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純粋と不純の片想い。

 夜が学生を始めて一週間ほど経ち、大分生活にも順応してきた。


 先日の休憩時間にあった出来事が知られているのかスノウリリーが何か言っておいたのか、夜に敵意を持つ女子は未だに存在していても、あれ以来直接何かをしてくることはなかった。


 少しずつクラスメイトとも会話するようになって、最初はつきっきりだったレオンハルトも、ぼちぼち目を離し始めた頃。


「それじゃ、また後で……。迎えに来てね」


「ん。行ってらっしゃい」


 授業終了後、手早く荷物を纏めてレオンハルトに一言断り、そのまま教室を出る。

 ここ数日は同じ行動なため、レオンハルトもわかっている。教室を出たらそのまま右へ行って、螺旋階段を降りて真っ直ぐ、校舎棟を出る。

 途中で声をかけられた何名かには、きっちりと挨拶をして。


 円形の中央広場から右へ続く石畳の道を行くと、その先には半円状の大きな建物が立っている。


 中へと足を踏み入れればすぐに、広大な空間にぎっしりと並ぶ本棚が目に入った。


 ヴァーレスト王立士官学校付属図書館。


 階数は三階だが横にかなり広く、開架式で蔵書数は五百万を超えるのだとか。

 机と椅子はそれぞれの階に複数あって、自習スペースも設置されているよう。貸出カウンターは一階に。


 夜の目当ては三階なのでそのまま入った横にある階段を上ればいいのだが、貸出カウンターを少し覗いてみる。

 そうすると、クラスメイトの男の子がいたので微笑んで手を振る。


 何度か訪れているうちに図書委員なことを知って、いつも閉館直前までいる夜は最後の方に少し話したりしていて。


 自分への視線がやや熱っぽかったり、会話中身体に視線が一瞬移ったりするのは、男子だとそう珍しいものでもないと辟易しつつも流している。


 さて、と三階に上がって、お目当てのコーナーへ、人目を気にしつつ入っていく。

 と言っても自ずと注目される夜は、自分がどんな本を読んでいるのか知られているのだろうと諦めているが。


「……そういう趣味じゃ、ないんだけどね」


 図書館ではお静かに、小さく小さく独り言。


 棚から取った一冊を、その場で立ったまま読み始める。


 絵がとても多くて、文字は大きくて、文章は簡単。


 すなわち――子供向けの絵本である。


 そういう趣味では、ない。

 至って真面目な理由だ。


 夜はこの世界の常識をあまりにも、知らなすぎたため。

 時間については屋敷で過ごしているうちに、同じ区切りで同じ使い方をしているとわかったものの。


 曜日、月、年の数え方から日数から、 本来意識するまでもなく知っているようなことを夜は全く、知らなかったのである。


 そういうことを知るために、児童書が最適だった、というだけのこと。


 おおよそ把握して、今日で子供向けコーナーともお別れ、明日からは好きな本を読みたいな、と思っているところ。


 大方の仕組みが同じで祝日もいくつか見知ったものがあったのに夜は、「どちらかの文化をもう片方に持ち込んでいるのではないか」という推測をしているが、今は置いておき。


 なおレオンハルトには図書館に行っていることは伝えてあるものの、児童書を読んでいることはその理由は勿論恥ずかしさの観点からも、伝えられていない。


 本を読むことそれ自体が好きな夜はあっという間に、長い時間を誰も人がいなくなったことにも気づかず過ごした。




 三階を訪れた人影は、足音を立てないよう、彼女のいるだろう区画へと近づいていく。


 そしてすぐ、思った通りの場所に少女はいた。


 艶やかにして可憐、花などと比べては失礼なほどに美しく、切なさに悶えて心が張り裂けそうなほどに可愛らしい。

 口を開けば脳を蕩かし至上の悦びを与えてくれる天使の声が流れ、その微笑みには一切の邪気なく見る者を虜にして離さない。

 仕草の一つ一つが芸術性を備え、今まさにページを捲る、その姿ですら舞のように映る。


 同じ人間とは到底思えない、奇跡を以て奇跡を造ったような、少女。


 神聖さすら感じる彼女に欲情してしまう自分は。


 罪深いのだろう。許されないのだろう。


 分かっていながら、止めることなど到底叶わず。


 一歩、二歩、近づいたところで少女はこちらを向いた。


「あ……ごめん、もう閉館の時間かな?」


 そう言い、持っていた本を閉じて背中に隠す。見られたくないのだろうが、無駄ともわかっているのだろう。あはは、と照れ笑いをしてみせる。

 それがどれだけ相手の理性を揺さぶるかなど、全く知らない様子で。


 人の悪意というものを知らないのか、ひどく無警戒だ。反応のない自分に対して、きょとんとした顔をしている。


「……どこか調子悪いの?」


 と、一歩近づいてきた。

 香水とも違う、清楚ながらも魔性の効果を持つ、色香の届く距離。


 我慢のできる筈もなく、今日は元よりそういうつもりだった。


 隠し持っていた簡易魔法の術式札を少女の眼前にかざし、展開する。


