廃墟と化した、教会で。
「教会?」
歩きながら、できる限り声を潜めて話す。来た道をそのまま戻っているため襲われる回数も減ったが、それでも油断はできない状況。
「ええ。それほど遠くはありません。町外れなので人は少ないでしょうが、ここよりずっとマシになるのは幸いでした」
時折の襲撃者をばっさばっさ斬り(叩き)伏せていく金髪美少女的美少年と歩いていると、最初に語られた危険は何だったのかと首を傾げてしまうが。
大きな問題もなく貧困地域を抜け、少し歩いた後にレオンハルトは変装を解いた。
残念そうに自分を見る夜に、レオンハルトは苦笑を返す。
「色々やりにくいんだって、これは。夜もそれ取っていいだろうけど、そのままの方が楽なのかな」
「んー……そだな。そうしとく」
道行く人が、自分を見ても歩みを止めない。そんな当たり前だろうことに夜は安心していて、 今の状態を享受することを選択する。
もっとも全く注目されないわけではなく、顔を隠しているせいではないだろう視線の浴び方は、人とすれ違う度に受けているのだが。
「ここだね」
ダリアの拠点にしているという教会。元々は綺麗な白だったろう外装は色落ちて灰色、その大きさが与える印象は寂寥感だ。
この世界の神様がどういったものか興味はあるが、ここで知る気にはなれない。
錆びついた取っ手を握り、軋む音を立てながら扉を開ける。
教会内は、外装からの予想とそう遠くないものの、それなりに綺麗だった。
中央の通路には絨毯が敷かれ、挟む左右は長椅子が並ぶ。真っ直ぐ歩いた先にはステンドグラスから射し込む後光を纏う祭壇があり、祀られているのは女神像、だろうか。
物品の破損があちこちに目立つが、夜の知識にある教会とそう相違なかった。
「いる……のかな?」
「誰かが使っている形跡なら、あるね。椅子の下は埃が積もってるけど、カーペットはまばらに。今は窓が閉められているけど、換気をしてない部屋の空気じゃないし」
「なるほど……」
夜ではまだ持つことのできない視点だ。文献知識としてはあるので理解はできる、が経験として全く足りない。
「離れないで。声はできるだけ潜めて」
警戒を強めたレオンハルトの後ろをついていく。
真っ直ぐ進んで、祭壇の前を横切り右の扉へ。開ける前に一旦止まったレオンハルトの後ろから、金のドアノブが埃をかぶっていないことを確認する。
鞘から剣を引き抜くレオンハルト。金属の擦れる澄んだ音と同時、気も研ぎ澄ましたようで。変化した空気に、小さく息を呑んだ。
最低限の音を立てて扉を開け、先へ。
入って正面に壁が立ち、右へと細長く延びる通路。赤い絨毯にダークブラウンの壁と天井に窓はなく、代わりの光源は等間隔に存在する蝋燭立てだったのだろう。
溶けた蝋を僅かに残すのみのそれらは今役に立たず、視界の悪さに警戒したレオンハルトの左手に灯る光でもって、様子を確認できている。
「行き止まり……?」
レオンハルトの呟きに、視点を奥へと動かす。言う通り、長い廊下の先は何もない壁が見える。
「はずれ、ってことなのかな?」
「いや……。この部屋の長さが、微妙に合わない気がする」
「合わない?」
頷き、歩き出すレオンハルト。
「ちょっと、短い」
短いとは、と首を傾げながら、離れないようについていく。レオンハルトは奥で立ち止まり、壁に触れる。
「ん。似てるけど、ここだけ魔法混じりの作り方してるね。後から作られたもの。それと」
振り返って、そのまま戻る。
とことこ後を追い、急に立ち止まったレオンハルトの背中にぶつかりそうになり、結果抱き着く体勢になった。
「わ、ごめん」
「……大丈夫。じゃないけど大丈夫」
距離を取られてそのまま、向かい合う形になったレオンハルトは下を示した。
「ここ。音が違う」
そう言い踏んでみせるレオンハルトに、夜も自分の足元を踏んで確める。
夜の下からは木の軋む音がしたが、レオンハルトの下からはコツコツ、と空洞があるかのような音が響いた。
「……ほんとだ」
「この絨毯に隠して……あった」
絨毯を捲った裏から、取っ手のついた1メートル四方ほどの戸口が覗いていた。
「……なんで教会にこんなものが?」
口にした素朴な疑問。レオンハルトは苦笑とともに首肯する。
「普通じゃないね。首拾いが後から加えたか、元々あったか。後者だとちょっと不穏だけど……どのみち、ここが当たりだろうから」
扉を開けた先は暗闇。穴から照らせる真下だけ辛うじて、見える範囲に床があることを視認できた。
「先に降りるね、受け止めるから」
「ん。気をつけて」
それなりの高さがあるようだが、ひょいと飛び降りたレオンハルトはすたっと着地。
周囲の警戒をした後、おいで、という風に腕を広げ夜を見上げたレオンハルトは。
横合いから吹き飛ばされ夜の視界から消えた。
「レオ!?」
大きな激突音と、何かの崩れる音。光源の消えてしまったため、下の様子は全くわからない、が。
反射的に身体が動いて、夜は飛び降りていた。
「わ…………っつ、と、セーフ……」
