外交初歩、切り札白ずきん。
「お若いのに随分と、期待されているんですなぁ」
恰幅の良い、齢三十は過ぎているだろう男性。フロックコートのような礼服をモノトーンで固めている。
「こんな若輩者がお相手すること、申し訳なく思います」
一方のレオンハルトも似たようなフォーマルファッション、こちらは白を基調にしたして。
華美な内装に生演奏、料理の盛り付けの美しさや従業員の振る舞いから、高級店だとはっきり分かる。
建物自体が芸術品な水晶の塔、その頂上に作られているために高所からの夜景が一望でき、夜空の色が背景となっている。
そんな店内に不相応な、白い布で身体を覆い歩く何か。
事前に話が通っているのか、直接触れてくるスタッフはいない。が、異物だと認識しているのはどうしても、分かってしまう。他の客からははっきりと、ひそひそ話すらする程に。
その中身たる夜はVIP感のある奥の席へ案内されるレオンハルト達を追いながら、どうしてこうなっているのかを思い出して逃避していた。
そもそもの始まりは、レオンハルトに普段とは趣向の異なる伝令が届いたこと。
内容は「ルスティスの外交官との会食に出ること」で、額面通りに受け取るのならそう、重要なものでもない。
ルスティスは歴史の浅い国で、人間のみの単種族国家。魔導水晶の原石を筆頭に鉱石が豊富で、それを主軸に集団が発展して国になった形。
内容を受けてノアは「美少女レオ様がお調べになるのはやりすぎでしょうから、私の方で調べておきましょう」と言い、次の日には結果を出してきた。
「まず一つ。この会食がレオ様にあてがわれたのは意味がありますね」
「と、いうと?」
促されることを分かっている言い方をするノアに、レオンハルトは疑問を持った。
「言わない方が面白いかと。ただ、夜様をお連れするように。ナチュラルチャーム遮断の布をかけて、夜様とは相手に伝えずに」
「そんな無茶な……普通の会食じゃないんだろうけど、それで相手が受ける?」
「受けますよ。一応、不穏な点だけ述べておきましょうか。ここ暫くのルスティスの外交利益がルスティスに有利な面で不釣り合いなこと、正式な締結前にこのような会食のなされていること」
「あらゆる国交の場って国関係なく、武力能力その他恣意的に片方を有利にするもの禁止だよね?」
「ええ。それゆえ会食の際に仕込んでいるのでしょうね。いずれ発覚するでしょうし、もう正体も掴んでいますが。上から叩きつけて有利にする方が良さそうです」
「……説明はあくまでしないんだね」
「必要ありませんし、そちらの方が面白いですから。あまり小国を虐めると可哀想ですしね」
と、不敵に笑う(ような無表情の)ノアとのやり取りを経て、話を聞いた夜は二つ返事で了承して、今に至る。
夜には裏がありそうなことは伝えられていない代わりに、ノアから一つ、仕込まれている。
まだその時ではないので、今はただ仮装お化けのような姿をして不釣り合いなこの場所で居心地悪く過ごすのみ。
個室へ通されると、従業員は「ごゆっくり」と言い残して去っていった。
中の様子はと言うと、明かりはホールよりも暗く、輪郭のぼんやりと浮かぶような。
食事の並ぶテーブルに椅子は四つ、相手の男性は隣の席を空けたままに鞄を床へ置き、レオンハルトと夜に座るよう促す。
そして二人が着席してから腰を下ろした。
「そう硬くならずに。どうぞお召し上がりください」
夜を見て、「果たしてこの物体はどうするんだ」という目をする。
当然まだ脱ぐわけにもいかないので、そのまま沈黙を貫く不気味な置物化するしかない。
「それでは、甘えまして。頂きます」
