学生の本分、お勉強会。
「――それで、吸血鬼相手にしてきたの?」
翌日の放課後。
レオンハルトが受注したはずの任務は学園に把握されておらず、あの職員も在籍していなかった、という事実を把握して。
遂行したのは事実なため、無事夜の評価に加算されることにはなったのだが。
自分の存在が邪魔なことはわかっていたが、ここまで殺意の高いものは初めてだ。
探っていることがバレたか、他の理由か。ノアなら調べがついているだろうが、今日の帰りに少し動くとして。
「……そうなるね」
夜には、ヴィクトリアとの辻褄合わせだけを頼んで、任務受注周りの不穏は人為的なものとしては伝えていない。
「レオも大概、夜の保護意識おかしいわよね……。いくら貴方が強くても、そう危ない目に合わせるものではないと思うんだけど。――相手が相手だし、わかるけど、さ」
そんなわけで、あくまで吸血鬼一人を討伐してきたということになっている。
それでもスノウリリーには、こうして怒られているのだが。
「でもね、リリー。ヴィクトリア様……って、女王様? にもお会いできたんだよ」
宥めついでに話題を逸らそうと、夜。
スノウリリーはその名前に覚えがあったようで、レオンハルトへの矛を納めて夜の方を向いた。
「あら、ヴァンパイアの現当主様? かなり人間に友好的な方だと聞いているし、ご自身で解決しようとされたのかしらね」
「優しくて綺麗な人だったよ」
血吸われたけど、は言わずにおいて。
「彼女が当主になってから、今回のような事件は珍しくなったって聞くわ。人間側からすればありがたいけれど、全てが全て上手くもいっていないみたいね」
スノウリリーは、ちらりとレオンハルトを見る。口元を手で隠して、考え込む様子の。
「ほむ……というと?」
「人間と対等だなんて認めない、な気質のヴァンパイアもそれなりに多いみたいで。ヴィクトリア様の力が強大だから、表立ってはいないけれど。難しいバランスみたいよ」
「なる……ほど? 詳しいんだね、リリー」
「パパが外交官だから。守秘義務のないようなことは、役に立つかもしれないし色々教えて貰ってるの。――と、そうだ」
ぽん、と手を叩いて、声色を明るくする。
「そろそろ期末試験だけど……夜、心配はある?」
「あー、ちょっとだけ。……や、やっぱり数字が出てくるもの全般不安かもしれないや」
「そんな気はしてた。良かったら、私の家で勉強会しない?」
あくまでスノウリリーの誘い方は素っ気ないものの、落ち着かないのか髪をかき上げて目を逸らして。
レオンハルトはその様子の所以が分かるようで、夜を見てふっと笑っている。
「いいの?」
勿論、こういうイベントに憧れている夜が断るはずもないのだが。
「いいよ。レオは?」
「お邪魔でないなら」
茶化したように言い、すっかり看破されている様子のレオンハルトをスノウリリーは小突く。
「……今からでいい?」
「ういうい。わくわく」
無邪気さの体現のような夜に微笑んで、周囲を確認。終業してすぐなこともあり、まだ教室内はそれなりに人が多い。
「場所、移してからにしましょうか」
スノウリリーの通学は夜達と同じく、魔法による瞬間移動。予め登録してある場所になら、それなりの魔力消費でどこからでもすぐ飛べるもの、のはずなのだが。
歩きながら、疑問が顔に出ていた夜にスノウリリーが説明してくれる。
「二人を連れていくなら、私が普通にやるんじゃ魔力が足りないから。移動結晶を使うの」
ノアによる、夜の魔法知識。指導者が規格外のため、時折認識に齟齬が発生することがある。
明らかに登録していないだろう学園の校舎棟前に、当然のように飛ばしてきていた時点で理解しておくべきだったか。
「あれ……でも、別に教室でもいいんじゃ?」
夜の質問にスノウリリーは困り顔。代わりに、とレオンハルトが答える。
「高級品なんだよね、移動結晶。学生が当たり前のように使ってると、浮くくらいには」
