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癒者の不養生、病はなんとやら。

「お帰りなさいませ」


「ただいま。……夜はまた書斎?」


 一週間ほどの経ち、レオンハルトが帰宅していつもの出迎え。


「はい。空いた時間は常にですね。……実はしばらく睡眠もとられていません」


「あれ、そんな様子はなかったと思うけどな……あー、回復してるのか」


 ノアは頷く。

 睡眠不足からくる不調を魔法によりどうにかしてしまう、のはある程度回復魔法に長けた者なら、それほど珍しいことではない。夜なら当然、できるだろう。


 睡眠を挟まなければ身体は問題なくても魔力自体の回復速度が落ちるため、あまり褒められた方法ではないのだが。


「……しばらく、って何日目?」


「五日目でしょうか。そろそろ警告はしておきます」


「五日持つのか……魔力効率は良い方なのかな」


「魔法ではない、が厳密に。使用回路が別になっています。そのうえでの効率は極めて高いようですね」


「んー……。うん。よろしくね。諸々は順調?」


「おおよそ。学習能力にとりわけ優れる、というわけではありませんが、熱心で素直ですので。教えやすいです。ただ……」


「ただ?」


 ノアにしては珍しく、言い淀む様子を見せる。言葉を選んでいる、と言った方が正確だろうか。


「主人に対する言葉ではないのですが。……物凄く聞き分けの良い子供、が接していての主感想ですね。あまりに無垢で無邪気なので、少々不安になるところがあります」


「ふーむ……。夜は僕のこと、頭では理解していても友達みたいにしか思ってないところがあるようには見えてるんだけど、あれは疎いからじゃなく幼いから、かな」


「おそらくは。齢に対して、良識はあっても常識のやや欠けているように。何由来か、の詮索は私からは致しませんが」


 それがレオンハルトに対して「知りたいのなら自分から訊け」なのか「やめておけ」なのかは、判別のつく物言いはしてくれていない。


 思考するレオンハルトに、「それと」と話題を変える。


「レオ様。先週の休日を任務で丸々潰して家にいなかったレオ様。今週は都合のつきそうで?」


「……むしろ休日跨いで三日の拘束予定ですね」


「クソ亭主ですね」


 あくまでノアの表情は不変だが、糾弾は隠されることなく。


「……すみません」


「ちゃんとしたコミュニケーションの困難なことがなかなかお辛い様子です。平日も暫し帰りの遅くなりますし、話し相手はこんな私しかいませんし。それで休日も変わらないのではあんまりというものでしょう」


「意識飛ぶくらいの痛みじゃないと耐えられないんだよね今だと……」


 レオンハルトは元々、苛まれていた激痛によって夜と普通に接することができていたわけだが、夜によって回復した今、半端な痛みでは面と向かって会話をするのがかなり難しくなってしまっている。