この店はヴァーレストにあるが、相手方の選んだもの。料理に何か仕込まれてる可能性があるなら、夜にも食べさせようとするだろう――とまで考えて夜がこういう格好をしているわけではないが、不動の夜にアプローチのない辺りその心配はなさそうだ。
一応、夜のことは「自分の補佐的な外務職員」という説明をしているが。レオンハルトの年齢に油断しているのか、警戒は薄い。
「シュヴァルツフォール卿は、代々が騎士の家系で?」
対応からして予想はついていたが、レオンハルトを王族分家とは知らないようだ。丁寧ではあるが、丁重ではない。
よって、個人に対して情報でどうこう、というやり方ではない。念の為、確信を持つべく探る。
「ええ。父が王国軍の長でしたから、私がこの歳で騎士なのはそのコネのおかげのようなものですね」
「ご謙遜を。それで外交経験を積まされているというのは、いずれ重役を与えられる予定がおありなんでしょう」
レオンハルトに外交の任が与えられたのはヴィクトリアの口添えによるものであるし、そもそも家柄の時点で本来は、であるし。
もっとも、家柄関係は複雑で、あまり上の立場にはさせたくないのが一部の本音と踏んでいる。
この様子だと、国内でもそう知られていない夜についても把握されていないだろう。
しっかり予習してきたレオンハルトは、世間話を混じえつつ情勢を把握した“らしい”会話をこなして。
食事のあらかた済んだ頃、「遅れた連れが来たようです」と男性が個室の入り口に目をやった。
事前に告げられてはいなかった。これが仕込みなのだろう、とレオンハルトは気怠げに、夜は出番と構える。
するりと入ってきたのは、女性。視界に収めて、夜ははっと息を呑む。
「遅れまして。今日は随分と若い方、ですのね?」
蠱惑的、と言う表現のぴったり当てはまる声。
胸元の大きく開いた黒いドレスは、その豊満な身体のラインがくっきり浮き出るもの。その容貌は目鼻立ちの非常に整っていることのさることながら、何より目を引くのは頭部に生えた山羊のような角。次いで、腰まで伸びる薄い青の髪から覗く黒い翼。
はっきり異形と分かるそれらがあっても鮮烈な美しさを叩きつけてくる所以は、レオンハルトにはよく理解できていた。
サキュバスの特性。誘惑の魔法が性質として独立したもの。
ナチュラルチャーム、とかいう。
「ふふ。今日はとびっきりの役得ね」
艶っぽい声でそう言って、柔らかい所作でレオンハルトに近づき、その顔に触れ顔を近づける。
「さあ。委ねて」
外見と、声。臭いや接触にはないようで、夜のものを十とするならせいぜい、三といったところだろうか。
以上はレオンハルトの分析で、そんな余裕のある程度には冷静、ということで。
レオンハルトの自分を見る目が可哀想なものを見るそれなことにサキュバスさんも気づいたようで、表情に疑問が混ざる。
「すみませんが、効きません。ナチュラルチャームの相手、人の比じゃなく慣れちゃってるんで」
この言葉には、ルスティスの男性もサキュバスさんも困惑する。
「慣れている……って、その歳でそんな遊び方を沢山している、ってこと?」
そういう解釈もあるのか、とレオンハルトは苦笑。「ノアが言ってた意味はよくわかっちゃったな」と、こちらの種明かし。
「一つ、謝らなければいけないことがありまして。隣にいるのは外務職員ではなく、私の妻です。夜、とっていいよ」
やっとか、と白布を取って、数時間ぶりのまともな状態に大きく溜め息をつく。
「なーがかったぁー……。おなかすいた」
一応こういう場なので、と夜の服装は城での婚約発表時と同じドレス姿だ。勿論魅力を阻害する物はゼロ。
相手のイカサマを真正面から完膚なきまでに叩きのめす結果になった今の状況に、夜は申し訳なさから小さく舌を出す。
「え……貴女……人間、よね?」
当然狼狽えるサキュバスさんに、夜は「そのつもりです」と返し。