「そ。いくら貴族とはいえ――というか、貴族だからこそ、ね。……あんまりこれ以上、変に壁作りたくもないし」
「なーるほど……」
スノウリリーは貴族で、レオンハルトは騎士様で、かつ王族家で、夜はその妻で。当然のように思っている多くは、かなりの上流階級的感覚なのだろう。
螺旋階段を上って屋上の庭園、人もいい具合に少ない。
「じゃ、掴まってね」
見覚えのある、黄色い水晶を持ったスノウリリー。夜は空いた方の手を握り、レオンハルトも夜の手を握って。
スノウリリーが「起動」と言うとあっさり、景色は移り変わった。
切り替わって、赤い煉瓦造りの横へと広いお屋敷前。
左右に広がる花壇は多彩な花々が並び、後ろを向くと白い花の蔓が巻きついたアーチが入口のように存在している。その奥は、綺麗に整えられた生垣が遠くまで続く。
スノウリリーは扉についた白い水晶に触れて、何を言うでもなく待っている。
すぐに、「お帰りなさいませ、スノウリリーお嬢様」と落ち着いた女性の声が水晶から響いた。
「ママいる? いるなら呼んで欲しいの。レオと友達連れてきたから、って」
かしこまりました、と返答があってからしばらくして。ゆっくりと扉が開く。
扉の向こうにいた女性は赤髪ではなく亜麻色だったが、スノウリリーの母親だろう、と一目でわかった。
夜は努めて丁寧に礼をする。レオンハルトも自然な所作ながら、礼の仕方は畏まったもの。
「お噂はかねがね聞いています。クレア=リィズ=ディセイル=ローズシルトです。一度、結婚報告でもお見かけしていたんですけれど……こうして見ると、本当に可愛らしいのね」
クレアはふふっと笑う。
緊張していた夜は当時の参加者などローレリア以外覚えていないような有様で、曖昧な苦笑を返すのみしかできない。
「着替えてくるのと、部屋片づけてくるから。少し待ってて」
スノウリリーは足早に去っていく。気持ちが逸っているのか、ブレザーを脱ぎながら。
それを横目に、クレア。
「シュヴァルツフォール卿の婚約者が同じクラスに、と聞いた時はどうなることかと思いましたが。……あの子、ここしばらくは貴女の話ばかりしているんですよ?」
「リリーが、ですか?」
「ええ。随分と気に入られているよう。シュヴァルツフォール卿以外の学校の子を家に連れてきたのなんて、初めてですもの」
「リリー、ソツなく成績優秀で貴族だから。どうもみんな、自分からは話しかけ辛いみたいで。別に嫌われてたりとかじゃないけど、夜が来るまでは僕以外と話すこと、殆どなかったんじゃないかな」
「意外というか……勿体ない、ね?」
勿体ないという夜の感想に、クレアもレオンハルトも微笑む。クレアは「こういう子なら」という納得として、レオンハルトは既に知っているその安心として。
「親としては少々心配していたのだけれど、大丈夫そう。どうかこれからも、娘と仲良くしてあげてくださいね」
「あはは……こちらこそ、ですね」
下げられた頭に、もう少し下げた礼で返して。
「お待たせ。……変なこと言ってないよね、ママ?」
戻ってきたスノウリリーは、白いワンピース姿。こうして見ると本当に、お嬢様なのだと再確認する。
「あら、変なことを言われる心当たりがあるの?」
「……ないとは言えないの。それじゃ、部屋で勉強してるからね。夜、レオ、着いてきて」
「ん……しつれいします」
「また後程伺いますね」
もう一度クレアに頭を下げて、スノウリリーに続く。
ローズシルトのお屋敷を歩いていて思うのは、仕えているメイドの数が多いということ。すれ違ってお辞儀をされるのはスノウリリーにとって日常のようで、冷たくはなくとも簡素な反応を返している。
「ここ。どうぞ」
階段を上り、端の部屋。
扉を開けたスノウリリーに促され中へ入る。
部屋は持ち主らしさをよく表している、物は少なめながらに女の子らしさのあちこちに光る様相をしていた。
ふかふかだろう大きなベッドは薄桃色で、抱き枕にできそうなサイズの兎のぬいぐるみが鎮座していたり。よく整頓された机の上に、カラフルなリボンや髪留めが置かれていたり。
