戦闘訓練――初級編から人外級まで。
昨日のこともあり、今日はゆっくり休もうという気分で迎えた休日。
それでも起きる時間は7時で、ノアに着替えさせて貰いながら何をしようか考えていると。
「夜様。本日はできれば、夜様に戦闘を教えたく思います」
ノアから学んだことは多く、学校の授業に全く問題なくついていけるほどには一通り教わっていたが、直接的な戦闘関連は触れられなかった。
あくまで騎士の妻なのであって、必要のないことだからだろう、と夜は判断していたが。
「戦闘……体術とか剣とか、でしょうか」
「ええ。あくまで夜様がお望みになるなら、ですが」
それは、勿論。
「やりたいです」
剣を振れたら、格好いいじゃないか。
そんな単純な動機で、夜は嬉々として答えた。
「かしこまりました。それでは、場所を移します。失礼を」
ノアが夜に触れると、音もなく視界が切り替わる。魔法名すら省略するのは魔力消費が大きく効果の安定性も落ちる、と聞いているのに、ノアの行使する魔法にそんな様子は全くない。
移動した先は、落ち着いた緑色の壁と床で囲まれた部屋。集団で運動のできそうな体育館くらいの広さで、インテリア等は何も存在していない。
その中央に立っていたレオンハルトは、二人が来たことに気づき微笑を見せる。
「レオも一緒にやるんですね」
「相手役として、私より良いでしょうから。それに今日はひとまず、見学して頂こうかと思いまして」
レオンハルトは用意していた剣を一本、夜に渡す。既に鞘からは抜かれた状態のそれを持ってみて、夜の感想は。
「重っ……」
これをぶんぶん振り回すのなんて無理だろう、というほどに重かった。
「あはは。最初はそうだと思う。ましてや夜、女の子だし。武器種変えるのもアリだと思うよ」
そう言いながらレオンハルトは、自分の剣を風を斬る速度で振ってみせる。レオンハルトの剣が特別軽いということもないだろうから、これがはっきりとした差なのだと自覚する。
「夜様がどれだけ動けるかの最大値として……身体をお借りしても、宜しいでしょうか?」
「身体を借りる、ですか?」
「はい。私の意識を一時的に、夜様の身体に移します。夜様の意識もそのままですから、ご自身で動かされるのと感覚としては同じになりますね」
「わかりました。お願いします」
「それでは……失礼致します」
夜に右手で触れて、左手は下にかざし。
かざした先からノアの足元に魔法陣が展開、右手の方は白い光がすぅ、と入り込んできた。
不快ではなかったが、不思議な感覚。身体をどう意識したらどこが動かせるのか、普段無自覚なことを常に意識させられているような。
それと同時に意識を失い崩れたノアの身体は床にぶつかる前に消え、部屋のすみっこへと壁を背に眠る形で安置された。
「それでは、夜様。なるべく喋るのはお控えください。噛みます。思考がそのまま、私に伝わりますので」
自分の口から出た、自分のものではない言葉。
非常に奇妙な気分だ。
(えっと……はい。わかりました)
「身体の力も抜いていてくださいね。最初は反射で動かしてしまうかもしれませんが、辛抱くださいませ」
自分はこういう声も出せるんだな、と、声質は自分のものでも、ノアの特徴をしたそれを聞いていて思う。大人びて落ち着いた、気品のある声。
夜が重いと思った剣を再度持ち上げる。変わらず重い、が一振り、二振り。
ぶん、ぶん、と重みを感じさせる音。
振りを止めてもそのまま、重さに腕が持っていかれる。
「いけそうですね。では、レオ様。よろしくお願いします」
「合わせるのは問題ないけど、こちらからはどの程度?」
「魔法は無し。対応不可でなく、一撃で絶命するものでなければ構いませんよ。そうでなくても、全力で夜様相手に剣を振り抜くことはできないでしょうし」
「わかった。……怪我させたくないから頼むよ、ノア。そちらからどうぞ」
「勿論です。では――」
正面に剣を構えて、地を蹴った。
横薙ぎの一閃、レオンハルトは右手で持った剣で受ける。そのまま鍔迫り合い――には移行せず、重心を剣に預けて
左足での蹴り上げ。
レオンハルトは剣を持つ手を下げ、肘で防御。夜は一旦距離を取った。
次いではレオンハルトから、距離を詰めての振り下ろし。そのまま受けるのは難しいだろうと、角度をつけて刀身で受け、横へと振らせるべく逸らす。
振り切った先へ、胴への斬り上げ。体勢的に防御は厳しい筈のそれは――足払いでずらされて、空を切った。
お互いに呼吸を整えて、仕切り直し、と。
(……すごいですね)
自分のものとして行われている光景への、率直な感想。
思考で試みた会話に、同じく思考でノアが答える。
(動きとしてはそれほど、激しいものではありませんよ。如何に状況に適した判断を素早く出来、正しく実行できるか、が重要ですね)
「これくらいでいい感じ? ノア」
「ええ。見せる意味では十分かと」
(レオ様はかなり、手加減して頂いています。が、折角なので勝ちにいきますね。夜様、お叱りは後程受けますのでどうか、このまま委ねていて下さいませ)
(えーと……がんばってくださいね?)
