城とドレスと、お姫様。
自分の身体に慣れた今でもつい困惑してしまうような、綺麗なドレスを纏い。
間違いなく高級だろうレオンハルトの屋敷よりも、さらに格式の高そうな内装の部屋の、これまた値の張りそうなひろびろふかふかベッドに腰掛けて、夜は一人でぼーっとしていた。
やることがない。
部屋から出るなと言われているし、出てはいけないのはよくわかっているので。
窓から外を眺めてみると、下には噴水を中心に花々の咲き乱れる広々とした中庭が、月(だと思っている)明かりに照らされ楚々とした美しさを放っている。
その中庭を囲むようにそびえ立つ白い煉瓦造りは、優美でありながら堅牢と感じさせる圧を感じ。
「……お城探索したかったなぁ」
編み込みを留めた大きな白い花の髪飾りに触れつつ、呟く。
と、いうわけで。
現在地、ヴァーレスト城である。
「披露宴?」
夜が倒れた次の日。
今度の休日は予定を空けられそうだ、とレオンハルトがノアに伝えると、そんな言葉が飛び出した。
「ええ。ただの騎士ならさておき、シュヴァルツフォール現当主かつ稀代の天才騎士が書類上で済ませておしまい、という訳にはいかないでしょうから。知れ渡って良い顔をされないよりは、自分からする方がよろしいかと」
確かに、結婚報告も無しに事実だけの広まった場合、後々に間違いなく角は立つだろう。一介の騎士と言えない身分が、今回ばかりはもどかしい。
「……夜も参加しないと駄目だよね」
「はい。ただ、夜様は一瞬の、本当に一瞬の顔見せで構わないと思います。招待者も、ある程度上の方々に絞りますし。そのため、披露宴と言うよりは婚約報告会、のようなものになるかもしれませんが。不安でしたら、その際には横で剣を抜いていても良いでしょう」
「そんなことしたら角が立つどころの話じゃないと思うんだけど……あ、もしかして、もう?」
首肯したノアは、虚空から取り出した巻物を開いて見せる。
「無事、SSS級保護対象者認定です。ナチュラルチャームのみを理由に。私が手を加える必要もなく、あっさりと」
「SSSって前例あったっけ……」
「確か、二人。一人は魔導結晶の発明者だったかと。ともかく、これでおおよその大義名分はつきました」
ノアの手元にあるものは“保護対象者認定証”と言われるもので、特定個人を法の範囲を越えた庇護に置きたい場合に、原則申告制で与えられるもの。
最低Cから最高SSSまで、ほぼ全世界共通で通用し、SSSともなると「対象者に害を為す・為さんとする者の手段を問わない排除」「害を為した者の三親等までの死刑」等、まさしく法外な待遇が許されている。
なお認定を貰うために連れていかれた夜からすると、「よくわからないまま驚かれて終わったけど茶髪で眼鏡かけたノアさんがそれでいいって言うからいいのかなって思った」と、何をしたのかもまともに分かっていない。
「……わかった。で、具体的にどうすればいいの?」
「手筈は整えておきますので。連絡のあった際に上手くやって予定を立ててください」
そんなこんなで。
普段世話になっているのとは別の事務官から話があり、随分と簡単に段取りの決まって、日時は希望通りに。会場はシュヴァルツフォールの屋敷を使うわけにもいかず、必然ヴァーレスト城に。
夜の服装は本来担当がいるのだろうが、事情を説明し断り、ノアに任せて。自身の服装は、騎士正装を多少崩して。紋章つきのマントを羽織っておけばひとまず、家由来で王族に文句を言われることはないだろう。
家に継がれてきた儀礼刀のサーベルを差し、鏡で一応おかしなところのないか確認。ノアによる最終確認もあるから大丈夫だろう、と思いつつ。
屋敷の出口扉前に降りると、ノアの横、既に用意を済ませた夜がいた。
式がないために、花嫁イメージを持たせる意図だろうか。夜の服装は白いドレス。フリルは多め、胸には純白の薔薇が咲き、肩は露出している。
髪を纏める白いコサージュは黒檀の髪にあってよく映え、覗くうなじが妙に艶かしい。
見蕩れて惚けてしまったレオンハルトに気づいて、落ち着かない様子の夜は素っ気なく言う。
「……そんなにまじまじと見るなって」
「それは酷と言うものでしょう。さて理性は無事でしょうかレオ様、一言どうぞ?」
レオンハルトの視界を遮るようにノアは立って、はっとしたのを確認すると夜の横に戻り。
「すごく綺麗……です」
あまり直視し続けるのは難しいほど、とその後の態度で示し。
一緒にいる時間を努めて増やすようになって、多少耐性はついてきたが。それでも抑え込むのは受動的な激痛でなく能動的な理性によるので、常にいっぱいいっぱいである。
「……ありがと。――もう出発するの?」
気恥ずかしさを行動を急かすことで誤魔化して、褒め忘れたレオンハルトの格好については、後程何か言う言葉を考えておくと決めて。
「ん。少し早いけど、不都合はないかな。会場外出歩く……のはおすすめできないけどね」
わかってはいたが、行動の自由は少ないらしい。むくれるわけにもいかないので、小さく頷いておく。
「それではこちら、失礼を」
そう言いノアは夜を髪の崩れないようそっと、白い薄布で覆う。ぱっと見は顔のない、ハロウィンのお化け仮装の様相だ。