夜がぬいぐるみをじーっと見ていると、スノウリリーによって取り上げられた。
「……片すの忘れてたから、忘れなさい」
「道理で、前来たときにはなかったなって思った」
からかうレオンハルトにスノウリリーは抗議の視線を一つ。
そんな中で「可愛いと思うよ?」と、どちらに対してなのか曖昧な夜の言葉に空気は弛緩して。
絨毯の上に置いた丸机を囲んで三人座って、お勉強のはじまりはじまり。
「クレアさんに挨拶してくるね。さっきはちゃんと話せなかったし」
「ん、いってらっしゃい。適当に人捕まえて聞いてみて」
勉強会――というより、スノウリリーとレオンハルトに夜が教わる形の時間を過ごし、一通りの自信をつけられた頃。
陽も落ちてきて、そろそろお開きにしましょうか、と終了が告げられた。
雑談を挟みつつも、基本真剣な勉強を終えて夜は伸びをしてくたーっと後ろに倒れる。
立ち上がって出ていったレオンハルトを、そのままの姿勢で手を振り見送る。
「ふふ、お疲れ様。元々夜は真面目な子だし、少なくとも落第はなさそうね。まだ試験まで一週間ちょっとあるし、何かあったら訊いて」
「ういうい……。リリーはともかく、結構学校抜けがちなレオがほとんど完璧なのなんで……」
「レオは……アレだから」
アレ、で納得してしまう辺りがレオンハルトらしい。
笑い合った後、スノウリリーの声のトーンが一段低くなった。
「夜が来てから、レオとの関係性も結構変わったなぁ。勿論、良い方向にね?」
よいしょと起きて、スノウリリーの瞳を見据える。
「ん……前って今みたいじゃなかったの?」
夜の見ている限り、スノウリリーとレオンハルトの関係はとても自然に見えていて、変化があったようには思えない。
「大きく変わったわけじゃないけど……夜を通して、距離感は近くなってる、かな。私、レオから色々教わってたわけだけど、そのせいで差を感じることとか、あったもの」
横に立ちたくて努力していたというのに、すればするほど遠いのだと理解してしまう、そんな感覚。
そもそも同じ位置に無理に立とうとしたのが間違えだった、とは夜を見ているとよく分かる。
「今くらいの二人が、私も見てて一番心地好い……な」
「うん。私も。あとは……夜が来てからレオ、よく笑うようになったな、って思うよ」
「……いつも微笑んでる気がするけど」
首を傾げる夜に、スノウリリーはふっと笑う。
「夜はレオにとって特別なんだな、ってなるの、そこね。笑顔が増えてるのはあるけど、レオ、夜と話す時っていつも自然な笑顔をしてるの」
少し、胸の辺りがきゅうっとなる。
どうしてか、やどういうものか、までは上手く、説明できない。
「自然な……って?」
「過去が過去だから、仕方ないのかもしれないけど、さ。レオ、元々はどこか、冷たい雰囲気を纏ってて。それでも誰かと話す時は、明るくするんだけど……無理してる笑い方になってたの」
レオンハルトの空気が冷えている時、は先日の一件時を除けば、夜が知るのはもう一つ。
きっと、隠し事に関係しているだろう、あの姿の時。情報屋とも既知のようだった、黒衣の姿。
「……私、レオのこと何も知らないや」
そう言い落ち込みかける夜の頭に、スノウリリーはぽんと手を置いた。
「これから知ればいいの。急ぐことでもないし。あとは……何で知りたいのか、かしら?」
そう言われて、言葉に詰まる。
妻だから、は自分の言葉じゃない建前だ。
大切だから、はその通りだが、知りたい理由に直結しない。
「きっと。それが分かる頃には、夜はちゃんと“好き”になってるんだと思う」
ちゃんと、って何だろう、と。
今だって、と。
浮かんだ反論の言葉は、間違っている気がして。
夜はただ、小さく頷いた。
忙しくて大分間が開きました、すみません。
次もちょっとかかっちゃうかもしれませんが、ゆるゆるお待ち頂ければ幸いです。
お読み頂き感謝を。