お叱り、の意味がわからなかった夜はひとまず特等席で引き続き見物。
再開、切り出しは夜から。
低い姿勢から、足元を狙って横に払う。レオンハルトは跳躍して回避、夜の振り切りと着地が同時。
夜は右に構えた剣を左上へと斬り上げ、それに応えるようにレオンハルトも振り下ろす。
のを、手首のスナップを利かせて剣を後ろへ放り投げ拒否。
驚いたレオンハルトだがすぐに振り下ろす剣は止められず、姿勢はそのままに速度の遅くなった位か。
その懐に潜り込んで躱し、抱き着かれたような体勢で目を合わせて。
「レーオ?」
計算された角度で可愛らしく首をこてんと傾げ、黄金率を極めた天使の微笑みを携え、理性を蕩かす艶たっぷりの声色で、名前を呼び。
動きの止まったところに、身体を密着させて耳元に唇を近づけて、囁く。
「だーいすき」
語尾にハートマークの浮かんでいそうな、甘ったるい音色でそう、告げた。
魅了にかかりきったのを確認すると無表情に淡々と、レオンハルトの胸をトンと押して床に倒し、その上に跨ってマウントポジション。ついでに剣も奪い取って、宣言する。
「私の勝ちですね」
その言葉でか時間経過でか、正気に戻ったレオンハルトは当然、吼える。
「外道か!」
「これが実戦なら勝った方が正義ですから。今回はレオ様相手に特別ですが、およそ男性なら、いえ男女関わらず殆どの相手に夜様の魅了は通じるでしょうから。頭の隅には入れて置いて頂ければ。お返ししますね」
お返し? と夜が思案した言葉の意味はすぐに。
制御をノアに預けていた身体が急に自分だけのものになり、夜はそのままレオンハルトへと倒れた。ばっちり密着する形。
「わっ、と……ごめんね。って、レオ?」
なぜそのまま腕を回されているのだろう。
「なんかこう、悔しいというか申し訳ないというか、そんな気持ちが、ちょっと」
よくわからない夜だったが、レオンハルトが気にしていることは察せられたので、本心をそのままに伝えておく。
「えーっと。さっきのはノアさんの言葉だけど、私はレオのことはちゃんと、大好きだよ?」
声色こそいつもの夜なものの、密着したままに。そもそも夜の声質自体が破格の魅了なのであって。今の夜は制服によるマイナスもなく。
背中でわなわなと震えた手の意味を、夜は見ていても理解できなかっただろうが。
「……………………辛いなぁ、これ」
「なんでさ!?」
そんなやり取りをしている二人の横へノアが立つ。
「そのまま始められるというのなら止めませんが、最初はベッドの方がよろしいかと」
「しません。しませんから。それとノア、後で覚えておいてね」
「最初って?」
相変わらずのお子ちゃま美少女をどうにか解放し、レオンハルトは起き上がった。
「レオ様。よろしければ、私とのお手合わせも如何でしょう? と、夜様。今はどこも痛まずとも、念のため全身に回復をかけておきますよう。それなりの無茶を、させてしまっているでしょうから」
言われた通りに回復をかける夜は、質問回答がぼかされたことには気づかずそのまま興味を失った。
「ノアとやるの、いつぶりだっけ」
「レオ様の体調が万全な頃というと……二年は経ちますか」
「あの頃よりは今の方が強いよ。どこまで許容?」
「跡形が残るなら良いでしょう。私の方は何でも構いませんので、レオ様がご提示ください」
「なら、ノアの作った魔法は禁止で。それ以外は良識の範囲内で」
「かしこまりました。それでは、始めましょうか」
ノアは、すっ、と右手を宙にかざす。
と、手のひらから霧めいた黒色が広がり、象って凝縮。刃から持ち手まで妖しく光る、漆黒の鎌を成した。
「それ使うくらい乗り気なら、遠慮なく。夜、後でお願いね。――制約解放」
躊躇なく紅霧を纏って、前傾の中腰に剣を構える。ノアは直立のまま右手に持った鎌をぶら下げ、レオンハルトに対して身体は左を向けた状態。
これくらい下がればいいのだろうか、と夜が壁にくっついたのを二人が確認したのと同時。
「マルヴァス・ベイン、ピアズヴィスタリゼ、バインス・シルフォリア」
