スクールライフ、一日目。
レオンハルトの登校は、昨日の夜と同じく転移によってなされる。
転移位置は昨日と少し違い、石造りの立派な門の前。移動先に人がいるかどうかの心配は、出現がわかるように仕様を変えているから大丈夫だ、という。
その意味は夜が校門を跨いで振り返ってから、地面から円形に昇る光が瞬いて数秒後に生徒が現れたことでなんとなく理解をした。
それにしても。
「……新鮮。すごく新鮮」
夜への視線は変わらず釘付けだ。だが、その全員が一切の動きを停止していたりはしない。
歩きながら、生徒同士話しながら、夜に視線は向けられる。
「正直、僕も。かえって慣れないくらい」
隣にいるレオンハルトは、手を握ったうえでも目を見てちゃんと話してくれる。その変化は嬉しい。勿論、今は手を握ってはいない。
「これって普通、でいいんだよね?」
一つ嫌なことを挙げるなら、視線の位置の変化。元々集中していた、顔に対する視線はこの際良い。
しかし今はその視線が、胸から腰、お尻へ下って腿、脚と、全体を舐め回すように移動していく。
いくら夜が疎くても男性の視線が自分の身体の特定部位に集まるのはなんとなく理解していて、少し目がいくくらいならそう気にはしないのだが。
「普通って言うと違うと思うかな……。異常ではないだけで特別、って言うか」
「んー……慣れるのかな、多分」
自分達をまじまじと眺める者は多くとも、話しかけようとは誰もしてこない。
そのまま校舎へ入り、螺旋階段をフロア二階分上って、二つ目の教室に入る。
着席の刻限まではまだ随分時間のある教室内は、生徒の数も数名程。夜が加入することは知らされていただろうが、教室へ現れた夜の姿に皆目を丸くして驚いた顔をする。
「おはようございます」
自分へ視線の集中ついで、努めて楚々に挨拶をする。
返ってくる声は不安定だ。発音なり音量なり。それに一人一人会釈を返して、レオンハルトに案内され自分の席へつく。
学校だ、と夜は深い感慨を覚えた。
日本のそれとは大きく違うだろうが、教室があって、椅子と机があって、クラスメイトがいて。
ずっと憧れていたものが、確かにあった。
「嬉しそう、だね?」
「……うん。嬉しいよ、とっても。本来、叶うはずのない夢だったから」
夜の言葉の意味を、今深く考えることはしない。言葉に乗った感情を受け止めるのみ。
「ありがとね、レオ。出逢ってくれて、見つけてくれて」
「……それはお互い様だよ、夜」
救われているのは自分の方だ、という顔をするレオンハルトに、どこか不安を感じて。
「そういうことにしておいてやろう」
と茶化してみて、曖昧な空気を崩した。
もう一度改めて自己紹介をして、ひとまず受け入れられて、そのまま授業を受ける。
朝と似た、自分に向けられる視線は授業中にも感じている。
敵意を伴っているような、別種の視線も一緒に。
それらと明確に異なる、全く不快ではない感覚が一つ。ちらりと向いて、目が合って。
何を考えて見つめていたのかはきっと、自分が心配なのだろうと夜は思ったが。それが起因ではあったものの、見惚れていたレオンハルトは交差した視線に顔を赤くした。
夜は小さく手を振って、微笑む。
「ミセス・シュヴァルツフォール。魔素を用いた魔法生成の、長所と短所の説明を」
と、教壇に立っていた女性教師から当てられる。注意を兼ねてでのものではなさそうで、答えもすぐに思いついた。夜はそのまま答える。
「はい。ええと……。長所は、魔法の純度が高いこと、必要な魔力は普通に唱えるより少なくなること、詠唱の登録されていない魔法でも創り出せること。短所は、編むのに時間がかかって咄嗟の使用はできないこと、編む魔法の構成知識が必要なこと……でしょうか」
すらすらと答えた夜に、周囲から「おー」と歓声が静かに上がる。教師もその回答に満足したようで、笑みを浮かべている。
「文句のない説明です。詠唱の登録されていない魔法を作り出せる、は教科書には記されていませんが、その通りです。良い先生についていたようですね」
ノアが良い先生か、と言うなら間違いなくそうだ。魔法については勿論、それ以外の学校で習いそうなものは全て、広大な範囲を僅かな時間でしっかりと教えてくれた。
