転生、驚愕、そして困惑。
考え事中に、話しかけられた時のように。夜の意識は急に引き戻された。
まずは二本足で立っている自分を知覚。次いで視界は、街中だろう光景を映している。
街といっても、少なくとも日本でありふれているような景色ではない。夜にその経験が薄いにしても分かるくらいには、はっきりと違う。
下は石畳に、建物は木造や煉瓦造りが多く。テレビで見るような、西洋の街中に近い。
夜が今いるのは大きく開けた通りであり、人通りはちらほら。人種に注目すると、肌の色も髪の色も目の色も様々だった。
「……すごい」
まだまだ、自分の感じている情報はずっと多い。そのことに夜は、深く感慨を抱く。
体調が万全だと、これだけ世界は綺麗に見えるのだな、と。
灰色から七色へ。夜の感覚が伝え続けてくる“世界の情報”は、普通の人にとっては当たり前のことであっても、夜にとっては極めて、新鮮なものだった。
「ん……ん。あー、あー、あー。……えっ?」
そしてようやく、注目対象が自分に向く。
元の身体でしっかりと立つ機会はそう多くなかったが、覚えている限りの視界の高さと比較すると、10センチ以上は低いだろう。150あるかないか、だろうか。
次いで自分の身体をあちこち、見回して確認する。
まず服装は、制服のようなチェックの紺色ブラウス、その下に白いシャツ、スカートは膝の隠れるくらいでブラウスと合わせた柄、黒のハイニーソックス、ローファー。
髪は艶やかな黒髪、後ろの長さは腰まで届くくらい。体つきは非常に華奢だが、スタイルは良いはず。胸の大きさ自体はそこまで大きい方ではないだろうが、小さすぎるというわけでもなさそうだ。肌は白く、つるつるの、タマゴ肌と形容できるだろうもの。
声は聞こえている分には、落ち着いた雰囲気のあるものの幼さがどこかに残るソプラノ。悪い声質ではないと思うが。
以上を以て自分であることに、不思議と違和感は覚えなかった。
たとえ、その“自分”が明らかに女性だったとしても。
「聞いてないぞ……」
自分であることへの違和感はなくとも、その自分が女性であるという現状には、少なからず困惑する。
おそらく、容貌も凄まじく良いのだろう。途方もない美少女なのだろう。だが、心の準備というものがある。
――と、そこまで自分に集中していた夜は、自分が注目されていることに気づく。
通りすがる人が夜を確認すると、足を止めてこちらを見る。その数は男女関係なく、少しずつ増えていく。
「んー……?」
自分が相当な美少女だったとしても、複数の人間が立ち止まってこちらを見てくる、というのは少々異常な光景に思えた。しかも、その視線がどこか、異質なように感じていて。
性別、外見的特徴からの人種までバラバラなのはさておき。
美しいものを見る、陶酔したような視線でありながら。近づくことは恐れている、そんな視線。そしてその中に混ざる、獲物を狙うかのような攻撃的な視線。前者は『鑑賞』されるようなものだが、後者は『値踏み』されているような。
胸に、スカートから伸びる足に、隠されているそのつけ根に。感じる視線が酷く不快だった。
「あの!」
不安ながらも、話しかけてみる。
対象は不特定、その場にいる、自分を見ている人達へ。
と、夜が声を発した瞬間。
ばっ、と一斉に後ろへ下がった。
「えー……」
避けられている、というか避けられた。
もう一度。今度は一番近くにいた金髪碧眼の男性一人へ向けて、一歩近づいて。視線が値踏みではなかった人。
「すみません」
夜が近づいても、その男性は避けなかった。が、顔色は明らかに変わった。
「あ、あ、あ、あ……」
夜の顔を見て、体に視線を移して、また顔を見て、口をぱくぱくさせて。
「えっと、ちょっとお話を」
ぎこちなく笑いかける。と。
肩を掴まれた。両肩を、両腕で。思わず、びくんと強ばってしまう。
男性は声も出さずに、また口をぱくぱくさせたまま。夜の肩を握る力は次第に強くなっており、怖くなってくる。