レオンハルトの四肢を捕えるように飛ぶ光の拘束、数多撃ち出される氷槍、それを囲むように迸る極太の光条。
「ラウスレート」
消えたレオンハルトに行き場をなくしたそれらは壁と床に激突し、直撃したらタダでは済まなかったろう派手な音を立て消滅した。
レオンハルトの行方は、と夜が探すとノアの背後に見つけたものの、とっくに振り終わっているだろうはずの振り抜きはまだノアに届く前。
スローモーションのような鈍い動きを、悠々と振り返り鎌で受け止め、ノア。
「お忘れのようですから、今回は見逃して差し上げましょう。次は遠慮なく裁断いたします」
「……詠唱省略上級3つの裏に名称破棄でもう一つ仕込むとか他にないっての」
「まともな相手との戦いに慣れすぎですね。もう少し上げていきましょうか」
鎌を払って距離を空け。
「シャンディアライズ」
ぽっかり、と。
ノアの立つ円形数十センチの空間、とついでに夜の周囲を残して、一切の足場が消えた。底は真っ暗で見えない深さだ。
突然の落下にレオンハルトは、ふっと笑ったように見えた。
「シークレード・リンク」
落下の止まったレオンハルトを見て、夜は不意に。
「きれい……」
と言葉を漏らした。
その声が届いたのかレオンハルトははにかんで、夜は小さく手を振って。
「これ展開してると、他の魔法使えないんだけど?」
「それで構わないかと。制約解放状態なら全て、躱すくらいして頂きませんと」
その背に純白の双翼を輝かせるレオンハルトは苦笑を一つ。
飛翔と呼ぶにはあまりにも速い速度で、突っ込む。
ノアが魔法名を口にする間隙もなく剣は振られ、しかしその剣閃は空を切る。
確かにそこに見えているのに素通りした、そういう感触。
レオンハルトは振り切った勢いをそのままにさらに加速、回転しての二撃目を叩き込む。
その直前、「リィア・マル」と呟き剣が白い光を纏ったのにノアの眉はぴくりと動き。
がぎぃん! と、剣と鎌のぶつかり合う音が響く。
「他の魔法は使えない、とのことでしたが?」
「いつもならね。今は解放してるから、もうちょっと余裕あるよ。嘘は言ってないでしょ?」
「人を騙すような子に育ってしまって私は悲しいです」
「こっそり非実体化なんてかけてる人の言うことじゃない。続けるよ」
二人とも楽しそうなのが見て取れて、夜は少し、嫉妬というか憧れというか、いいなぁ、と思いながら眺め。
再開は既に接近戦の距離。
超高速のレオンハルトの一閃をノアは難なく受け止め、次が来るより早くレオンハルトの四方へ紅の短剣を数十浮遊させ、襲わせる。
全て叩き落とされたのは想定済と、間髪入れずに黒杭8本の串刺し、部屋の殆どを覆い尽くす雷撃、自動追尾するナイフのばら撒き、とやったものの、それぞれに適切な対処をされたところで。
「勝負がつきませんね、これ」
「こっちは負けるつもりはないから、負けてくれるならつくよ?」
「ご冗談を。……ここまでにしておきましょうか」
「そうしておこうか。あくまでついでだしね」
ノアがぱちん、と指を鳴らすとあっさり床は元通り、ついでといった具合に損傷した壁も修復されている。
夜はおそるおそると二人の近くに歩いていって、混ざっていいのか窺う構え。
「ああ、夜。僕達のは参考にしないでね。普通、ノアの魔法受けたらまず一発で終わってるし、僕だって相手の武器ごと叩き斬るつもりでいるから」
「お互いにじゃれ合い程度に抑えてはいたものでしたが、一歩間違えれば大怪我ですからね。私は間違えませんが」
「ノアの自作魔法使われてるとこんな風にはできてないし、あくまで遊び、ではあるんだけどね」
ああ、やっぱり楽しそうだな、と。
自分には見せたことのない様子にちょっともやもやして。
「……レオ、使った分治すから」
「あ、うん。ありがとう」
生命力を削る代償の踏み倒し。
回復できるから、とは言ってもあまり使わないようにしているそれをこうして使われていることにも、ちょっと腹が立ったりしたので。
「わっ、と、夜?」
「……ばーか」
抱き着いて回復をしてやって、それなりに強くなりたいな、と小さく決意するのだった。