生地は薄いものの外からは真っ白で透けず、内側からは肉眼と変わらない視界が開けている。
「本当にできてるんだね、諸々完全遮断」
「おばけだぞー。って、これは?」
「夜様のナチュラルチャーム、殆どを遮断する効果があります。勿論声は不可能ですが」
「なるほど……? レオ、ハグだ」
「ハグ? って夜、ちょっと、ちょっと」
布越しかつ鎧越しに抱きついてみる。硬い。
「一応大丈夫だけど、ドキっとはする……」
鎧のなければ即死だったろうが。
「うーむ……手繋ぐくらいなら平気なのかな」
差し出してみて、握られて。問題なさそうなので、そのままに。
「近日、完成品をお渡ししますので。今回の使用感をご報告頂ければ。レオ様も」
「わかりました」
「ん。一応出歩かせてもいいのかな。見た目はさておき」
「レオ様が横にいらっしゃるのなら構わないかと。お一人では、捲られた場合が怖いのでやめるべきですね」
「了解。じゃ、行ってきます」
「いってきます、ノアさん」
繋いでいない方の手を振り、屋敷から出る扉を開けるレオンハルトの横を歩く。
「いってらっしゃいませ」
礼をするノアに見送られながら、レオンハルトは手のひらの黄色い水晶に「起動」と声をかける。
瞬間景色は一変し、豪奢な内装の、大きなホールのような空間へと移り変わった。
高い天井にはシャンデリアが並び、壁は高級感のある焦げ茶色の木製、床には赤いカーペットが敷かれ。その上には真っ白なクロスのテーブルが幾つも置かれている。
夜のイメージするパーティー会場と、相違ない光景だった。
「到着。会場はここだね。ヴァーレスト城二階の小広間を借りてる」
「わー……うん? 小?」
「うん。大広間、中広間は持て余すから、小広間。一応言っておくと、大広間は余程大きな国際催事クラスでしか使わない感じ」
「なーるほど。……これで小なんだね。あ、一旦これ取っていいかな?」
これ、とは布のこと。折角のこんな場所、相応の格好でいたいと感じてしまって。
「……どうぞ」
心の準備をして、許可を出すレオンハルト。
よいしょっと布を脱いで、おめかしした夜は再び登場。こちらを見てくれないレオンハルトをいじめる趣味はないので、そういえば、と思い残しを消化しておく。
「言い忘れてたけど、格好いいよ、それ」
「……まーたそういうことする」
「うん?」
「何でもないです。ありがとう」
――と。
ギィ、と音を立てて扉が開かれた。
そのまま歩いてこちらへ向かってくるのは、黒いドレスを着た銀髪碧眼の少女。
夜がノアから習った歩き方の、お手本のような自然に流れる所作をしている。
「……夜、一歩下がって」
言われた通りに従うと、レオンハルトは床に片膝をつく。創作で見るような、偉い人に対する騎士の姿勢。
「そう畏まる必要はないと、いつも言っているでしょうに。楽にして構いません」
凛とした、よく通る声。艶のあって、どこか棘も感じさせるような。
「……はい」
立ち上がり、姿勢を正して向き直る。
その少女はレオンハルト越しに夜を一瞥して、微笑んだ。
「一応聞いてはいましたが。本当に綺麗な方なのですね」
どう対応すべきか、レオンハルトに視線を送る。受け取ったレオンハルトは少女と目配せをして、頷かれ許可を得たよう。
「こちらは、 ローレリア=エト=ドライツィヒ=ディース=ヴァーレスト様。ヴァーレスト第三王子の第四子女様です」
紹介されて、胸に右手を添え丁寧な礼をするローレリア。気品に満ちた、というのはこういうことなのだろう、と夜は畏まってしまう。
「ローレリア、とお呼び下さいませ。王族と言ってもただの娘、そう畏れられては心苦しいものです」
あくまで冗談だ、とわかるように笑いながら言ってみせるローレリア。
夜はがちがちに緊張しつつ、精一杯取り繕いつつ返す。
「レオンハルトと婚約し、この度その報告をさせて頂く次第となりました、夜と申します。本日はお越し頂き、誠にありがとうございます」
「ふふ……。今日は人数こそそれほどではないにしろ、身分の高い方が少なからずいらっしゃいます。私相手にそう緊張されていては、身が持たないというものですよ?」
そう言い夜の頬に触れる。
――のを、レオンハルトが手で遮った。
「――失礼ながら。接触されてしまうと少々、彼女は危険な存在ですので」
ローレリアは伸ばした手を戻すと、気を悪くした様子もなくくすりと笑った。
「まあ、これはこちらこそ失礼を。大切にされているのですね、レオンハルト。……私は一旦失礼をしましょう。花嫁様の確認もできましたし、あまりちょっかいを出しては、騎士様に怒られてしまいそうですから。また、後程」
夜に向けて手を振って、ローレリアは去っていった。
「素敵なお姫様だね……」
自分の求めるお姫様像がまさにそこにあって、夜は感動したように呟く。
それに対するレオンハルトの反応がないので横顔を覗いてみると、考え込んだ様子をしていた。
「レオ?」
名前を呼ばれてはっとして、誤魔化すように笑うレオンハルト。
「ん、ごめん、何?」
その様子に感じた違和感は話しているうちに霧散したものの、本来真っ先に覚えるべき違和感は、浮かれた夜には気づけなかったのだった。