「……ごめんなさい」


 あっさりと意識を手放したその身体を倒れる前にそっと抱いた。




 スノウリリーは足早に、図書館へと向かっていた。


 つい先程。


 突然任務を下されたらしいレオンハルトに、「お願い」されたのだ。


「図書館にいるだろう夜に、自分が仕事の入ったこと、一人で帰ってと伝えてほしい」と。


 緊急だったようで、あの広い図書館を探すのは時間が足りなかったよう。そう告げた後、すぐに姿を消してしまった。


 恋敵に対しての想い人からのお願いを、複雑な気持ちで受けた今、「とっとと終わらせよう」とだけ考えて、図書館へと辿り着いた。


「……閉まってる」


 閉館時間にはまだ、少し早い。早めに閉める許容範囲ではあるだろうが、今までに閉館時間前に図書館の閉められたことは、なかったはずだ。


 何気無しに、扉を押してみる。

 開かない。


 が、その閉じ方に違和感があった。


 この学校の図書館には、それなりに貴重な本がある。それゆえ、施錠は最上位の魔法によってかけられる。魔力を注げば権限を与えられた図書委員なら誰でも施錠できるようにはなっているが、記録が残り承認制だったはずだ。


 しかし今かかっている鍵は、それほど強くはないようだった。強力な魔法に感じる圧がない。


「――ヴァストル」


 扉に触れて、解錠でもなくただ魔法を消すだけの魔法をかける。それなりの施錠なら、跳ね除けられる。


 しかし、扉はあっさり開くようになった。周囲には人もいない、そのまま中へと入る。


 中は明かりが消えていて、人気はない。カウンターにも図書委員は不在。


 これでもそれなりに感覚には自信がある方。同じフロアなら人がいるかどうか、およそ気配を感じ取れる。


 一階はない、二階も同じく、そして三階――いた。


 一人分の気配を感じ取って、音を立てないようそっと近づいていく。


 近づくにつれて、この空間にはよく響く、誰かの荒い息遣いが聞こえてくる。


 この本棚の裏、横から覗けば見える位置。

 本棚の端を背にして、様子を窺う――と。


 床に両足をつけて、何かに覆いかぶさっている男子生徒。背格好に見覚えがある、確かクラスの図書委員だ。


 どうも何かに夢中な様子なので、本棚に挟まれたその空間へと踏み込んでいく。


 そして知る。

 倒れている女子生徒の制服を脱がそうと、悪戦苦闘している最中なのだと。


「本当、下らない」


 その声に振り返った男子生徒の顎を、スノウリリーは正確に蹴り飛ばした。




「……………………あれ?」


「起きた? なら結構。状況理解しているならもっと良いけど」


 いつの間にか意識を失っていた夜は、図書館の床で目を覚ました。横で座っていたスノウリリーに首を傾げる。


「確か図書館の閉館時間になって、図書委員の子が呼びに来てくれて……あれ?」


 近くにその男子生徒も倒れていて、夜はますますわからなくなる。うつ伏せでは苦しそうだ。


 スノウリリーは大きく嘆息をして、淡々と告げる。


「貴女、そこの彼に襲われてたの。幸い未遂で済んでるみたいだけど、あちこち触られてはいるかもね」


「ああ……そっか。だからごめんなさい、だったんだ」


 意識を失う直前のぼんやりとした記憶に納得して、悲しそうに呟く。


「どうしてスノウリリーさんはここに?」


「レオに頼まれたの。急に仕事入ったから、一人で帰っておいてって伝言」


 レオンハルトならありそうだ、と得心して、次の疑問が浮かぶ。


「……スノウリリーさんが助けてくれたんですか?」


 別に感謝されることではない、と釘を刺すように、スノウリリーは素っ気なく返す。


「そ。……レオに報告しておくよ」

「駄目です」


 夜の言葉に、スノウリリーは冷えた目をする。


「理由は? まさか許してあげたい、とかじゃないよね?」


「……それもあります、けど。レオが知ったら絶対、レオはその人を憎むから」


「……だから?」


「人を憎むのってすっごく、汚い心の動きだから。嫌いなんです、私。それをレオにして欲しくないだけ」


 スノウリリーは表情を変えずに、夜を見つめる。


「素敵な綺麗事を言うのね、貴女。そんなに綺麗でいて、疲れない?」


「いいえ。本当はそんなに綺麗なんかじゃないですよ、私。でも」


 夜はスノウリリーの目をじっと見て、言う。


「みんなが私を綺麗って言ってくれる。なら、なるべく心も綺麗でいたいな、って。それだけなんです」


 そう言って薄く笑う夜を、スノウリリーは見つめ続ける。


 外されない視線に、夜が不安になってきた頃。


 スノウリリーは顔を両手で覆って、特大の溜め息を吐いた。


「わかってたけど嫌いになれないわ、私」


 どういうことだろう、と困り顔の夜を、スノウリリーは怒ったような目つきで睨む。


「嫌いになるつもりだったの。でもやっぱりなれないなってわかっちゃったの。ううん、レオが好きになるような子なんだから、嫌いになんてなれるわけないって本当は最初から、わかってたの」


