セカンド。
決闘という言葉の響きは、夜にとっては物語の世界のものだ。
それはこの状況においてもそう変わらないようで、すっかり廃れた過去の風習、中世モノの物語に出るくらい、とスノウリリーは語ってくれたが。
さて、士官学校たるこの学園では戦闘技術は学生に求められることも珍しくなく、鍛錬のための訓練場も存在している。
ジュリアスの誘いに乗って、レオンハルトが来たのはその訓練場のうちの一つ。どこから聞いたのか、現役の騎士が剣を振るうと知って集まったギャラリーもちらほらと。
レオンハルトが夜に謝った意図は、察せられてはいる。それからずっと、夜と目を合わせてくれないから。
今もこうして、背中を見ることしかできなくて。
「リリー。これをやる意味って、何なの?」
まだ目尻の赤い夜が心配なのだろう、スノウリリーはレオンハルトの代わりとでも言うように、後ろから包むように夜を抱き締めている。
「まともにやってレオに敵うはずがない。不意打ちだとか、変な手段を用いたとしてもね。だから……レオが容赦するのに甘えて、立場上の有利でも作りたいんでしょう、きっと」
「しない、と思うよ」
「えっ?」
「今のレオは容赦、しないと思う」
確信しているように、ぽつりと。
自分よりもずっとレオンハルトとのつき合いの長いスノウリリーに、まるで自分の方がわかっているとでも言うように伝えるのは、決して気持ちの良いものではないだろうとわかっていながら。
「そっ、か」
それだけを口にして、スノウリリーの腕の力は少し弱くなった。
謝るのもおかしいからと、中央で対峙する二人の様子をただ見守る。
お互いに剣を一本持ち、他の武装は無し。訓練では許可されないはずの真剣を、どう手に入れたのか備えている。
「決着は?」
興味なさげにレオンハルトが訊く。鞘から抜いた自前の剣を、構えることなく右手にぶら下げている。
「負けを認めるまで、だろう?」
嫌な思惑のありそうに、口元を緩ませジュリアスが言う。
「いいよ。さっさと終わらせようか」
淡々と返し、慣れた所作で剣を構えた。仕掛けようとする持ち方ではなく、相手の動きに合わせる待ちの姿勢。
「いきなり受け身とは、詰まらない奴」
意外にも真っ当な経験者の動きで、ジュリアスは距離を詰め一閃。とは言えレオンハルトに届くことは能わず、難なく受け流す。
返しの刃を、無造作な横斬りでレオンハルトが振るう。
「……………………」
その刀身はジュリアスの腕に触れる前に、レオンハルトの意志で止められていた。
何故か、は夜にもわかる。あまりにもあからさまだ。
ジュリアスは剣で受けることのできるだろう斬撃を、わざわざ腕で受けようとしていた、と。
「どうした、止まって? 優しいんだな」
真っ当に戦うつもりはない、という宣言に等しいそれを、レオンハルトはどういう気持ちで受け取ったのか。
普段のような声のトーンをして、言う。
「ああ。そのまま戦うんじゃ不公平だね、気づかなくてごめん。差を減らすつもりにするために、そうだな。守らないから、一度で思いっきり斬ってくれていいよ」
煽るような言葉のそれはジュリアスにちゃんと効いたようで、馬鹿にしていた笑みが消えた。
「そう言うんなら、甘えさせて貰うが。まさか騎士様が嘘を言うこともないだろうしな?」
そしてジュリアスが切っ先を向けた位置に、周囲から息を呑む音がした。
「いいんだろう、レオンハルト?」
自分の右目に突きつけられた先端に、全く動ずることもない。
「さっさとやれよ。怖いのか?」
ジュリアスは舌打ちする。図星とそう遠からず、という風に。
「全く。――こうやるんだよ」
刀身を掴み――そのまま。
悲鳴が上がったのも当然だろう。夜のそれは音にならなかったし、スノウリリーは絶句している。
「何してるんだよ……おまえ……」
「お望みとあらば利き腕もつけようか?」
閉じた右目からは、涙のように血が溢れている。自らの手で深く突き刺した結果だというのに、平然として痛がる様子もない。
「いらないなら再開しようか」
レオンハルトの荒い一振りを、反射的だろう、ジュリアスは刀身で受け止めることができた。
そうして上がった腕を一瞥して、目に見えぬ速度で剣をすっと引き、斬り上げ一閃。
主に支えていたのは左手ではなかったのだろう。重心を前へと傾かせ、剣はそのまま床へと落ちた。
手首から綺麗に切断された、右手と一緒に。
「おい……おいおいおい!? なんだよ、これは!? ああくそ痛い、痛い、痛い!」
切断された右手を押さえて喚くジュリアスに、レオンハルトは呆れたように。
「斬られたなら痛いだろうさ。自分から斬られようとしてたのに、そんな当たり前のことで喚くなよ」
「腕……戻るんだよな? 元通りにくっつくんだよな!?」
落ちた右手を拾おうとするジュリアスの眼前に、レオンハルトは剣を突きつける。
「それなりの術者なら、腕をくっつけるくらいできると思うよ。喪ったものの再生、なら話が変わってくるだろうけど」
くるりと切っ先を下に向け、落とす。
まだ血の染み出ている程度で綺麗だったジュリアスの右手の甲を、突き刺した。そのまま横に払って裂き、手首の先から真っ二つになる。
「おま、え……父様に、言いつけて」
脂汗が滲み、痛みを我慢しているのは明白だ。それでもこう言えるのは、一種の矜持すら感じる。
「これから死ぬっていうのに、言いつけるも何もないと思うけど」
ゆらりと構えたレオンハルトは、その姿勢がいつでも胴体を両断できると示している。それが本気だと、怜悧な目からも伝わっているだろう。