現に今日夜が受けた授業において、夜が分からなかったことは一つとしてなかった。
真面目に授業を受けて、何度目かの休憩時間。
今日はまだ、ちらちらと話しかけたそうにしているクラスメイトは男女問わずいる様子はあっても、実際に話しかけてくることはない。
夜の方も、毎度話しかける度に極端な反応をされていた経験故に自分から話しかけるのは尻込みしてしまって、レオンハルトと話したり教科書に目を通したりして過ごしていた。
座りっぱなしで身体が硬い、と立ち上がって、息抜きがてら教室の外へ出る。心配してついて来ようとするレオンハルトには、「大丈夫」と言っておいて。
廊下に出て、両腕を頭の上にぐいーと伸ばす。ちらほらといる周囲の生徒達は、皆夜を見ているが。注目されるのはある程度以上、慣れてしまっている。
「ねぇ、あなた」
話しかけられて、少しの緊張とともにそちらを向く。
クラスメイトの女子生徒だ。名前はまだ覚えていなくて、ふわふわした長めの金髪に緑色の目をしてそこそこ可愛いとは思う。
その後ろにもう二人、同じくクラスメイトの女子生徒もいるようで、こちらを見ている。
その二人から感じる視線はどちらかと言うと好意的だが、今話しかけられている金髪の子から受ける印象は。
授業中にいくつか感じていた、敵意を含んだもの。
「なんでしょう?」
努めて無警戒に返すと、夜の声に一瞬相手の敵意は薄れた様子。が、思い返したようにすぐ戻る。
「……どういうつもりよ」
首を傾げる。その行動が少女の苛立ちに繋がったことは、表情からよくわかった。
「いきなり現れて、婚約者だ、なんて。……そんなの認められるわけないじゃない」
ああ、と。
いくら疎い夜でも、察する。
贔屓目無し、男性目線か女性目線か曖昧な夜の視点で見て、レオンハルトは格好良いから。
彼を好きな子の一人や二人や三人や四人……もしかしたら軽く二桁か。いるだろう。
この少女もそのうちの一人、ということで。
「ごめんなさい。……でも、私はレオの妻として、ここにいるんです」
この言葉は少女を完全に怒らせたようで、制服の襟を掴まれる。
「ちょっと可愛いからって……!」
「ちょっと?」
「ちょっとは無茶があるでしょ」
そう突っ込んだのは後ろ二人。
水を差す言葉だが納得してしまったようで、言い直す。
「滅茶苦茶可愛いからって、調子に乗ってるんじゃ……!」
「滅茶苦茶可愛いなら調子くらい乗るでしょ」
「リアだって調子乗ってるのに」
またも後ろ二人から突っ込みが入る。
リアと呼ばれた少女は夜の襟を掴んだまま振り向いて、「どっちの味方よ!」と吼えた。
「……だって、さぁ。その子に手出すの、やばいよ?」
「うん。……やめよ?」
制止されて、かえって止めるに止められなくなってしまったらしい。
「うるさい!」
ともう片方の手を上げる。
叩く動作だと予感した夜は、目を瞑る。
ぱしん、と響いた渇いた音は、夜が叩かれた音ではなかった。
「やめなさい。自分の色恋に巻き込んで一族全員皆殺しにするつもり?」
夜が目を開けると、振り下ろされた手を受け止めた赤い髪の背中があった。
「スノウリリー……。なんでよ。あなたの方が、ずっと」
「この子を傷つけたらレオは貴女を許さないだろうし、貴女だってそんなこと、したいわけじゃないでしょ。ほら、戻りなさい」
スノウリリーに諭された少女は俯くと、背を向けて去っていった。後ろの二人は夜とスノウリリー、双方に頭を下げつつ教室に戻っていく。
「……ありがとうございます」
夜がそう声をかけても、スノウリリーは背を向けたままだ。
「別に、感謝されることじゃないよ。……私だって、貴女を気持ちよく受け入れられてるわけじゃないから」
「……それなら、放っておけば良かったんじゃ?」
沈黙。
夜が何かを言おうとする前、休み時間の終わりを告げる鐘の音が響いた。
「私はただ、自分が嫌いになるような自分ではいたくないだけ」
教室へと歩くスノウリリーの後ろを、ついて行って良いのか分からず立ち尽くす。
教室に入る前、振り返ってスノウリリーは言う。
「あの子、本当はそんなに悪い子じゃないから。そう嫌わないであげて」
そう言う彼女の表情は、燃えるような髪に反して冷たかった。