戦闘訓練――特別編。
休日。
いつかの緑で囲まれた大部屋。
ここ最近は夜が剣術を教わる日になっていたが、いつものように訓練の始まる前、ノアが言った。
「夜様。今日は、というより今日からは、少々やり方を変更します」
「えっと、わかりました」
訊かずとも理由の説明はしてくれる。それを分かっているので、ただ了承のみを返す。
「夜様が、時間属性持ちであることが判明致しましたので。そちらを進めた方が、強くなる為ならずっと早いかと思いまして」
「時間属性って……ヴィクトリア様の言っていた」
「ええ。無属性適性者に極々稀に存在する適性。時間に干渉する魔法への扉を開く鍵の資質です」
「私も時間を止めてしまったり、できるんでしょうか?」
どんな物語でも、時を止めるなんて能力は最上級の壊れ扱いだ。そんなことができてしまうなら、今の夜でもレオンハルトの領域に届きうるのかもしれない。
「いえ。ヴィクトリア様が世界の時間そのものを止めることができるのは、種族自体が時間概念と密接するヴァンパイアであること、そして膨大な魔力を有することの二つが大きく影響しているでしょうから。少々厳しいかと思います」
「……ですよね」
ばっさりと幻想は切り捨てられ肩を落とす。
ノアは「ですが」と続ける。
「時間干渉それ自体が強力なものですから。世界の時間は止められずとも恩恵は大きいかと。例えば」
左手に持つ細身のレイピアを夜に渡す。受け取ると「カンテチャント・クロトリム、とそれに。付与のイメージで」と指示があった。
言われた通りに唱えると、レイピアを灰色の光が包んで消えた。見かけ上に変化はない。
「今の魔法だけでほぼほぼ事足りるでしょうから、覚えておいて下さいませ。そのレイピアは今、時間の止まっている状態になります」
「ほむ……?」
これの時間を止めて何の意味があるのだろう、と首を傾げながらひゅんひゅん振る。軽いので夜でも無理なく振り回せるが、硬いものにぶつかればすぐ折れてしまいそうだ。
「つまり。“最強の剣”です。試しに……そうですね、普段お使いのこちらにしましょうか」
ノアは夜の訓練に使っていた刃のないロングソードを虚空から取り出す。
「ゆっくりと当てにいきますので、お受け下さい」
「えっと、はい」
意図のわからないまま構え、ノアの横振りを細い刀身で受け止める。
きぃん、と澄んだ音がして。
ノアの振ったロングソードは、夜の持つレイピアとの接触面を境界に綺麗に分断されていた。
「…………これは?」
目をぱちくりさせる夜。
「物の時間を止めるということは、その物に絶対的な不変性を与えるということです。つまりは絶対に壊れませんし、鋭利なものは絶対的な切断能力を持ちます」
「……すごい、ですね」
今うっかりとこのレイピアの刀身に触れてしまったら、指が落ちる羽目になるのだろうか。たとえ治せるとしても、試すのは憚られた。
「相手の受けを無効化する。レオ様の場合は速度により成せる技ですが、やり取りの対話拒否ほど強いものもございません。触れれば勝ち、ですからね」
あっさり示された自分の持つに至った強さに、努力を代償にしたものではない後ろめたさが少し。
その強さ自体の破格さに慄く一般人感覚も少し。
「夜様が攻撃する場面、はあまり想像したくはありませんから、私としてはこちらの使い方は副次的な方ですが。主に使って頂きたいのは防御的運用ですね。――防御、全身を」
反射で動き、魔法名省略で防壁を張る。自分の姿を覆い隠す深い青色の光の壁。
咄嗟の判断で出せるように、と今はノアの言葉を条件づけに最も簡単な防御の魔法を素早く出す練習をしている。
ランクも低く、全省略のため脆い。ノアが言うまでもなく意図を汲んで、「カンテチャント・クロトリム」と時間停止をかけた。
