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10・推敲

【推敲】


 推敲:作品の意図や表現の効果が狙い通りか確認、修正する行為


 校正と校閲を以て推敲とする、という解釈が一般的なようです。

「ようです」というのは、ネット上に散らばっている推敲に関するいくつもの文書を確認していくと、校正と校閲に関する解説は出てくるのですが、肝心の推敲に関しては故事を取り上げる以上のことがなかなか出てこなかったからです。


 もし校正と校閲だけが推敲となると、作家は推敲をまったくしなくてよいことになります。出版社の部門が行うからです。


 しかし、推敲とは文章の手直しという意味以上に大きくて重要な作業といわざるを得ません。


 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を例にとってみます。


「銀河鉄道の夜」は、都合四回の改稿を経ていると研究上では言われております。

 第一次、第二次稿は一部の章が書かれているだけですが、第三次、第四次稿は完成した物語になっています。

 第三次と第四次の二つの原稿は、登場人物の性格付けや演出を実に大きく改稿しています。このため、文章の味わいや物語の雰囲気そのものはそれほど変わりませんが、結末の深みが増し、物語が読者に訴えかける引力もまた非常に強く変貌しました。


 具体的にいうと、第三次稿では、読者に訴えかけるため、主人公に向かってどこからともなく声が届き、銀河鉄道の旅の意味をやさしく解説してくれます。

 第四次稿では、読者により強く訴えかけるため、主人公が自分で旅の意味を悟れるよう、その後のドラマが追加され、解説してくれる人物は削られています。


 映画でたとえてみます。


 第三次稿では、クライマックスにて、訴えたかったテーマを総大将が主人公に向けてとうとうとかたるシーンがありました。

 第四次稿では、クライマックスののちの劇的なドラマを追加し、台詞のシーンを排除して、映画で訴えたかったテーマが台詞なしで伝わるように改変されました。


 この改稿により、物語が読者へ伝えたかったことを深い印象で飲み込めるようになったのは、第四次稿です。


 前述したように文章の味わいそのものはあまり変わっていません。しかし、読者の受け止めようはがらりと変わってきます。


 もう一つの例をとってみます。

 推敲という言葉のもとになった故事です。


 故事では、主人公が漢詩の詩作において「月下に門をおす」がいいか「月下に門をたたく」がいいかで悩んでいました。

 あまり悩みすぎてトラブルを起こしてしまいましたが、たまたまその相手が詩の大家だったので「たたくがいいのでは」と助言をもらい、意気投合して馬を並べ詩を論じ合った、という物語です。


「僧推月下門」か「僧敲月下門」か。


 これは、文字の正しさ(校正)の問題でも、事実確認やてにをはや文章の構造の問題(校閲)でもありません。

 詩の表現として風情や味わいが増すのはどちらか、読んだときの印象、効果の検討の問題です。


 なぜでしょう。


 この詩人の思いついた部分は「僧推(敲)月下門」と「鳥宿池中樹」の対句しか提示されていないため、これが絶句なのか律詩なのか私にはわかりません。

 絶句であれば五文字かける四行で二十文字。

 律詩であれば五文字かける七行で三十五文字。

 それだけの文字数しかありませんから、一字の違いが詩の鑑賞にとても大きな影響を与えるのは明らかです。正しい字かどうかといった校正、校閲の問題以上の、作品の姿そのものに影響を与える吟味の跡といえるでしょう。


 蛇足ながら数量的に比較してみます。

 これがもし絶句だとすると全文が二十文字ですから、一文字につき五パーセントの割合となります。

 たとえば三百ページほどの長編からざっくりと五パーセントのページ数を概算すれば、十五ページとなります。

 これはかなり大きなページ数です。長編といえど十五ページでいろいろなことが書けますから、ゆるがせにできませんよね。


 作家は作品を書き上げたとき、場面ごとの演出や脚色、作品全体を通した場面設定などを見直し、より効果が上がるように加筆修正していきます。


 これは単に文章のわかりやすさ、文法の正しさ、てにをはだけでなく、そこに書いてある文章そのものが場面としてふさわしいか、もっと劇的な表現にならないか、言葉の調べがよいか、いっそ場面そのものがその位置で効果的なのか、などなど、作品をよりよくするための文の練り直し、磨き上げにあたります。

 そしてこれこそを推敲というはずです。


 感想文とはやや異なる道にそれてしまいましたが、推敲の真骨頂は作品を練り上げることであり、それは作者様にしかできない仕事と思います。


 こう考えると、校正と校閲には終わりがありますが、推敲には終わりがないように思います。

 あとは読者を信じてゆだねるしかないのではないでしょうか。

 そこが作者様の力が及ぶ限界点といえるかもしれません。

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