 いくつか手段は講じているものの、有効なものはまだない状況。


「というかノア、最初からよく針だけで平気だよね」


「男性と女性で、ある程度は差があるのでしょう。私にしても時折、危うくなることはございますよ? お着替えの際は必ず、感覚も半分以上鈍らせていますし」


 裏でしているこういった苦労は、もちろん夜には悟らせていない。レオンハルトの前ではともかく、夜に対しては完璧な従者でいようと努めているため。


「……そちらの対処も進めていますから、もう少しお待ちください。休日には間に合わせる予定でしたが……レオ様の不在でしたら、その日に保護認可を取りに行きましょうか」


「あー……任せていいの?」


「ええ。上手くやります。それにどちらにせよ、いずれ私も出る必要は出てくるでしょうし」


 この話題を出した時のレオンハルトが躊躇する様子には、ノアは当然気づいている。今はまだ指摘せず、留めておく。


「……うん。任せっきりになっちゃってるけど、ごめんね」


「私の主人ですので。――夕食の支度、致しますね」


 時計を見てそう告げ、一礼をして厨房へ。

 以前よりも随分と楽しそうに見えるノアの姿に、レオンハルトは安心からふっと笑った。




『クソ亭主様、クソ亭主様。こちら完璧で完全なメイドですが』


『今絶賛戦闘中だけど、用件は』


『夜様がお倒れになられました』


 数秒の沈黙。

 わざわざこうして連絡をする、その意味も含めて考えているのだろう。それは、ノアの意図したものと違わず。


『……周りに人がいる中、全開状態で制約開くけど隠さなくていいよね』


『どうぞ。必要なら記憶処理は私が出向きます』


『すぐ帰る。新しい移動結晶お願いね』


『かしこまりました』


 扉の前、通信を切る。

 あの亭主もこう言えば帰ってくるだろうか、という願望の叶ったことに小さく息を吐く。


 あまり一人にはさせたくない今の主人の下へ、二回ノックから返事を待たずに入る。


「すみません、お傍から離れてしまって」

「大丈夫です……少し寝てれば治るので……」


 そう言う夜の声はか細く、奏でられたような元々の美しさと相まってひどく儚げに響く。このまま死んでしまうのではないか、という。

 ベッドに横たわる夜はひどくぐったりしていて、焦点の合わない目は曖昧にノアを見つめ、腕は力なく投げ出されている。


 ノアは夜の手を握って、横に膝をつく。


「あはは……お母さんみたい、ですね……」


 弱々しく笑って、ふっと。

 夜は目を閉じ、意識を手放した。


「眠っただけ、ですね」


 これは死ぬようなものではない。

 そうわかっていても、夜の様子に疑わずにはいられなかった。


 首の脈を確かめて、規則正しく繰り返される吐息も聞いて。生きている、そう確信を持って安心する。




「お帰りなさいませ」


 それから少しして、レオンハルトが帰宅。装備一式を手早く片付け、当然存在しない怪我についても確認だけして。


「……それで、どういうこと?」


 容態についてではなく、状況について。

 その問いは正しい。大抵の病気ならノアは治せてしまうし、それ以上のものでも夜自身が治療できてしまう。それをわかっている故のもの。


「まず。夜様の症状は精神的なものです。身体そのものに不調は、後続的にしかございません」


「治せない、と?」


「治療しても一時的処置に過ぎない、と言いますか。言ってしまえば、夜様自身が無意識に不調を望んでいる状態ですので」


 そう気づいたため、「ご自身でなら治せるのでは」とは進言していないし、夜自身そのことは本気で忘れている様子だ。

 何故こうなっているか、の推測は、ノアは一つ抱えている。


「辛そうなのは本当、ってことだよね」


「ええ。同調させて頂きましたが……。常人なら、意識が飛ぶのではないでしょうか」


 レオンハルトといい夜といい、どうしてあそこまで痛みを耐えることができるのか。崩れた表情は夜に見られることはなかったが、脂汗が滲んで苦痛に歪む表情をしたのは、いつ以来だろうか。


「おそらく、ですが」


 これまでの情報と今日の様子、夜の性格からして。自信のある推論を、述べる。


「夜様にとって、体調の悪化は“構って貰える”という経験と結びついているのではないかと。あれほどの苦痛を感じて漸く、というのは、どういう環境にいらっしゃったのか想像できかねますが」


「……行ってくる」


「ええ。それがよろしいかと」


 二人の関係を良好にしようとは努めるが、それを具体的に決めようとしては過干渉だろう。

 一応これでも主人は主人、後は信頼して任せよう、とその場で見送った。




 ノックを二回、聴こえるか聴こえないかの微かな音量で「どうぞ」と返答があったのに「僕。いい?」と扉を開けず声をかける。

 僅かの間があって、「いいよ」と。


 部屋に入ると、増えた箪笥や机、その上に積まれた本が視界に映る。天蓋つきのベッドに夜の姿はなく、枕の位置まで覆われ膨らんだ布団があった。

 夜の自分に対する配慮だろう、とこんな時にさせてしまいレオンハルトは申し訳なく思う。


「ただいま」


 ベッドの横に膝をつき、膨らんだ布団に向けて。


「……おかえり。仕事、は?」


 レオンハルトの予定は夜にも伝えられている。帰宅が本来よりも早いこと、それが自分のせいだろうことを察しているのだろう。謝罪が続きそうな声色をしている。


「終わらせてきたから平気。それより、夜の方」


「……多分平気、だと思う」


 正直なところ。

 外見的にこそ異常ないものの、痛みの感じ方がかつての症状が重かった時とそっくりで、「このまま死ぬんじゃないか」と思ってすらいたのだが。


 そんな時に駆けつけてきてくれた母と、今のレオンハルトが重なるのは、なんとも不思議な感覚だ。安心している自分がいることに、布団の中ふっと笑う。


「……普段、寂しかったりする?」


「ん……ノアさんはよく相手してくれてるし、空いた時間に本を読むのは好きだけど……」


 言うべきか迷って、言いたいのなら言ってしまえと心に従う。平常時なら、レオンハルトを困らせてしまうと考えて言わないだろうこと。


「最初会ったときみたいに話せないのは、寂しい……のかもしれません?」


「疑問形?」


「……はっきり言うのは、恥ずかしいのかもしれません?」


「……失礼しました。なるべく頑張ってみるように、します」


 布団から少しだけ顔を覗かせて、レオンハルトを見る夜。レオンハルトの視線は、自分の顔――の少し右くらいに向けられている。努力として受け取っておくべきか。


「うん。無理は、しなくていいからね。……今日の分の無理、治すから。手、出して」


 こんな時にも他人の心配をするのか、とレオンハルトは苦笑しつつ、言われた通りに手を出す。握られてすぐ顔を逸らしたのに、気力由来か許されてか、何も言われることはなかったが。


「……あ。自分で治せばいいじゃんか……」


 あっさり気づいたそれに、レオンハルトは安堵して笑った。


「治せそう? 夜の方」


「うん、大丈夫。というか、なんでだろ。まだだけど、もうそんなに痛くない」


「……ごめんね」


「うん? 謝られることはないけど……あ、ノアさんにごはん、お願いしておいて欲しいな。お腹減ったや」


 声の調子からして、夜は本当に大丈夫そうだ。不調の原因が自分故だったと改めて突きつけられて、レオンハルトはつい謝罪が口に出た。


「わかりました。じゃ、また後でね」


「うん。……ありがとね」


 言われるべきでないお礼に罪悪感を覚えつつ、レオンハルトは部屋を去った。




「――みたいな感じ」


 夜からの伝言と、おおよその説明をノアに伝えた。

 予見していたのか既に軽食を準備していたノアは、一瞬の笑みの後に全く別の話を切り出した。


「レオ様。夜様の教育については、私に一任して頂いているということで宜しいんですよね?」


「ええと、できれば相談はして欲しいけど……」


「宜しいんですよね?」


 これは確認ではない。宣言である。


「……はい」


「かしこまりました。それでは予定を少々、早めさせて頂きましょうか」


 その予定とやらも伺っていないのだが、と言っても教えてくれないことは分かっているので、レオンハルトは大人しく沈黙を貫いた。

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