どうすればいいかわからずに、じっと堪えていると。
「ああああああああああああああ!」
絶叫。
既に萎縮していた体の代わり、夜はぎゅっと目を瞑る。
その絶叫の続くままに、夜の肩を掴む腕は外され、そして男性は全速力で走り去っていった。
「……………………こわ、かったぁ」
つい、そんな子供のような感想を口から漏らしてしまう。
今の出来事を経ても、いまだ多くの視線は夜を捉えたままだ。人の通る度増えていくこれは、現在の夜には奇妙を通り越して不気味に見えた。
ひとまず、人のいないところへ。
一番近くにある、煉瓦造りの建物二つの間。人の通れそうなそこに入って、路地裏へ。
奥の行き止まりまで進んで、人の来なさそうなことを確認し、壁に背中を預けてほっと息を吐いた。
「意味わかんないこと多すぎ……整理しないと」
まず、そもそもここがどこなのか、だが。
転生と言えば異世界モノだが、願いを訊かれた時点で夜にその想定は薄かった。異世界らしさはぼんやり感じるものの、果たしてそれは正しいのかどうか。現時点だと不明。ついでに言葉が通じるかも、コミュニケーションに失敗したため不明。
そして自分に対する人々の反応だが、こちらはさらに不可解だ。
ここの人達が普通ではない、という可能性もあるが。原因が自分だった場合、まともな生活は不可能になるのではないか。
「どうすればいいのかなー、これ……」
生まれ変わって早々、意味のわからないままに手詰まり。
ほとんど寝たきりだった夜に、予想外の出来事に対応できるような頭は悲しい程に少ない。
せいぜい文献知識くらいのもので、その中で役に立ちそうなものを考えてみる。
「あ、もちもの」
異世界ファンタジーなら、大体元の世界の持ち物が大きな価値を持ったりお助けアイテムになったりするものだ。
そう思って、ブラウスのポケットなり靴の中なり、あちこちを探してみる。
「何にもない……」
なかった。
きっと、自分は主人公ではないのだろう。トントン拍子に話の進む、楽な展開ではないらしい。
それでは、自分をヒロインと想定して。
物語のヒロインは、主人公と出逢うまではどうやって生きてきたのだろう。描写のされない物語の裏側。つまりは自分で考えるしかない。
「せめて、会話できる人と会えたら全然違うんだけども」
そう呟くのに呼応したように、足音がした。
夜が入ってきた路地の入口、人数は三人で全員男性。ぱっと見、あまりガラの良い方には見えない。
「……本当にいるとはな。どうする、待つか」
「必要ない」
言葉の理解できることに一安心する夜。しかし会話の内容に少々、嫌な想像がよぎる。
短いやり取りを終え近づいてくる三人、夜の後ろは行き止まりの壁。
夜との距離が無くなるにつれて、三人の様子に変化が訪れる。
冷たさのある無表情から、興奮の伺える熱っぽい目に。
「あのー……」
平和的解決はできないだろうか、と話しかけてみて。
どうやらそれが、トリガーになってしまったようで。
「きゃっ」
反射で出た自分の声の女の子らしいことに恥ずかしさを感じるような余裕は、今の夜にはない。
一人に強く押され、背にした壁に叩きつけられた。
そのまま倒れ込んでしまい、男三人を見上げる形に。ぶつけた後頭部は鈍い痛みを伝えている。
そして、倒れた夜に男は覆いかぶさってきた。つい顔を逸らす、が荒々しい相手の呼吸がはっきりと聞こえるくらいに、近い。
両肩を掴まれ、さらに顔を近づけられ。夜は必死に目を瞑る。頬に相手の鼻が当たる。これは嗅がれている、のだろうか。
勝手に嗅覚の伝える相手の臭いは、病院暮らしの夜では知るはずもなかったような、酸っぱいもの。ひどく、不快な。
ただただ怖く、どうすればいいか分からず。腕を振りほどこうとしても、夜の力は悲しいほどに弱かった。
目尻に涙が浮かんだ、その時。
「そこまで。速やかにその子を解放するように――って、聞こえてないかな」
路地の入口から、凛とした声が響いた。