鮮血舞うは吸血鬼。
汽車は音、振動、流れる景色と独特の雰囲気がとても心地好い乗り物だったが、長時間は身体が痛くなる。夜は覚えた。
降りて、回復をかけて全快、レオンハルトにもかけておいて。
四時間ほどかかり、すっかり陽は落ちてしまった。件の村はここから歩いて少し。
砂利道が延びる、人の手があまり加わっていないような平原だ。不気味なほどに静かで、風が吹けば草木の揺れる音がはっきり聴こえる。
怖いと感じて腕を絡めた夜を、レオンハルトは安心させるように撫でて。今度は素直に受け取って、そのまま歩き始める。
自分達の足音と、呼吸の音が嫌に大きく感じる。
警戒しているレオンハルトは言葉を発さず、夜も倣って。
たまにぎゅっと抱き着くと、安心する。それに何度か縋って歩き続けると、正面に家が見えてきた。
最近まで使っていた様子はあるが、ところどころに抉れた、妙な痕がついている。
この辺りから道は踏み慣らされていて、先を見ると暗闇の中、他にも建物がちらほらと見える。ここが村なのだろう。
しゃらん、と鞘から剣の抜かれた音。
その際鞘を押さえた指を切ってしまっているのに、夜は気づいて。
「見せて」
「……後でね」
小声でのやりとり。
血のゆっくり滴るままにした指先にも、レオンハルトがこんなミスをすることにも、夜は疑問が浮かんでいたが、今は言う通りに。
人の気配はなく、響くのは二人の足音のみ。不気味に感じてしまうのは、夜が怖がりだからだろうか。
「あれ……人……?」
前方に見えた白い影。人の気配はしなかったはずなのに、と夜は不審を感じつつ、そのまま近づくレオンハルトに同行する。
二人に気づいた白い影……白いワンピースに白の長髪、前髪は目が隠れる程の長さをした女性は、こちらを向いて佇んでいる。
「貴方が依頼者でしょうか?」
レオンハルトは剣を携えたまま、夜を後ろに控えさせて尋ねる。
「はい。お待ちしておりました」
かすれて消え入りそうな声。目元の見えない中赤い唇が横に結ばれる様は、その赤さと相まって薄気味悪く見えた。
「それで……他のヴァンパイアはどこにいるので?」
「他の……?」
「10……20……27、ってとこかな。一人で相手する数じゃないよ、これ」
女性の疑問へは答えず、その口ぶりは夜へ説明するように。
そしてレオンハルトは不意に、左の人差し指を女性の眼前に突きつける。
「吸血鬼の吸血衝動って、性欲と似るって聞くから。血の臭いだけなら我慢できるだろうけど、目の前に晒されると……どうかな」
流石普段ひたすら抑えている方は言うことが違いますね、とノアがいたなら言っただろう。
がちん、と直前まで自分の手があった空間で鳴った牙の衝突音に、レオンハルトは薄く笑う。
頭を振った一瞬、見えた女性の瞳は――真っ赤。
「どう報告しよっかな、これ。この数のヴァンパイアを一人で殲滅しました、なんて言えないぞ」
レオンハルトの言葉が真実だったと示すように、家々から次々と人影が現れる。その目は皆、赤い。
「護りながら戦う、のはちょっと厳しいから。この中にいてね、夜。制約解放、セウシラ・シルティア」
ドーム状に展開する乳白色の光。夜はその中から紅霧を纏ったレオンハルトにこくりと頷く。
「それと――不殺は無理、だから。目、閉じていてもいいからね」
「……大丈夫。見せて」
見せたくないし、見られたくもないのだろう。それでも、見なければ無くなるわけではないのだから。向き合う選択をする。
レオンハルトはゆっくり頷いて、背を向けた。
振り向きざま、既に腕を振るっていた二体の攻撃が届くより速く胴体を両断する。
感慨を示すこともなく、そのまま怯んだ近くの相手へと一閃。手元にあった斧ごと軽々と斬り伏せた。
「心配する必要なさそうだね……」
ノアの言っていた、「そもそも私やレオ様クラスで戦闘が成立する方がおかしい」という言葉の意味を理解する。
レオンハルトの攻撃は全て通り、相手の攻撃は通じない。成程、これは戦闘ではない。
弛んだ意識は、唐突に横で響いた鈍い音に驚かされることになったが。
「わぁ!?……びっくりした」
一人の吸血鬼が夜を守る乳白色のバリアを殴った音だ。全く綻びは見えることなく、そう簡単に壊せるものではないらしい。
殴った感触で伝わったのか、夜を睨む赤い眼差しはそのまま離れていった。
ばっさばっさ吸血鬼を倒していくレオンハルトに安心して、ふと後ろを見る。
およそこの場には似つかわしくない、少女がいた。
歳は十歳かそこらだろう。黒を基調に赤の混じるドレスを身に纏い、月明かりに輝く金髪。端整な顔立ちや歩き方、雰囲気から、高貴な身分だと感じられて。
少女は自分を見る夜に気づくと、にこりと微笑んだ。
何故こんなところに、という疑問は、少女を視界に収めたらしい吸血鬼が少女の方へ駆けていく光景を前にふっと消え。
自分の方が近い。間に合うはずだ。
そんな一瞬の思考があったか程度で、夜は走り出した。
レオンハルトの防護魔法にぶつかることもなく、するりと抜け。内側からは自由に出ることのできるタイプだったらしい。
かろうじて少女に辿り着き、振り返って。目の前には、今まさに命を刈り取ろうとする鋭い爪を持った腕が振られていた。
少女を護るように手を広げて、そして。
自分の名前を呼ぶレオンハルトの声が聞こえたのと同時。
かちり、と時計の音がした。
待っても襲いかかることのない痛みに、夜は瞑っていた目を開ける。
眼前で止まった爪。感じたことのないほどの、正真正銘の静寂。全てが止まった世界にいるのだと、光景から夜は理解する。
「あれ……どうなってるんだろ……? 死んじゃった、のかな」
「……あら?」
後ろからの声。声質こそ幼いものの、妙に大人びた響きをしていた。
振り返ると少女は、歳相応の顔をして質問をぶつけてきた。
「綺麗なお姉さん。もし死んじゃってたら、どうするの?」
「うーん……だとしたら、ごめんね。君のことも、助けてあげられなかったってことになっちゃうから」
「私を助けようとしたこと、後悔してる?」
紅玉の瞳を真っ直ぐに向けて、そう問う。
「ううん、後悔はしてないよ。反省はしてる。……レオにはすごく、申し訳ないけど……きっと、私は助けようとしなかった方が、後悔してたと思うから。レオも、そんな私はわかってくれる……はず」
「そっか。ああ。ああ。やっぱり人間は、すてきね。……時間を止めただけの、価値があった」
嬉しそうに笑う少女の声色は、それが本来であるかのようにあまりにも自然に、大人の話し方をしていて。
目を離していないのに、一瞬で。
少女の姿は、麗しく品のある大人の女性のものになった。
「安心しなさい、貴女の物語はまだまだ続くわ。後でまた、お話をしましょう? 話したいことが、山ほどあるの」
混乱する夜にくすりと笑い、少女だった金髪に透き通った紅い瞳の女性は夜のいた位置に割って入る。
そして指をぱちんと鳴らす。
瞬間、世界は再び動きだした。