「次からは、時間停止までセットでかけられる様に練習を。既に説明していることですが、実演しておきましょう」
ノアの手にはレオンハルトとやり合った時に使用していた鎌が握られている。
無造作にバリアへ叩きつけると、鈍い衝突音を残して互いに損傷はない。数度繰り返しても変わらず、とん、と鎌を床に立てた。
「こちらの鎌も特別製ですから、砕けることはございませんが。もう少し派手にしておきましょうか。夜様、お手を」
手を出して握られて、ふっと視界がぶれ、部屋の端まで移動した。
遠くに張られたままの青いバリアを見据えて、ノアは詠唱する。
「魔素生成。純化、結合。変換器、生成」
以前に見た光景。
七色の光を捏ねて混ぜ、纏め、輝く純白の球体を作り出す。
その球体にノアは手を入れ、「アブソルーター」と呟き、握る。
光が輝きを増して、膨張の後、収縮。溢れる先を求めるように揺らいだかと思うと、真っ直ぐ前へと光条となって迸った。
光は夜の張ったバリアに衝突、耳をつんざく轟音を立てて四方へと撒き散らされる。
光の放出は続き、部屋のあちこちにクレーターの出来た頃、ようやくノアが光球から手を離し収まった。
この部屋の壁は大抵の魔法では傷一つつかないようなものだったはずなのだが、と凄惨な部屋の様子に夜は目を奪われて、「上々ですね」とノアの示してようやく、いまだに姿変わらず健在な青い防壁に気づいた。
「おわかりでしょうか。時間に干渉する、とはこういうことです」
「……あははは」
もはや笑うしかなかった夜の頭を、ノアは不意に撫でた。
「夜様のことですから、心配はしていませんが……。力はあくまで意思持たぬもの。大切なのは使い方であって、持ち主の在り方です。――生まれ持った力に人生を左右されるなんて、馬鹿らしいですからね」
「ん……はい」
ノアの声は、彼女にしては随分と優しい響きを持っていて。
悲しげに映った紫水晶の瞳に、夜はただ頷くことしかできなかった。
「ヴァーレストの人間と繋がりのあるヴァンパイアの情報及び、現在のミルフィティシア様に関する情報をできる限り」
その頃、スラム街の情報屋にて。
金髪黒衣の美少女然な依頼主と、正体を知ってなお淡々とやり取りを進める。
「なんだ、生存を知ったのか」
「……元々知っていたと?」
下手な回答をすれば斬られる、以前ならそういう推察をする問い方。
意図的か過失か、正体を明かされた今となっては単なる糾弾に過ぎない。
「訊かれなかったから答えなかった、それだけだ。善意で渡すほど安い情報でもないだろう?」
よって素直に答える。
疑心暗鬼の引っ掛け合いも必要なく、随分と楽な相手になったものだ。
もっとも、調子に乗れる相手では決してないのだが。
「貴方に善意があるとは思えませんが。……いいでしょう。確実に足る額を渡します」
「なら書類で渡そう。ついでに、外交に駆り出されそうな騎士様に一つ忠言を。国内の闇を探るのも良いが、対外も気にしておけ」
いつか渡す予定ではあったのだろう。手早く用意された紙の束を受け取る。
「一個人でどうこうできるものでもありませんが。有難く受け取っておきましょう」
最近噂は聞いている。とある国との関係が悪化している、という。
この話を訊くならローレリアの方が適任だろう。こちらにもう用はない、と立ち去ろうとする。
「それと、もう一つ。一度発生した情報は、必ず洩れる。特異な回復能力の噂がある、で解るな?」
「……ええ」
一層冷たくなった雰囲気に、彼女が急所なのだと理解する。今でも、迂闊なことをしようものなら、すぐにその剣が飛んでくるだろうと。
「今の情勢と絡めて、上に知られたら最悪ケースがどうなるか、は言うまでもないだろう?」
「ご忠告、感謝します」
危機感に急いだか、これ以上不安を煽られたくなかったか。
黒衣を揺らして瞬きの間に、騎士様は去っていった。