「えーと……?」


「だから、その……」


 スノウリリーは目を逸らして、拗ねたように小さな声で。


「私と友達に、なって」


「……いいんですか?」


 夜は目をきらきらさせて答える。


「貴女が良いならね。敬語はやめて。あと、名前呼びづらいなら適当に略していいよ」


 友達。元々は勿論おらず、そしてこの世界に来てもまだ、レオンハルトは旦那様でありノアはメイドさんであり、いまだに夜とは無縁の存在だったもの。


 夜は感動して、抱き着く――のは、相手が女性だったため踏みとどまった。


「うん。うん。……うん。よろしくね、よろしくね、よろしくね! えーと……リリー、でいいのかな」


「いいよ。私も夜って呼ぶから。あと……もう一個だけお願い、いいかな」


 照れたような顔をして夜を見るスノウリリーに、高揚している夜はノーウェイトで「いいよ」と返す。


 と、抱き着かれた。


 ぎゅむぎゅむと。なでなでと。もふもふと。


「さっきからこうしたくって堪らなくて堪らなくて、ああ、女の子でもこんななのね、すごい、すっごい!」


「わ、わ、わわ、ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと!?」


 レオンハルトにされた時以上の赤面をする夜は、スノウリリーが満足ゆくまで堪能してからようやく解放されたのだった。


 そして一応、真面目モードのスノウリリー。


「――で。レオに言わないのは構わないけど、こいつ起きたらどうするの? 隠し通せるとは思わないし」


「うん……リリー、記憶消したりとかってできるかな……?」


 スノウリリーは苦笑を返す。「できない?」と訊くと「できるけどさ」とまた苦笑される。


「夜、できちゃう私が言っても説得力ないし、レオと一緒にいると余計感覚狂うだろうけど……。魔法ってそんなに万能なものじゃないからね?」


「……そうなの?」


「そうよ。普通、魔法って自分の適性属性を知って、その中で使える魔法をなるべく増やしていく、のが精一杯。自分のやりたいことを全部魔法で叶える、なんてのはごくごく一部の天才だけができること」


 自分の魔法の先生はそのごくごく一部なようだ、とは言わないでおいた。


「私は本来火と水の適性だけど、役に立ちそうな無属性魔法もいくつか使えるようにしてるだけ。……これだって結構大変なんだからね。いいよ、とりあえず直近の記憶は消しておくから」


 そう言ってスノウリリーはうつ伏せの男子生徒の頭に手をかざすと、詠唱の後手から灰色の光を照らして処置を開始した。


 処置を続けながら、スノウリリー。


「夜の感覚がズレてる要因として一つ推測があるんだけど……答えられないなら、答えなくていいからね」


 夜が全員に自己紹介している情報は、教育を長らく受けられていなかったことや元々身体の弱かったこと等、レオンハルトに話していることから調整しつつ伝えてある。

 この感覚のズレはおそらくレオンハルトにも話せていない転生故のものなので、絶対答えられない話になってしまうのだが。


 しかしスノウリリーの推測は、少々気色が異なった。


「レオ、もうずっと調子悪いみたいだったんだよ。一ヶ月くらい前まで。本人は隠してたし、それでも強かったから問題にはなってなかったんだけど。私が届きそうって錯覚するくらいには、弱ってたはずなの」


 レオンハルトの制約による生命力の消費。夜がそれを回復したのがおよそ、一ヶ月ほど前になる。


「でも、今のレオはあの通り、やっぱり私じゃ届かないって確信させられる、私の知ってるレオなんだ。……夜が関わってる、よね?」


 記憶の調整が終わったようで、スノウリリーは男子生徒から手を離した。

 夜はしばらく考えて、頷く。


「えっと、ね。……死にそうな人とかいるかな」


 自分の能力証明には、死の淵に立った人間が必要。そう気づいて何とも言えない顔をして言う。


「うん? そんなぱっと用意はできないんじゃないかな……」


「だよね……。えーっと。多分それなりに特殊な、回復が使えるんだ。だから、そのせい。……結婚も、ね」


「そっか」


 あまりにもあっさりとした納得に、夜は少々面食らった。


「なるほどね。それでも、夜の容姿とその回復能力があったとしても。レオがそれだけで夜を選ぶことは絶対にないし、夜だから選んだんだ、っていうのは、確信を持って言えるよ」


「……うん。ありがとう」


「夜は自分の容姿のこと、結婚の負い目に感じてるみたいだから。ちゃんと夜を見て選ばれたんだって、自信持ちなさい。そうじゃなきゃ、打ち負かされたやつらが浮かばれないんだぞ」


 そう言って笑うスノウリリーの瞳は潤んでいて、我慢しているのがよくわかって。

 ひどく綺麗なこの友人に謝罪は失礼で、夜はただ感謝を述べることしかできなかった。

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