男性の方はサキュバスとつるんでいるだけ耐性が多少あるのか、意識は保っているようだが混乱して言葉を発せない状態。
「こんなの、女王だってありえない、のに……。降参よ、降参」
夜相手にまともな会話ができているのは本来、それだけで凄いこととはいえ。種族としてのプライドはボロボロで、敗北を心から認めてしまった。
「そろそろ限界だったでしょうけど、これ以上は完全に無理ね。今回分は結構ですから。……って、聞こえているのかしらね」
そんなサキュバスさんは男性に向けてそう言った後、夜をもう一度見て特大の嘆息をして、ひらひらと手を振って出ていった。
「……すっごい綺麗だったね」
敗者に対する残酷な言葉に、「それ夜が言っちゃ駄目だからね」とレオンハルトは苦い顔。
「と……終わった、のかな?」
混乱に次ぐ混乱から放心している男性が残されて、今更歓談というわけにもいかないだろう。
「うん、お疲れ様。実際の交渉時は、今日のことがあっただけで僕の方が強く出られるし、まあ」
「あ、と、ちょっと試してみたいことがあって」
と、夜は席を降りて男性の横へ。
声をかけてこちらを向いて貰って、にこりと笑いかけて。
耳元に顔を近づけて、甘い声で囁く。
「これからはどうか、ヴァーレストに国益をもたらすよう、よろしくお願いします、ね?」
勿論夜が自分の意思のみでするはずもなく、ノアに仕込まれたもの。術名も省略で弱い催眠の魔法をかけて、それを声の力で強力に刷り込む形。
我慢もできるはずなく、虚ろな目で陶酔した様子の男性に、夜は「できてるのかな……」と首傾げ。
「夜」
と、そんな夜の腕をレオンハルトに掴まれた。
そのまま強引に引っ張られて、部屋の外へ。
「わ、何、ちょっと、レオ?」
つかつかつかとレストランを横切っていき、夜の姿に静かになる中、聞いているか怪しい受付の人にレオンハルトは二言三言告げて外へと出た。
レストランの外、人通りはそう多くない街外れの道。
「いきなりどうし――わっ」
抱き締められて、困惑する。
「ノアの指示?」
いつもよりも声が、怖い。普段ある優しさがない。怒っているというよりは、感情を抑えている、というか。
「うん……そうだけど」
「後でノアに文句言っておくから。もう、しないで」
「……なんで?」
ここでなんで、と出てこられるとレオンハルトとしても何か言ってやりたくなるのだが、こういう子なのは重々承知しているため、ぐっと堪えて。
それでも少し、できるだけ気づいて貰えるような言い方をする。
「夜、前に“僕のものだ”って言ったよね」
「……うん」
「だから、駄目」
「よくわかんないよ……?」
ここで「例えば」と、もし自分が他の女の子と仲良くしていたら、なんてことを言っても、きっと夜には通じないのだろうな、とレオンハルトは思って。
そしてそれは正しく。
「僕が嫌だから、駄目」
こういう言い方の方が届くことくらいは、もう理解していて。
「……そっか。なら、うん。もうしない。ごめん、ね」
「怒ってるわけじゃない、からさ」
胸に抱いたまま、夜の頭を撫でて。
夜の肩を掴んで、正面に見据えてじっと見つめてみる。
何かされる不安も、期待も全くなく。ただ信頼されていることは伝わる、夜の顔に。
「……僕からするのは、夜が意味を理解してくれてからかな」
「意味、って?」
「僕が夜を好きだからこそ、色々我慢してることがある、ってこと」
「……我慢してくれなくていいよ?」
意味が分かっているなら少なくとも、そんな風には言えないというのに。
「そういうトコだよ、夜」
それでもたまらなく愛おしい辺り、自分は完全に負けているのだなぁ、と。
この魅力を痛みもなく我慢できるようになってしまっている自分と夜の言葉に、レオンハルトは苦笑をするのだった。