3・作品の読み方
作品の読み方について少々書いてみます。
当然のことながら、文字を読み、文章を読み、行間を読み、段落を読み、章を読み、作品全部を読むのですが、ではどうしたらそれらを「読んだこと」にできるのか。そのあたりを考えます。
肝心なのは「作品世界に入り込み、ただただ楽しむこと」です。
登場人物や情景へと身を置いて、集中して読むことです。
そして最後までその状態を維持することです。
そのときには、なるべく意気込みはないほうがいいと思います。「さあ感想文を書くぞ」「どれどれ、批評してやるから読もうか」といったことです。
このように読んで楽しむ以外の視点を持とうと意気込むと、作品を味わうことから離れてしまいがちです。
あれもこれも楽しもうと焦って時間をせわしなく確認してしまい、かえってつまらなく終わった観光旅行のような感じです。
読みたかった小説を本屋で買ったとして「さぁ、読むぞ」とは思うでしょうが、「さぁ、批評するぞ」とは思わないのではないでしょうか。
シリーズものの推理小説を読んだとき、「さぁ、今回のトリックはなんだ。暴いてみせるぞ」とは思うかもしれません。
作品を楽しむための気構えはあってもよいですが、先入観や予断を持つと、途端にその作品に没入できなくなります。
感想文や批評をその作品について書きたかったとしても、作品に没頭しない限りは書けないと思います。
「面白かった、つまらなかった」という感情を出発点にし、そこに他人が確認できるような事実を加えた文章が感想や批評だからです。
そのため、まずは作品を味わわないと、何も書けません。
自然に読める平静な気持ちがまず大事ではないかと思います。
また、没入感を得られない作品も中にはあります。
自分の肌に合わなかったり、難しすぎたり、その時は全く集中できなかったり。
読んだ片端から文章や内容を忘れてしまったり、読むスピードが極端に遅い割に内容が頭に入らなかったり。
その作品を読む実力が備わっていない可能性もあります。
私は小学三年生の時、夏目漱石の「坊ちゃん」を買ってもらいましたが、読んでも面白さがよくわからず、読んだ内容も頭に入りませんでした。おまけに開始十五ページほどでそれ以上読み進められなくなった記憶があります。
この本を理解し、面白おかしく楽しめるようになったのは、結局中学二年生くらいの時でした。
挫折して以降、勉強したり遊んだり、読書もたくさんしてだんだんと成長していき、とうとう「坊ちゃんステージ」をクリアしたという長い道のりです。
このように、読書経験や人生経験など、自分がすごしてきた時間の積み重ねによって、ある作品を読めるようになるのはよくあることかと思います。
挫折した本はいったん脇に置いておき、その間にいろいろな本を読んで地力をつけてから再挑戦するとすんなり読めときがくると思います。
いずれにしろ、自身がすんなり読める作品は、それ以上ノウハウが必要ありません。
情景が浮かび、人物の喜怒哀楽や言葉の虚実がわかり、物語がわかり、作者様の言いたいことが透けて見えるはずです。ここにおいて文章を読むのは、手段にすぎません。
作品の中には文章それ自体に味わいを感じる場合もあると思います。
登場人物の台詞や地の文の書きぶりで覚えておきたいものなど、作品を楽しんでいるとそういう部分にも自然に目がとどくと思います。
こうして味読した作品は長く印象に残りますし、感想や批評を書くときに材料を用意しやすいです。