両手をついて倒れ込むように着地を果たし、なんとか無傷。身体を起こし辺りを見る、がただ闇の拡がるのみだ。
肌寒くなるほどに冷えて、広い空間であろうことは空気から不思議と感じ取れた。
「まあ――素敵なお土産」
左上からの、聞き覚えはない声。しかしその響きは、独特の蠱惑性と気味の悪さを備えていて。
「制約、解放」
自分を拐う見えない相手に、不安はなかった。
しかし抱かれた服越しに伝わる湿った生暖かさに、ぞっと血の気が引く。
「ごめんね。ちょっと、やらかした」
自分を安心させようとする優しい声に多く混じる、無理をしている響き。夜を支える腕が、膝の崩れて離された。
「レオ、お前」
「……一撃目はともかく。さっきの二発目躱せなかったのはまずかったな。その力、タネはおそらく」
言葉を切って、魔法で光源を上に放り投げる。そうして照らされた空間は、規則正しく棺桶の並ぶ、異質な光景と。
黒いローブに身を包む女性が一人。その人物がダリアであることに疑いはなかったが――何か、違和感。
「力からすると全身か。ドラゴニュートに“なる”なんてね」
顔を隠すフードを取るダリア。
昨日とは別人なその容貌は夜の知る人間に近いものだったが、鱗に覆われ屹立する耳が、最大の差異を示していた。
「ご明察。亜人種の肉体は初めてでしたが……素敵な感覚です」
ダリアはぞっとする笑みを見せて、音もなく地を蹴る。
金属の衝突音に反射で向けた瞳は、攻撃を受けた剣ごと吹き飛ばされるレオンハルトを捉えて。
背中から壁に激突し、血を吐く。
剣を床につき、どうにか体を支えている。駆け寄り腕を貸そうとする夜を、手で制し。
「弱すぎる。誰と比べて、ではありませんよ? 十全だろう貴方と比べて、です。もう限界のようですね。その仕組みは」
「……相打つくらいは、できるつもりだけど?」
剣を構え、相対する。が、肩で息をしているのは夜にも見て取れて。
「ああ――やはり貴方は素晴らしい。ですが、それなら貴方の事切れるまで、時間を稼がせて頂きましょうか」
距離を保ったまま、涼しそうな顔をして佇むダリア。レオンハルトは姿勢をそのままに、夜を見る。
「……夜」
呼ばれて、すぐ傍に。
「後のことはノアに全部、頼んであるから安心して」
「はっ?」
何を言っている、という風に返す。勿論、予想はついていても。
安心を与えてくれる騎士様。その幻想に、縋っていたくて。
「――もうロクな距離も飛べないか。ラウスレート」
弱々しく触れた手、そして身の縮まるような一瞬の感覚と、移り変わる視界。
前に見える女神像から、この教会に入ってすぐの場所だとわかった。
「あまり時間はないだろうから、手短に。僕はここで死ぬ」
レオンハルトの脇腹から滴る血が、絨毯の赤を暗く染めていく。自己の経験からわかる、致命的な流れ方。
「……おぶるから。逃げよう」
冗談を聞いたように、レオンハルトは笑う。
「残念ながら、逃げ延びても死んじゃうんだ。治らないし、治せない」
「……どうして」
「僕の力は、代償に命を削っていたから。限界はとうに超えてた」
「それならお前、なんで」
「死ぬ前に何か、しておきたかったから。この子ならいいや、って思えたから」
あっさり告げられた事実に、驚くよりも困惑するよりも、ただ何もできない無力感が勝って。
レオンハルトは打ち明けたことで気を緩めたのか、姿勢を崩して座り込んだ。
「僕が夜相手にまともでいられるのだって、そのせいだよ。本当はずっと、身体めちゃくちゃ痛くてさ。……そのせいで潜んでいるのに気づかず致命傷受けてるのは大問題だけどね」
何か我慢をしているような気は、していた。聞いていいかわからずに、目を逸らしていたこと。
目を逸らさずに直視する羽目になって、もう既に手遅れで。
「人と話すのは大変だろうけど、そこは頑張って。馬車でもなんでもいい、シュヴァルツフォールの屋敷、で伝わるから。身分は保証されるし、ノアもいる。苦労は少なからずしちゃうだろうけど、平和に暮らせるだろうから。安心してね」
諦めている自分を放って、夜を安心させるように微笑んで言う。もう我慢する気がないのか耐えられない程なのか、その笑顔には無理が見える。
ドアの開く音に、夜は顔を上げた。勿論、そこにはダリアの姿がある。
「さ、あんまり余裕はない。逃げる時間は稼ぐから、行って」
立ち上がり、剣を取って。夜を出口へそっと押す。
「……でも」
「逃げてくれないと、僕の命は無駄になっちゃうよ」
そう、言われてしまっては。
逃げることしか、できなかった。
「ごめん、なさい」
お礼は言えない。素直に感謝を感じるよりも、やり切れなさが勝ってしまって。
救われるだけの自分を噛み締めて、教会の外へと走り去った。
夜がいなくなり、レオンハルトは大きく息を吐いた。安心を、隠さずに。
「――殊勝ですね、紅霧の騎士様。命を賭して護られては、私もそれほど鬼ではありません」
嘘か本気かわからない、薄い笑み。どちらにせよ、レオンハルトのやることは変わらない。
「それはありがたいことだけど。相打つって、言ったつもりだよ」