訓練場の空気は冷えきって、叫ぶどころか言葉を発する者すらいない。二人の他には、この場にいることを後悔しているような、押し殺した僅かな呼吸音が響くのみ。
「……降参、だ」
ここに来て奸計を巡らす余裕もないだろう。本心からの敗北宣言と、誰だって理解できる。
理解して、なお。
「認めない」
「……………………は?」
一切の高揚もなく、淡々と。
「君の負けを認めない。から、続けよう」
曖昧な決着のルールを、悪用するつもりはあったのだろうが。まさかこんなことになるとは思っていなかった、そんな表情。
「まだ右手が少し斬れただけ。ほとんど無事みたいなものじゃないか。こっちだって片目が潰れてるし。ほら、やろう」
怒りから、困惑から、恐怖へ。表情の変化が感情を如実に伝えていた。
相手への恐怖のみに支配されてしまった時点で、これは、もう。
戦いでは、ない。
起き上がらずにうずくまるジュリアスに、さして何かを感じる様子もなく。
上に剣を構えて、叩き割るように振り下ろす。
――のを、視認した乱入者に止めた。
「危ないよ、夜」
やっと目が合った。
それなのに。
「……やりすぎ」
自分に向けられたことのない、冷えきった目。それが同じように自分へ向けられている事実に、どうしようもなく悲しくなる。
もう戻れないのではないか、そんな不安の過ぎってしまうほど。
「夜が実害を受けてるんだから、やりすぎることはないと思うよ」
そういえば、いつもは。
この騎士様は必ず、自分と話すときは笑ってくれていたんだな、と思った。
今は違うのがただただ、辛い。
「謝れとは言わないよ、ひどいことされたし。でも、処遇は私の意向に沿う、って言った」
「……そうだったね」
情ではない、理で通った形。普段なら、夜が「やめて」と言って通らないことなど絶対ないだろうに。
剣を鞘に納めても、まだ安心はできない。このままではきっと、壊れてしまうだろうから。
それでも放っておけなくて、後ろで床に伏すジュリアスの右手を手早く治した。驚きや感謝の反応は、今は流して。
夜の行動は、夜ならするとわかっていても気に食わなかったのだろう。レオンハルトから受ける視線がより、冷たい。
「目、治すから。ちょっとしゃがんで」
拒否はされなかったことに、少しだけ安心して。そのまま治療を終え、無機質な「ありがとう」を受け取った。
このままでは、駄目だ。
どうすれば良いのだろう?
自分にこの場を解決できるような手段は果たして、存在しているだろうか?
いつかの記憶。必死になって自分の我が儘を通そうとした時の記憶。そう昔ではない、はじまりの記憶。
ふざけた手段だ、と思う。でも、真面目に考えたってこれで良いのではないかとも。
もしもこのまま気持ちが離れてしまうのなら、せめて最後に受け取って欲しい――なんて、後ろ向きなことは考えないで。
「レオ、もう一回ちょっとだけしゃがんで。あと目瞑って。私、怒ったから引っぱたくから」
「……それで気が済むならどうぞ」
断る理由もないのだろう、言われた通りにしてくれる。
夜はレオンハルトの頬に手を添えてじーっと見つめて、覚悟を決めて。
どうか呪いの解けますように、と口づけをした。
夜も目は閉じていた、がレオンハルトは目を開いた気配がする。
そして、刺すような冷たさは消え、いつもの温かさが戻ったようにも。
時間としてはそう長くなかっただろう。唇を離して、惚けて蕩けて自分を見る、いつもの様子に満足をしつつ、あくまで怒りのポーズは取りつつ。
「お前は私のものとは言わないけど、私はお前のものだから。捨てられない限り一緒にいる。だから余計な心配とか、するな」
「……ごめん」
場内の空気を確認する。
人前で公然とキスをする夜、そちらに意識を取られてわーきゃー状態。
「先、教室戻ってるから」
ぷんすかのままそう言い捨てて、夜はその場を去った。
「夜」
教室に戻って、程なく戻ってきたスノウリリーに話しかけられる。
「なに」
「私、それなりに夜のこと理解できてる自信はあるの。それで、さっきのキスの意味なんだけど」
「……なにさ」
そう口に出されると恥ずかしいのと、意図を理解されていても恥ずかしいのと。
二重の恥ずかしさを前に身構える。
「あれ、レオを悪者にしたくなかったんでしょ?」
「……………………リリー、ちょっとだけ抱き着いていい?」
「いいよ。泣け泣け」
ふふんと笑ったスノウリリーの胸に抱かれて、言われた通りにわんわん泣く。
「だってさ……レオ本当に怖いし、でもみんなにそれがレオなんだって思われるのやだし、でももうみんな見ちゃってるし……それでやっと言葉が届いたはずなのに、全然私のこと見てくれないしさ……」
「よしよし。よしよし。いいこいいこ」
この子供扱いにも全く異は唱えない。
実際のところ子供で、今はそもそもそういう気分。
「それで、空気壊せてこっち見てくれそうなのってさ……ね? おかしくないよね? そうだよね?」
「断言はできないけど間違ってないよ。よしよし。……私からも、お礼言いたいくらいだもの」
「ん……。ありがと、ちょっとすっきりした……」
顔を上げて、スノウリリーに涙ぐんだ顔で微笑む。
「それなら何より。今日の放課後、街の方ぶらぶらしない? レオがどうなるかわからないけど」
「したい……。レオには無理言ってでも絶対行くもん……」
ついつい子供扱いしてしまうこの友人の頭を撫で。
あの回復能力を人目に晒してしまったのは問題だったのではないか、と実際に見て思ったことは、少なくとも本人には言わないでおいた。