王様は、どうなったの?」
身近な人を重ねている、その瞳に。
「具体的な施策は出ないとはいえ、さぞ尊敬される賢王だった筈なのに。人々が自分という人間に従っているのか、自分の瞳に従っているのか、分からなくなってしまって。次の王を指名して、姿を消したと言われているわ」
「……………………そっ、か」
「実在を示すものが存在せず、魔法においても卓越した才を併せ持ち、国を去った後の賢王によるものとされる、数々の英雄譚があり。それ故に神話の住人とされた、孤独の王。……私は実在を信じているけれどね」
「……ん」
受け答えとしておかしい夜に突っ込むほど、キャンディスは野暮ではない。それは旦那様の役目だろう、とそっと寄り添っているレオンハルトを見て思ってもいるし。
「さて、と。そろそろ名残惜しいけれど、お開きにしましょうか。あくまで外交としての場、だものね」
無理矢理に切り替え、真剣な面持ちでレオンハルトに向き直るキャンディス。
「今回の件、シュヴァルツフォール卿が一存で全てを決定してしまうと少々揉めるでしょうから、交渉の結果、として本来あと二回を経て辿り着く予定だった条件の提示をしておきます」
「ありがとうございます。経緯の説明は?」
「それくらいは即興で、お願いさせて下さいませ。私の見立てではできる筈ですもの」
重い期待に、レオンハルトは苦く笑って礼を言う。
「あとは……現在ヴァーレストと関係の芳しくない彼の国については、こちらからもなるべく干渉はしてみます。ですけれど、あまり期待はしないで頂けると。――案外、夜が出てしまえばひっくり返るのかもしれないわ」
夜も噂くらいは耳にしている、関係の不穏になっている大国の話。キャンディスがこう言うということは相当なのだろうが、自分ではできない、と思うことはせず。
「それでは、また機会のあればお会いしましょう。この度はお越し頂きまして、誠にありがとうございました」
キャンディスとアルフォンスが合わせで礼をして、夜とレオンハルトも頭を下げ。
顔を上げてにこりと笑ったキャンディスに、手を振られながら部屋を出た。
そして外へと歩きながら、夜は遠慮がちにレオンハルトに問う。
「……聖王様の話、だけど」
分かっていたレオンハルトは、ゆっくりと返答する。
「僕の口からは言えない、から。……ノアに訊けば、きっと夜にはもう教えてくれるとは思う。ただ、ノアは知られたくはない、とも思うな」
もし知られれば関係性に間違いなく変化が起きる、そういう類のものだ。
はっきり「ノア」と口にされて、確信に変わったそれを、静かに仕舞い込む。
「ん……わかった」
ただ知りたいのみで知って良いのか、本当に知りたいのか、よく考えることにしよう、と。
今はそれだけ、返答をした。
城の出口に着いて、夜は「あ」と思い出しから声が出た。
「忘れ物してきちゃった。とってくるね」
キャンディスに身につけたリボンの説明をした時に、一緒に見せたスペアとしてノアから貰ったブローチ。
魅力を下げるオンオフのできるようになった試作品とのことだが、万一キャンディスに使われると相当、コトである。
「一緒に行こうか?」
「大丈夫。ちょっと待ってて」
当然のように、城内では魔法の使用はできない。レオンハルトを走らせるのも悪いので、とそう告げて足早に戻っていった。
そうかからず戻ってきた夜は、顔を真っ赤にしていた。
「……どうしたの?」
「二人が、こう、こう、なんか、えっと……駄目です」
キャンディスから「忘れないと戦争ふっかけるからね!」と釘を刺されているのと、理解の及ばないながらに口外してはいけないものだと、本能的に理解しているのと。
二人の関係性と夜の様子からして、それでレオンハルトには伝わってしまったのだが。
「あー……帰ろっか」
「うん……」
お陰様で夜に渦巻いていた様々な思考は吹っ飛んで、帰ってのノアとの対面もいたっていつも通りになったものの。
ふとした時に意味を問われたレオンハルトは、ひどく困窮するに至った。